お姉様の悲しみ
帰ろうと思ったのに。
「本心だぞ。もう分かってるだろうけど」
そんなこと分かってる。
さすがに疑えない。
というかなんでいつもお前は纏わりついてくるんだよ。
「放っておきたくないからな」
お節介。
「なんとでも言え」
そう言われてしまえば、反論が消える。
「お前の父親、あやかしになったんだってな。みんなそれを気にしてる。多分、お前が父親のことまるでよく思ってないの、心なんか読めなくても、分かってるから」
この世界は……時代は、親は敬意を払うもので、毒親なんて言葉はなくて、親に何をされても子供が悪い、養ってもらっているんだからとされる。
でも、煮え湯を浴びせたり、真冬に外に出したり、言葉で同じくらい傷つけてそれを楽しむ人間はいる。視覚化できていないだけで。
そうした状況でも富山局長みたいに悩んでいる人や、それこそ輝宮寺を想っていた旅館の人間たちみたいに輝宮寺啓介の扱いに憤る人もいる。
でも「普通」の、家族愛の存在する親子も勿論あって。
向こう側からすればどうしていいか分からないのだろう。親に対して完全に切り捨てた見方をする私のことを。
理解してもらいたいとは思わない。だって、理解できないからこそ、あの人たちは想像をするしかなくて、その想像から優しさとか温かさが生まれていると思うから。
私にはない。
枯賀の父親があやかしになったと聞いて抱いたのは、冷たい安堵と面倒くささだった。
ああ、死んだほうがいいゴミみたいな父親も、あの遠縁のトンチキクソ女も死んだのか。
あっけない。
面倒くさいことになった。
いつか殺す気でいたけれど、自分が絶対殺したいほどの執着は無かった。死んでほしいけれどそれはあくまで邪魔だから。勝手に死んでくれる分には構わない。
そんな所感を、父親に抱いていた。
だから局長たちの優しさを受ける資格は──、
「そう思うんならもう仕方ないだろ。それに家に火をつけて殺すよりマシだ」
水社一心はこちらを見ず吐き捨てるように告げた。
「自分のこと殺して、その後することが放火なんて最低だ。それに優しくしてほしいなんてお前は頼んでない。あっちがしたいからしてる。それにお前がどうこう言う資格こそないんだよ。局長が付き纏いみたいなことしてるならまだしも」
付き纏いかどうかはされてるほうが決めることだろ。
「ああ。でも、お前の心は富山局長と話をしてるとき、そんな資格ないとか、親子について考えてる。付き纏いされてる人間の心は、恐怖と不安と、先の見えなさと、周りに迷惑かけたくない、辛い、苦しいとかそういうのだ。表面上、平気な顔してても、心の中は違う」
そうだろうけど……。
「俺の異能が、ちゃんと機能してるかは分からないけどな。輝宮寺の件で、水社の力が効かなかった」
役に立たないくらいがちょうどいい。戦闘局は殉職も多いし。
さっき、富山局長から部下や同期の死について話を聞いたばかりだし。
「やっぱりお前、野狐禅とかいうあやかし、俺に隠してたんだな。猫又の時はぺらぺら喋ってたくせに」
水社一心がこちらを横目に見た。
水社一心が立っていて私はベンチに座っているのでこちらを見下ろす形だ。
別に言わなくても良かった。輝宮寺の件で水社家やお姉様に対しての警備が行われ、水社一心もマークされていたし。
私が野狐禅の情報を変に流し、水社一心本人の悩みが増えたり、水社一心が無茶をするのだけ避けたかった。最初の段階では、野狐禅は水社一心を狙ってるとばかり思っていたし。それを知った水社一心が「自分を囮に」と考えても嫌だし、戦闘局が「水社一心を囮にします」なんて思いついたら最悪だ。
特に郷田あたり言い出しかねない。
「お姉様の為なら手段を選ばないんじゃなかったのか。お姉様の幸せに邪魔なあやかしだろ」
お姉様の幸せの中にはお前もいるだろうがよ。
「その言葉そっくりそのまま返す。見合いの時に駄目な姉でもいいかって言われただろ。お前が死んだら悲しむ。その傷を、皇龍清明様が癒せると思いたいんだろうが、無理だろ」
出来る。皇龍清明様に不可能はない。
「本心じゃない。もうとっくに分かってるだろ。それはお前の希望でしかない。真実じゃない。たとえ運命であろうと、お前のお姉様は、恋愛がすべての人じゃない。その皇龍清明様を心の底から愛していたとしても、その人しかいらない、後の人間関係全部捨てる、どうでもいいと手放せる人間じゃない。そういうお姉様だからこそ、お前はお姉様が大事なんだろ」
何も言い返せない。
その通りだから。
お姉様は皇龍清明様以外に色んな人間に惚れられる。この世界の皆は、お姉様を好きになる。お姉様は恋愛的なヒロインムーヴを一切せず、皇龍清明様以外に頬を赤らめたりしない。ほかの男性キャラクターから髪に口づけをされて驚き、突然抱きしめられて大きく目を見開き、甘く口説かれるのを真剣に聞いていたりするのみで、ときめかない。
頬を染めるのも、照れるのも、心拍が上がるのも皇龍清明様に対してだけ。
でも、皇龍清明様以外が傷つけば悲しむ。誰にでも優しくする。視界に映すのは皇龍清明様だけじゃない。
皇龍清明様のあやかし討伐を邪魔しないが、敵が死んでも、涙を流していた。その死を弔っていた。罪を犯した人間に同情はしないが、追悼はする。そういう人だった。
だから私が死んでも、皇龍清明様がいるから大丈夫とは言えない。
輝宮寺が死んで悲しむ人々を目の当たりにして、より一層、思い知った。
さっき富山局長の表情が決定打だ。
私が死ぬと、お姉様は悲しむ。
「気付くのが遅いんだよ、馬鹿」
水社一心はため息を吐いた。不機嫌ハラスメントだ。不機嫌ハラスメントです。
「ため息もつきたくなるわ。ずっと言い続けてんだから」
水社一心は眉間にしわを寄せながらも、口調はいつもより柔らかだった。
「それで、輝宮寺のことだがどうだった」
どうだったって調査報告上がってるだろ。
「上がってるって言ったって、野狐禅ってやつになんで協力したか分かんないだろ」
確かにそこだ。枯賀の父親のせいであやふやになっていたが、何で協力したか分からない。話を聞くぶんに、おそらく村で死んだ輝宮寺を見て利用を思いついた気もするが──。
「──それは私も分からないのよね」
目の前で、風鈴の音色のように澄んだ女性の声が響く。
高いけれど淡々としていて、妖狐たる者に相応しい声。
視線を向ければそこにいたのは、暮日村で野狐禅の特徴について語り、あやかしとの結託の罪状について興味深そうに聞いていた青年だった。
私はとっさに抜刀するが、青年の「やめて」の一言で動けなくなった。
霊力で圧をかけられている。それも、地に伏せさせるものではなく。肩やつま先などをピンポイントで狙う、高度な技術だった。
「戦いたくないのよ。今は普通に、話がしたい」
瞬く間に青年の姿は、着物を纏い狐耳を付けた170センチくらいの女性の姿に変わった。
野狐禅だ。




