軍医・霧島
皇都退妖軍所属・軍医霧島が帝都退妖管理局を訪れる数刻前。
帝都退妖軍上層役員の一人である蝦蟇貪は、老眼鏡をかけ皇都の調査書を眺めていた。
扉が開き、霧島が入ってきたことに気付くと、顔を上げる。
「警備がいるんですけどねえ」
蝦蟇貪は霧島の背後に控える警備を睨む。いつも蝦蟇貪の護衛であり運転手役も担う男は、申し訳ございませんと詫びる。
「彼は主人の意向に沿おうとしていましたよ。ただ、私が無理を言ったにすぎません。あまり抵抗すると蝦蟇貪様のお立場を悪くされると思ったのでしょう。いくら帝都退妖軍の監査を行う役人とは言え、帝都と皇都には大きな格の開きがある。皇都で一定の階級を持つ軍人ならば、どちらが国にとって重要か……」
霧島は不敵な笑みを浮かべる。
「それは勿論分かっていますよ。ただ客人をもてなすのは基本ですからねえ」
蝦蟇貪は老眼鏡を外し、机の上においた。
「そうですか。蝦蟇貪様は帝都退妖軍の役員の方々の中で、一番厄介だと聞いておりますから」
「親族に政治家がいるからでしょうか? 残念ながら、そうした才には恵まれず、なんとか下駄履かせてもらって、こうして分かりやすい場所にいるだけですよ。役員と言っても実際のところ仕切るのは軍ですし、我々上層部がどうなろうと、困ることもない。局長一人抜ければねえ、結構大きいでしょうが」
蝦蟇貪は笑う。霧島も合わせて笑うが、「本当にそうならここに私が来ることは無いんですけどねえ」と口角を上げた。
「酒呑童子という鬼を匿っているとか」
「手を焼いているという言い方にして頂けると大変助かるんですけどねえ。こちらも匿いたくてかくまっているわけじゃないので」
「と言いますと?」
「皇龍清明様」
蝦蟇貪は呟いた。
「あのお方はあやかしを倒してくださる。しかし、帝都ならまだしも帝が伴う皇都にすら関わろうとしない。倒すあやかしも、こちらが手を抜かないよう、自分の倒すべきあやかしかどうかをかなり判断されている。そんな男をねぇ、手元に置くって言うのは難しいわけです。こちらもねえ、あやかしに頼るくらいのことをしないと、どうにもならないんですよ。ああいうのは」
「なるほど」
霧島は目を細める。薄い笑みを浮かべたままじっと蝦蟇貪を見つめる。
「それに、皇龍清明様をそのままにしていたところで、いいとは思えませんからねえ」
「どういうことです?」
「だって突然人間を滅ぼそうとする可能性だってあるでしょう? 皇龍清明様は、軍とは関わりたくない、金に興味もない。名誉もどうでもいい。対して人間は地位も名誉もある程度欲する生き物です。金もいる。安心が欲しいから。人間の一生なんて儚くて儚くて仕方がないのだから、でもそれが皇龍清明様にどう映るか、という話です」
「彼が、人を裏切ると」
「裏切るも何も、繋がりなんて無かったじゃないですか。我々と皇龍清明様には……ああ、もしかして皇都とは内々にご縁がおありで?」
蝦蟇貪は霧島を見返す。
「いえ?」
霧島は笑みを崩さない。
「まぁ、あっても言わないでしょう。言えないような、国や帝に関わる話をされているでしょうし」
「そんなことありませんよ」
「そう言うしかないことも、承知しております。まぁ、そういうことですので、皇都はいいのでしょうが、帝都なんてねえ、皇龍清明様に対抗なんてまず無理なんですよ。ある程度の繋がりや接点をかき集め、それがあやかしであろうと利用しなくてはならない」
「蝦蟇貪様は皇龍清明様に対して、懐疑的なのでしょうか?」
「懐疑的もなにも、懸念の話ですよ。これから先も都合よく、ご自身の判断であやかしを討伐し続けてくださるなら、何にも言うことないですよ。でもねえ、皇龍清明様が敵対した時が一番困るのに、皆そこを考えないから。なんでか、皇龍清明様はずっと帝都にいますしねえ」
「私もそれ、不思議なんですよねえ。皇都が粗相をしたわけではないと思うのですが……」
霧島は首を傾げた後、「なぜ、枯賀末理を帝都に寄こさないんです?」と笑みを崩さず問いかけた。
「彼女の異能は、中々興味深い。あやかしの世界に向かって生還したこと含め、色々とおうかがいしたいのですが。何度もお願いをしているのに……お返事が無く」
「知りませんけど、伊能がやってたんじゃないですかねえ。枯賀末理の上司、ご存じないかもしれませんが富山って言う、伊能が世話になった男なんですよ。富山は富山でねぇ、戦闘局にいましたが、部下や仲間に死なれてねぇ、気が滅入りっぱなしで異能も大して役に立たないもんに変わるくらいでしたから。部下に過保護な上司っているでしょう。あれの逆ですよ」
ハッと蝦蟇貪はバカにしたように笑う。
「私はてっきり、蝦蟇貪様が見ないふりをしていたのかと」
「何もしなくても見えづらくなってきてるんだ。わざわざそんなことしませんよ」
蝦蟇貪は自らの老眼鏡に視線を向ける。霧島は「そうですかぁ」と世間話をするような相槌をうったあと、告げた。
「でも今回は、来ていただきますよ。皇都に」
「いいんじゃないですか? 長くお願いをされていたのなら、一度、そういう機会があれば。でも期待外れの可能性は往々にしてありますけどね」
「ええ。でもあまり期待してない私の部下二名は、結構枯賀末理に対して好感触でしたので」
「そうなんですねえ。この年にもなるとああいう年の女の顔は見分けつかなくて。皇都のお二人はお気に召してくださったんですね」
「見た目ではなく、能力です。顔なんて関係ない」
「ああ、失礼しました」
蝦蟇貪は詫びる。霧島は「あまりよろしくないですね」と警告した。
「女性を鑑賞物のようにお話しされるなんて」
「そうですねえ。帝都の女ごときに何が出来るのか、とは、少々思っておりますので。皇都の女性は別ですけどね」
「それは貴方の本意でしょうか」
霧島は蝦蟇貪をジッと見据える。しかし腕時計の時間をちらりと確認し、「時間ですので」と蝦蟇貪の返事を待たず退出していく。
蝦蟇貪はしばらくしてからため息を吐き、煙草に手を伸ばす。
「めんどうくせえなあ、軍医まで出てきやがった」
「ご自身が枯賀末理に対する皇都の招集命令を握りつぶしてきたからでしょう」
「うるせえなぁ、お疲れですねくらい言えねえのかてめえはよお。ったく、俺の下にいる奴は何でみんな媚びることも知らねえ上の人間の顔を立てることも分からねえ馬鹿ばっかりで」
「蝦蟇貪様はお嫌いでしょう。媚びて、蝦蟇貪様の顔を立てる従者は」
「嫌いだなんて一言も言ってねえよ。俺は、三つ指立てて、承知しました、かしこまりました、申し訳ございませんって言う人間しかいらねえの」
「奥様、真逆では」
「人の女房に口出ししてんじゃねえぞ」
蝦蟇貪は煙草を大きく吸うと、煙をゆっくりと吐き出した。
「あーあめんどくせ、早期退職して適当なところで名誉ある椅子に座ってりゃ良かった」




