あなたへのねがい
枯賀末理に罵られながらも女子寮に向かうまでを見届けた水社一心は、大きく息を吐いた。
彼女が離れていくたびに、人々の心の機微による雑多な喧騒が始まる。目の前の簡単な所感から、内省、軍の機密情報や人間関係まで。
望んでもいない情報が流れ込んでくる道のりを歩いていると、背後に気配を感じた。
振り返れば、そこにいたのは皇龍清明だった。
『天将』という特殊な位置で軍と関わり、何百年と生きている、人ならざる者。
神と名乗らず、軍と一定の距離を持ち、あやかしと戦い、それ以外の何もかもが分からぬ存在を初めてまみえた時、心の中にある弔い、懺悔、自責の多さに愕然とした。
枯賀末理を通じて、皇龍清明の身に何が起きたかを水社一心は知ることが出来る。
枯賀末理は皇龍清明の過去と未来を知っているようだが、それは小説や何か舞台を見ての知識であり、小説や舞台には、全部が全部登場人物の心が記されているわけではない。
水社一心は枯賀末理との映画の会話で考えていたことがある。
その前世に自分がいられたら。
彼女の最悪の結末を辿ることはなかったのではないか。
歯止めになりたかった。
その願いの端に過っていたのは皇龍清明の自責だった。
自分が死ぬべきだった。
自分が死ねば良かったのに。
どうして自分は、一番大事な、愛した人間の役に立てなかったんだろう。
どうして大事な人間が死んだのに、自分はのうのうと生きているんだろう。
その気質は心を読まずとも枯賀末理の思考から断片的に知っていたが、それでも戸惑いを覚えた。
皇龍清明の思考に。
皇龍清明の想い人──枯賀末理の姉を見た時だって、皇龍清明は一瞬こそ、驚きという感情の変化が発生していたが、以降は長い自責と最果てに立つような覚悟だけ。
想い人に会えたことの喜びなんて微塵も感じられない。
次こそは生きていてもらいたい。
自分は欲を出さない。
結ばれたいなんて絶対に思わない。
この身がどうなろうと、絶対に生かす。
どうか幸せな天寿の全うを。
皇龍清明の想いはそれだけだった。
枯賀末理の考える物語をもとに水社一心は推測した。
皇龍清明と枯賀花宵は政略結婚により繋がりが生まれた。しかし今、そうした関係にはない。結婚がなされていれば皇龍清明が命を使い果たし死んだところで、枯賀花宵は未亡人となるし、そもそも枯賀家という大きな危険因子があったため、皇龍清明は死ぬに死ねなかった。
現在、それがない。
枯賀花宵は自立し、枯賀末理の考える脅威はあれど、それを知らずに自分の足で立とうとしている。水社一心が捉えた皇龍清明の心の声に、枯賀花宵の幸せに自分が組み込まれる認識も想像も、ない。
結果的に皇龍清明の、自分が生きて見守るという枷が消えた。
枯賀花宵は今でも十分幸せである。
ならば自分はその幸せを守るために生きなくてよい。
水社一心は考えた。枯賀末理の物語は、多様な人々の手に渡るものである。そんな物語に、激しい自己犠牲の念や自責の念を抱えた人間が登場するだろうかと。
沢山の人間の手に渡る前に、その部分だけ巧妙に隠されたのではないかと。
枯賀末理の前世について、水社一心は知っている。
だから水社一心は枯賀末理の名前を呼ばない。
枯賀末理と名乗る『彼女』が、自身を枯賀末理と認識しているのか判断がつかないから。水社一心が覚悟を決めた相手は、枯賀末理の身体を用いて枯賀末理の名を名乗り、姉を想いながら無鉄砲をする『彼女』だから。
そんな『彼女』は、前世で考えたくもない死に方をした。
自ら死を選んだ。
そんな人間が皇龍清明については、目をかけている。物語の中の皇龍清明の枯賀花宵への態度は、冷酷とまではいかないまでも、誤解を招く言動と行動が積み重なっているのに。
暗い部分で、共鳴しているのでは。
自らの死を願う部分で。
今でこそ、『彼女』にその兆候は見られない。お前のせいで心の中で罵りながら、嫌そうに自己犠牲を控える姿を見ると、水社一心は泣きそうになるくらい安心した。
皇龍清明には、途方もなく暗い願いがあるのでは。
最愛の人間を守りきれなかった罰を受ける。
最愛の人間の第二の人生が、完全なものとなるのを見計らって。
最悪の予想は、的中した。
水社家から連絡が来たのだ。一旦戻れと。ミヤシロ様の呼びだしは、軍の招集の重要度をゆうに超えることを、帝都退妖軍は理解している。帝都退妖軍・退妖対実地戦闘局相模の許可のもと水社一心が実家に戻れば、ミヤシロ神より報告があった。
皇龍清明についてだった。
苦しみながら、枯賀花宵の後を辿っていると。
もう死んでほしくない、生きていてほしい、守らなければ、本当に?
自分の欲で追っているのではないか。
そうした問答を繰り返しながら花宵を見ている、どうしたものかと相談を受けた。
水社一心は悩み、ミヤシロ神はそんな水社一心の心中を読み、答えは出なかった。
そして、枯賀花宵に危機が訪れた。
水社一心は目の前の皇龍清明を見る。なんの感情も動いていない瞳だ。
しかしその心中は、枯賀花宵の身に起きた危機的状況の発生により、自分の思考が枯賀花宵の追尾を正当化するようになる前に、自らの霊力を枯賀末理にすべて注ぎ、彼女を強き者とし自分が死ぬという歪んだ希望が渦巻いていた。




