美浜麗子
見合いに関して、霊力も異能もない自分は、女として──と一瞬でも考えた自分は、なんて失礼だったのだろうと、輝宮寺と交流があった印刷所の夫婦に謝罪したかったが、花宵はやめた。
夫婦にとって自分は輝宮寺啓介の最後の見合い相手。その相手が打算で見合いを受けたなんて知れば悲しむ。見合いの日にやってきたのはあやかしだったが、それでも。
花宵は夫婦の話を聞きながら、輝宮寺啓介のような経営の在り方があると知った。
異能や霊力がすべてではない。末理や水社家から貰った存在の承認。その承認を経た、霊力や異能が無い人間が夢を結んだ先駆者が、輝宮寺啓介。
そういう経営を、そういう仕事をと、花宵の中にある誰かのためにという事業の中に、一本太い骨組みが宿った瞬間だった。
お金のことばかり考えるなんて。
お金を稼ぐなんて。
綺麗ごとと言われようが、忌避感はあった。自分は水社家に養われている。その恩を返すため、妹を養うためという建前がないと、自分のような人間がお金を稼ぐなんてと後ろめたさがあったのだ。
でも、輝宮寺啓介の話を聞いて、そういった後ろめたさが消えた。
経営も稼ぐことも、あくまで手段。それ以上もそれ以下もなく。
お金をたくさん得ようとも人は変わらず生きようと思えば生きていける。
大切なのはお金の稼ぎ方とそれをどう使うか。
それに気づいてからは、事業への勢いも増した。印刷所の夫妻は、輝宮寺啓介だけを手本にするだけでなく、自分の美しいと感じる経営、こうありたいと願う人間の在り方を少しずつ取り入れていけばいいと話し、共に事業を行っている。
今は刺繍用品、文具、飲食物などの土産物に根差した商品展開を行っているが、一歩ずつ進展させ、時に後退する、失敗も重ねながら、もっと大きなことが出来たら。
花宵が希望を胸に秘めながら歩いていると、前から少女が歩いてきた。
女学園の学生服を着ている。花宵は学び舎に馴染みが無いが、奉公先で、仕事に無い書き物や帳簿の計算を押し付けられており、仕事で問題は生じてないが、教養面での劣りを自覚している。学び舎に少しだけ憧れもあったが、今はそうした羨ましさは薄れている。
自分にないものを、欲したに過ぎない。
かつての羨望は形を変え、妹の末理と共に学校に通ってみたい、廊下で末理とすれ違い手を振ったりしたいという、淡いものになった。
ぼんやり制服を眺めていると、少女と目が合う。見過ぎたと俯けば、「枯賀花宵さん」と少女は花宵の名を呼ぶ。
「えっ……」
「下働き出の分際で一心様と住んでいた女」
少女は嘲笑を隠さない。自分は知らない。一心様というのは水社家嫡男のことだろう。この少女は一体だれなのか。花宵は下働き風情と言われても全く気にならなかったが、水社一心に関して並々ならぬ思いをにじませる少女に対し、警戒を覚えた。
なぜなら、水社一心は花宵の妹である末理と仲がいいから。
もし少女が水社一心と関係ある女を恨むのならば末理もその対象になりかねない。
「大変恐れ入りますが、どちら様でしょうか」
花宵は気丈に少女を見返す。相手の年齢なんて関係ない。末理に対して同じような敵視をされたらたまったものではない。ただそれだけ。
「美浜麗子というお名前を一心様から伺ったことは無いのかしら」
「ございません」
花宵は即答した。水社一心は女の名前を口にしない。聞いたことが無かった。花宵に対しては「ちょっと」もしくは「あの」と呼びかける。末理に対しては呼ばず追いかけるか無言でついていく。水社一心が会話の中で「あいつは」と話すときは必ず末理であり、水社家でほかの家の娘の話をするときは、「あの家のご令嬢」「あの家の娘」と、壮年の男が年下の異性を呼ぶような距離を持つ。
花宵の言葉に、美浜麗子と名乗った少女は顔を歪ませる。名前を反芻し、ふいに水社家当主の言葉を思い出す。
水社一心に想いを向け、誘拐を企てた、令嬢の名前が美浜麗子だったのではないか。
かの令嬢は投獄されたというが、こうして脱獄したのでは。
事件を聞いた当時、花宵は末理の身を案じた。末理と一心は一緒にいることが多い。軍では部隊が異なるが、働く場所が一緒だし、末理が言葉を発せない以上、水社一心の心を読む能力が助けになる。実際、末理とのかかわりを深めてくれたのは水社一心だ。花宵は沈黙のうちに計算し、美浜麗子と相対する。このまま人気のない通りを進んでいき、近くの軍人に美浜麗子の身を預けよう。
博打は嫌いだが、ここで賭けないと末理に何があるか分からない。
ただでさえ、昨年、末理はあやかしに攫われた。狐のあやかしは末理を助けるために攫ったというが、そんなあやかしは稀だ。稀だからこそ狐のあやかしや鬼のあやかしが注目を浴びるのだ。
「もしよろしければ彼の元にご案内しましょうか」
花宵は問う。しかし少女はふいに視線を逸らした。
「夕日……」
憎々しげに沈みゆく陽光を睨む。年が明け、日の沈みは早いままだ。美浜麗子は先ほどまでの悠然とした表情から、口角を上げ「お前の時間はもう終わりにゃあ」と笑った。美浜麗子まるで猫のように瞳孔が縦に伸びていく。
「貴方は誰?」
花宵は美浜麗子に問う。
「美浜麗子にゃ」
「違う」
全く知らない女だが、声をかけてきた女と今、目の前の女が全く別の存在であることだけは、はっきりと分かった。




