新・ミヤシロ様まんじゅう
そう考えて、水社一心の顔が浮かぶ。あいつが持つ私への忌避のような意識は、水社一心の認識として、自分は恵まれた環境にいたうえで、私に対して色々言うことへの自問自答だったのでは。
水社一心もどう考えても事情のある人間だ。自分の母親が言葉を悪く言えば生贄になっていて、その生贄を享受する邪神よりの存在は生贄の仕組みに誰より心を痛めていて、生贄なしでいればミヤシロ様はいずれ消滅する。
消滅すれば水社家一体の水回り──といえば軽く聞こえるが、水の均衡が潰えることになる。人や神でもどうにもできない自然による災害ではなく、霊力由来の水に関する災害が増え、ミヤシロ様はあやかしに対しても一定の抑止になるので、あやかしの被害も増える。
人間を生贄にすることは倫理に反するが、そうしなくては人が大勢死ぬ。
そうした中で、水社一心は母が生贄になりながら、その生贄を得ているミヤシロ様の自責も知って生活していた。あいつの環境も中々のものだろう。感謝されても結局、「生贄のおかげで生活できますありがとう」なわけだし、感謝されないならされないで複雑だろうし。
あいつ、今じゃ死ぬほど色々煩いけど。
小さい頃、煩くできなかった反動もあるように思う。あいつもあいつで、埋まりきらない、欠けたところはあるのだろう。だからといってモラハラはアウトだが、今は原作ほどしてないだろうし。原作のあいつは完全に終わってるけど、今のあいつの場合は、「人が無自覚にしてしまうモラハラっぽい言動はするだろうが」という前置きをつけてもよさそうな感じはある。まぁ、結局、身内贔屓の目なので、私の認識は正しくないだろうが。
「……おはようございまーす」
紙袋を抱えた真原さんが管理局に入ってきた。
「おぁござーぁ」
福野さんの完全簡略化大脱力挨拶を返した。富山局長は「おはよう」と返す。私は会釈で返した。
「枯賀の新年のあいさつです」
そして福野さんはハッキリとした発音でミヤシロ様まんじゅうを紹介する。薄々疑惑を持っているけど、福野さんは突発で相手から挨拶された時、応答にラグが出るタイプなのだろう。自分の中にある定型文は出すのに時間がかからないというか。
「おーあれやんな、前に持ってきてくれたやつは、あんこで、今回、洋の味で、あれか、生地もちゃうみたいな?」
真原さんが包装紙を見て一発で仕様を当てる。そう、今回のミヤシロ様まんじゅうは、お姉様が屯所に来た時に持ってきてくれたものと別バージョンである。
昨年、お姉様はお姉様は千年桜は恋と咲くと異なり、和風シンデレラ溺愛軸ではなくどう考えても一人で領地経営モノをやってるようにしか見えない実績を立てていた。
そして、それが加速していた。
冬物を届けに来てくれた時は、和菓子屋とコラボしていたが、また色々あったらしい。流れはこうだ。
和菓子屋と直接契約している農家が複数ある。
農家は和菓子屋に納品するため作物を育てる。
ある程度、収穫できる数を計算するが、完全にコントロールできない。
納品出来ないのが一番駄目なので多く作るが、大豊作になったらなったで和菓子屋が買う数は一定なので困る。
多く出来た分安く売ることもできるが、安く売りすぎるとその値段でしか人が買わなくなるので困る。
なおかつミヤシロ様コラボで水社家付近の和菓子屋が儲かり始め、農家への作物の契約が、主に取引の数を増やす方向性で見直し希望となったが、豊作の場合を懸念した農家が「ちょっと厳しい……」ということになっていたところにお姉様が入ったのだ。
大豊作になった時だけ、ミヤシロ様饅頭の新味を出すという案である。
たとえば檸檬が豊作であれば、檸檬フェアを行うというもの。
ある程度、想定通りの収穫量が出来た場合は実施せず、希少性を上げる。
沢山出来ても大丈夫にするというものだ。
一方で小豆の餡子に新味を追加するとなると、味の相性の問題が出るので、西洋風の生地に西洋風……クリーム餡でどんな作物にも対応できるように、西洋風饅頭が登場した。
さらにここに、とある経緯がある。
和菓子屋は元々近隣の洋菓子屋と相性が悪かった。「西洋かぶれ」VS「排他的赤字すれすれ」という悪口の応酬が行われていたのだ。和菓子屋は御年70歳のおじいさん。洋菓子屋は40歳のおじさんで、発端は和菓子屋が洋菓子屋の店に出向き細々嫌味を言ったことが発端である。西洋かぶれはその時に発された直球の悪口で、鎖国赤字すれすれは、和菓子屋が百貨店への出店を拒み、店が賄える程度の収益で続けていることを揶揄したものだ。長年膠着状態が続いていたらしいが、今回の件で和菓子屋が農家の為に頭を下げ洋菓子屋に教えてもらいにいったらしい。
どこまでお姉様が和菓子屋と洋菓子屋の交流に関与したかは分からないが、多分助力したのだろう。
元々お姉様は気にしいである。そして他人の為に何が出来るか考えるのが得意。
自分のことが嫌い、自分については否定的な思考が高速回転してしまうが、他人については肯定の思考が高速回転する。自責の為に研ぎ続けていた刃が、他者を助ける刃になるのだ。




