狐の一芝居
口に嵌められた枷が、頬を貫き本音をかき消していく。
視界によぎる枯賀末理と水社一心の驚きに満ちた表情に、野狐禅は自らの計画の完遂を知る。
口枷から伝う呪いの念によりかき消されていく思考の中、野狐禅は瞳を閉じて雨を想う。
、これから向かうは地獄の一本道。
地獄で雨が降るならば、それは自分にとって最たる祝福であり──罰であると。
なぜならば、雨の中で野狐禅は彼に出会えたから。
輝宮寺啓介という、生きている間は名前すら呼べなかった男に。
枯賀末理の血を舐めたことで、その前世を詠み、なおかつ「千年桜は恋と咲く」と呼ばれた物語を知った野狐禅は、同時にもう二度と輝宮寺啓介を蘇らせることは出来ないことも思い知った。
受け入れがたい。
しかしその事実から逃れたならば、自らを生み出したあやかしの祖と変わらない。
自ら想い人を殺め、その咎から逃れ続け三百年を費やした男を間近で見ていた野狐禅は、その男がどれほど強大な力を持っているか知っている。千年桜は恋と咲くという異なる世界の筋書きならば打ち倒すことは出来ただろうが、それにはいくつもの犠牲が伴う。
なおかつ──枯賀花宵の覚醒は、暗天妖王を打ち取るにあたり、何より重要なことであった。
それを、物語を良く知る枯賀末理が知らないはずがない。一方で枯賀末理の記憶からは、姉の覚醒に対する迷いが見られた。枯賀末理の記憶から推察すれば、枯賀花宵が覚醒をすれば暗天妖王が三百年前の彼女の輪廻転生に気付く。
頑なに喋らない姿勢も、手段を選ばない戦い方にも、察しがついた。
自分の命を犠牲に、世界に調和をもたらそうとしている。
枯賀末理の記憶にあるのは、枯賀花宵と共に物語ではない現在の水社一心の姿があった。水社一心は物語の中で鵺に殺される。それだけではない。鵺と共にやってきたあやかしの大群により、大勢の人間の命が失われる。
輝宮寺啓介は舶来品を取り扱っていた。
つまり港は輝宮寺啓介の思い出の場所にもなっている。
守らなければと野狐禅は考えを巡らせた。
鵺を倒さなければ。
鵺を伴うあやかしを倒さなければ。
そうして、酒呑童子に白羽の矢を立てた。
酒呑童子の気質は理解している。軍に向かうようそそのかし、枯賀末理に引き合わせればいい。枯賀末理の気質はある程度理解している。目的のため合理的な手段を取ることはあっても、管理局の人間を見捨てられなかったように、結局人を助けに動く。
しばらくしてから、自分が枯賀末理を攫う。あやかしの世界にいるあやかしと共に襲撃し、のちに鵺と共に現れるあやかしを減らす。
枯賀末理をあやかしの世界に置きながら、自分は軍に接触する。
軍にとっての討伐目標を自分とし、酒呑童子を利用した策が最善手であると──軍の人間が思いつく様に。そこで選んだのが伊能だった。
自分に、輝宮寺啓介の名誉を傷つけたと教えてくれた人間。
あの男ならば、酒呑童子を利用する策を思いつくだろうと。
後は時期が来るまで酒呑童子がここに入ってこれないよう細工をし、暮日村に門を繋いでおけばいい。
計画は上手くいった。自分より劣っているとはいえ、局長格数名と酒呑童子ならば鵺を打ち倒し、あやかしを退け人間の世界に帰還することも可能だ。
気がかりの呪具は──自分で請け負う。
酒呑童子は、人間と共に戦わせる。そうすれば物語の中で必要とされていた犠牲も、ある程度減らせるはずだ。少なくとも枯賀末理が死ねばなんとかなるような危機にはならないはず。
禍々しいくらいに鮮やかな紫が視界に滲むなか、野狐禅は口枷の裏で笑みを浮かべた。
彼の最期を汚してしまった自分が、彼と同じところに行くことは出来ないだろう。
どれほど償えば、再会を願うことを許されるのだろう。
地獄で雨が降るならば、それは自分にとって最たる祝福であり──罰である。
だって、雨はあなたに会えた。




