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千年桜の断片を掴むのは

 水社家にて。


 枯賀花宵は、軍に向かう前、枯賀末理が使っていた部屋に座っていた。


 視線の先は何もない。


 思い詰めた表情でただ一点を見つめていた。


 どうして自分には異能がないのか。霊力がないのか。


 自分に力があれば、妹があやかしに攫われずに済んだのではないか。


 自らを責め続ける花宵の元に、足音が近づいていく。


「花宵様、末理様の職場の方がいらっしゃいました」


 障子越しに声をかけられ、花宵はハッとする。声は水社家の爺のものだ。水社一心の父であり、現水社家当主、水社心慈の幼少より水社家に仕え、傍目に見れば下男の立ち位置だが、水社家への発言権はそれなりにあり、水社夫妻の留守を守る花宵のため、残されたのが爺である。


「あっ、すぐに参ります」


 花宵は立ち上がり、部屋を後にする。急いで玄関に向かうと、そこに立っていたのは帝都退妖軍の福野だった。妹に進展があったのか。花宵は期待するが福野は花宵の期待をよそに、なんの感情もない目で花宵と爺を見下ろす。


「福野です」


「えっと、よ、ようこそおいでくださいました……えっと、な、中へ……」


「どうも」


 福野は爺と花宵に軽く会釈をした。


「いっ、今お茶をお持ちします……えっと」


「花宵様、茶と菓子は爺が準備しますゆえ、どうぞお話を」


 焦る花宵に、爺が助け舟を出す。花宵はすぐに感謝し、爺は奥へと入っていった。


「えっと、す、すみません、あ、あ、あの、妹のことで、なにか……」


「何もないですよ」


 福野は平坦な調子で答える。進展が何もない。花宵は胸が張り裂けそうなほどの悲しみに襲われる。自分が代わりに攫われていたら。心の底から思うが、攫われるほどの価値なんて自分にはないと、感情的な自分を責める思考がよぎる。


 そうだ。自分に価値なんてない。だからこそ自分は今、待っているのではなく行動すべきではないか。価値のない自分だからこそ、こんな命、捨ててしまえるのだから。


 花宵の心に濁った希望が芽吹いていく。


「何かあったら大変ですしね」


「え?」


 花宵は福野の声にハッとした。花宵は奉公先で、すぐに機嫌が変わり発言が二転三転する主と関わってきた。ため息ひとつで相手の感情を読み取らないと生きていけない環境ゆえに、花宵は相手の一挙一動を過剰なまでに気にしてしまう。自意識過剰であることそのものが、花宵の生存戦略だからだ。


 しかし福野の声は、感情が何もなかった。人は本来、その声音に人柄も今の感情も滲む。にも関わらず福野には何もない。


 うすぼんやり。


 ふいによぎる印象に、花宵は相手に失礼だと思いなおす。


「枯賀は、ああ、お姉さんも枯賀か……えっと妹さんは、すごく、お姉さんが大事らしいので、こうしてこの世界で何もないってことは生きてるだろうって。枯賀連れ去ったあやかしは、人を食べる感じもなく。襲われた人間にあまり言いたくないですけど、攻撃はしてなかったんですよね? 野狐禅っていうか、輝宮寺。あれ中身あやかしだったんですけど」


 福野の言葉に花宵は夏の記憶を巡らせた。


 夏に見合いを受けた。妹の為に自分に出来ることはないかと考えてのことだ。あの後、「そんな身売りみたいなことしてほしくなかった‼」と花宵は水社夫人に叱責を受けた。今まで水社夫人に怒られたことのない花宵にとって、衝撃的な出来事だった。


 その見合い相手の輝宮寺が、あやかしを伴い花宵を攫おうとした事件があった。花宵はそばにいた妹が大丈夫かと不安になり、自分のことは二の次だったが、今思えば不自然だった。輝宮寺……の姿を借りていたあやかしは、見合いの後になって花宵を攫おうとした。


 花宵は自分のことながら考える。


 二人で街を歩いていた時に攫うことも出来たはずなのに。


「あのあやかし、行動原理がいまいち読めないんですよね。戦闘力はかなり高いようですし、霊力を感じ取った富山局長……強い人が、すごい無茶するくらいなので、たぶん、殺せるんですよ。みんな……この間も、港であやかしの襲撃があったでしょう」


 福野の言葉に、花宵は記憶を巡らせた。


 先日あやかしが港に襲撃するという事件があった。内容については言伝や新聞で知っていたが、妹の末理の消息不明に気を取られ、どこか別の世界で起きたように感じていた。


「枯賀を──えっと、妹さんを本気で殺したりしたかったら、普通に、そのまま殺すし、攫うってことはその場で出来ない何かをするってことだと思うんですけど、だとしたら軍の邪魔が入るなんて当然だし、今、軍に居候中の変なあやかしもいるので、色々本気だったら、俺なんかここに来れないんですよね。普通に、殺してる。殺せる機会はいくらでもあるし、それこそ、枯賀の言うことを聞かせるために、少しくらい痛めつけてもおかしくないはずなんです。でも野狐禅は、小型のただ連れてきて煽ってるだけっていうか……」


 福野はさも当然のように話す。


 花宵は自らの死を語る福野に恐れを抱くが、妹の生還の希望も見え、視線をさまよわせる。


「妹さんが……」


 福野は言いかけて、言葉を止めた。


 明後日の方向をしばらく凝視し、動きまで止めている。


「お姉さんに言うのもあれですけど、無茶苦茶なことするので……見に来ました。今、危ないの、多分妹さんじゃなくてお姉さんでしょうし、だからまぁ、なんかあったら大変だなと思って、来て」


「え?」


「枯賀のお姉さんだから」


 福野は呟いて、それまで一点を見つめていた視線を花宵に向けた。


 枯賀のお姉さん。


「私は、あの子の、姉……」


 自分はそう思いたかった。


 けれど異能も無い自分がそう思ってもいいのだろうかと、誰にどんな励ましを受けても、励ましを受けたからこそ自分は自分を驕ってはならない。他者に優しくされた分だけ、つけあがらないよう、花宵は自分を諫めていた。


「そうですね……」


 こんな時も、自分は自分のことばかり。


 妹が攫われてもなお自分は自分にこだわっていたのかと、花宵は俯く。


「枯賀が、あやかしの世界から帰ってきて、お姉さんに何かあったら、ややこしくなりそうだし」


 そして、妹が帰って来ると、祈りではなく想定している福野に安堵した。


「そうですね。あの子が、帰ってきて……心配かけるわけには、いきませんね」


「はい」


 福野は事務的な態度で頷く。


「花宵様」


 廊下から足音が響き、爺が戻って来た。


「あの、末理様の職場の方がもう一方……」


「え」


 花宵が驚くと、爺の後ろに真原が立っていた。


「どうも、ご無沙汰しております。真原です……すみませんうちの者が突然おしかけてしまって……」


 真原は笑みを浮かべると、福野の肩を掴み、廊下に引きずり出そうとする。


「お前何やねん黙って水社家突撃て頭おかしいんか、今、酒呑童子匿ってたんちゃうかって上から目つけられとんねんぞ」


「いやでも、枯賀のお姉さん、滅茶苦茶な可能性あるじゃないですか。妹探すためにあやかしになったら大変でしょう。あやかしになって妹連れ戻すみたいな言い出して、枯賀が戻って来た初仕事がお姉さんの討伐になったら枯賀、帰って来る意味なくなる。死んだほうが良かったくらい思うでしょ」


「そんなんデカい声で言うなや‼」


 二人の口論に、花宵はさらにハッとした。


 自分には力がない。だから力があればと願っていたが、それはあやかしの道に近づくことだったかもしれない。花宵は快炎があやかしになったことについて悩んでいた時、水社当主に言われたことがある。


『力を求めすぎたところがあるのかもしれない』


『力は幸せや権威、富をもたらしてくれるとされるし、実際その通りだ』


『でも決してそれだけじゃない。代償も責任も伴う』


『力が無くても、出来ることは沢山あるのにね』


 力を求めすぎた結果、枯賀快炎はあやかしになった。


 そして自分が無いものを求めるあまり、あやかしになったとして。


 それで妹を助けられたとしても、その自分の始末をするのは、自分ではなく、妹になる。


「あと、神様がいるって言うじゃないですか。神様も不安かなと思って。話でもしに」


「お前神様とかちゃんと認識あったんやな」


「ああ、ありますよ。だってほら、水社少尉、水、ぴゅって出すじゃないですか」


「ピュの規模やったことなんか一度たりとも無いけどな。そんな水道の蛇口みたいに言うてるけど……失礼な」


「水道の蛇口失礼なんですか?」


「水社家の水は神の水やぞ‼ あやかし祓える水や‼」


「そうなんですね。へー。でもなんか、あれですね、水社少尉、なんか、教祖感ない」


「お前、それ西で言うたら不敬で処刑やからな」


「不敬で処刑って音の感じいいですね。不敬で処刑」


 そして二人のやりとりに、少しだけ心が楽になった。


 妹が本当に危ない状況ならば、こんなやりとりは出来ない。


 ならばきっと、希望はある。






 福野の意向で、花宵は軍人二人を水社家の祠──ミヤシロ様の元へと案内することになった。水社家は、正門から入ると水社神社と呼ばれる地域住民の参拝場所や神事を行う建物がある。その裏手には限られた者しか入れない中扉があり、そこがある種、水社家の玄関だ。


 そこを越えると、大きな池、水社家の邸宅とある。私的な土地だ。


 祠で暮らすミヤシロ神は、過去その力を大幅に失くしたことで祠から出られぬ状態であったが、現在では住民たちの前に顔を出すこともある。とはいえ、心が読める性質上、地域住民とのかかわりを濃くし過ぎても疲れてしまうため、週の半分は祠で過ごし休息を多めに設けていた。


 花宵はミヤシロ様に負担がかからないよう、配慮しながら二人を案内したが──、


「へえ、ミヤシロ神ですかぁ、初めまして、福野と申します」


≪お、おお≫


 福野を前にしたミヤシロ神は、明確に戸惑っていた。


「どうされましたかミヤシロ神」


≪いや……き、貴様、我が神であることを、理解はしているんだな?≫


「……はい」


≪神だから……自然生物じゃないぶん、ふ、ふ、触れてもいいみたいな発想に、至ってる……か?≫


「はい」


≪なぜ≫


「足が短いからです」


「お前神様やぞ‼ 失礼な!」


「足が短いことは失礼じゃないッ」


 真原の叱責に福野が即答した。


 ミヤシロ神は自分の足を見てしょんぼりしている。


 ミヤシロ神は水を司る神である。古来より神の姿は、神の在りたい姿で顕現しているとされているが、ミヤシロ神の姿は伝書に様々だ。かつてのミヤシロ神は子供の姿をしていたと語るものもいれば、小さな竜であったと話す者もいる。それはミヤシロ神がどうすれば人と心通わせられるかと苦心したゆえ──というのが今代の水社家の考え方であった。


≪でも、貴様は、我を、心配もしてるな……ど、独特な、読みづらさがあるが……≫


「独特なんですか」


≪か、かなり≫


「枯賀とどっちがですか」


「おい‼ お前、お姉さんの前やぞ‼」


 福野の問いかけにミヤシロ神が応える前に、真原が注意した。


「自分がおらん時に他人に聞かれとっても嫌やろ。なんでお前ミヤシロ神には聞いてん」


「だって水社少尉は、言ってるじゃないですが。枯賀が何を思ってるか。大体のことは。水社少尉がどう返してるかで想像つくけど、枯賀が水社少尉には知らせないようにしてることもあるでしょ。なんか危ないことだったら、ミヤシロ様も、一人で抱えてるのしんどいだろうし」


 福野はミヤシロ神を見据える。


≪まぁ、両者の気持ちは分からんでもない。相手の心を勝手に読んで知らせることも、我は本意ではない≫


 ミヤシロ神は真原を見た後、続けた。


≪危ない……のは今に始まったことではないが、あの娘は……大人でも出来ない決断をするが、根幹はかなり幼い気もする。子供の衝動で、大人が思いつくようなことをしてしまうし、大人の持つ保身がない。だから、危ないが……夏に帰ってきたときは、ためらいがあったぞ≫


「え」


≪初めて会った時は、正直助けてもらったとは言えど……自分はどこにも属してない絶望を持ちながらもこちらに手を差し伸べるところに、畏怖すら覚えた。一歩間違えたら、あの娘は確実に災いをもたらす。世界を、壊そうと思えば壊してしまえる。多くの人を殺してしまいかねない、そういう、絶望を持っていた。絶望の原動力を、奇跡的に、我やミヤシロの者たちを救うということに向けていたにすぎない……≫


 ミヤシロ神の言葉に、福野と真原は黙った。


≪しかし、夏に帰ってきたときは。躊躇いが生まれていた。軍に向かい、離れていた分、水社家や姉への関心は増していた。それは……貴様らとのかかわりが影響している。そして、そこにいる娘、水社の者たちとのかかわりもだ。かかわりは、年月が伴う。その瞬間、相手と繋がれずとも、疎遠になっても、離れている間の年月で縁が深まることもある。あの娘には多くの因果が重なっている。それが、あの娘が身を手放す一歩を縛っている、引き止めているとも言えよう≫


「なら、俺らの言葉、届いてるかもしれへん言うことですか」


≪全く届いていないことはないだろう。言葉も思い出も、何かあった瞬間も、何もない瞬間も、後になって効いてくる人間はいる。誰も彼も、その場その場で物事を受け止められる人間ばかりではない。ゆえに、言葉や時間、記憶は侮れぬ。それこそ、異能や霊力を簡単に凌駕する。異能や霊力を扱う者には心がある。その心を変えられるのは、言葉や時間だ。それらは、力や特別であることなんて、関係がない。だらこそ、我は──我には、今がある≫


 ミヤシロ神は俯いた。


 かつてミヤシロ神は周囲からの関心の薄さによりその神格を大きく落とし、弱体化した。


 ミヤシロ神が求めていたのは、人々の関心。


 絶対的な信仰ではなく、ささやかな承認を欲したのだ。


 枯賀末理が捧げたのは承認ではなく霊力であったが、一時的にも持ち直した。その後、花宵がミヤシロ神と地域の繋がりを模索し、今に至っている。


「花宵様、あの、もう一方……末理様の職場の方が」


 爺が祠の扉を開いた。


 今度は郷田と名乗っていた軍人だった。


「緊急招集だ。早く戻れ。武装準備が完了次第、暮日村に出発する」


 その言葉に、福野と真原が互いを見合わせ、顔つきを変えた。


「じゃあ、俺たちはこれで」


 真原は断りを入れるが、福野はそのまますいすい去っていく。


 花宵は「お見送りは私が」と、爺とミヤシロ様に伝え、祠を後にしながら、軍人たちの元へ駆ける。


「力が無くても、特別じゃなくても、私に、出来ることを──」


 花宵は呟く。


 妹を助ける力は、無い。


 それを認めたうえで、助かった末理を迎え入れる努力をしよう。


 何もしないことは怖くて、辛い。


 自分に出来ることを見定め行動すること、待つという苦痛に耐え忍ぶことと、待つ苦痛から逃れるために行動へ逃げること、全部違う。今の自分に必要なのは、力を求めるという楽に逃げず、妹が帰ってくると信じぬくこと。


 ただ待ち、助けてもらえるのを待つなんて。


 そう思う自分を押さえて、自分も他人も信じる。


 花宵は、最後に見た末理の姿を思い出す。


 帰って来るなんて一言も言わなかった。声にしなかった。だから勝手な解釈をしてはならない。


 自分がそう思いたいだけ。


 そこで閉じていた思考を、また動かす。


 己に優しい真実に対して目を背けていた内なる自分の肩を、しっかりと押さえながら。


 末理の目を、思い出す。


「あの子はちゃんと、帰って来る」


 そう、決意を固めた瞬間、右手に熱を感じた。


 桜の花吹雪が脳裏に過り、見覚えの無い銀の髪をした男性らしき姿が映る。


 守りたい。


 そう願って、手を伸ばした感覚が蘇る。


 桜の花びらを一つ、手に取ろうとした瞬間。


「それはまだ、だめ」


 りん、と鈴の音が響く。狐耳を持つ妖艶なあやかし──野狐禅が花宵の右手首を掴んでいた。


「貴女は──」


「怖い思いさせちゃって、ごめんなさいね」 


 野狐禅は花宵の前髪をなぞる。「なんてね」と笑った。


「貴女の恋は、きちんと咲きますように──」


 野狐禅の言葉を合図にするかのようにして、花宵の意識がくらむ。




「花宵様?」


「あれ、私──」


 爺に呼ばれハッとした花宵に、野狐禅と相まみえた記憶は消えていた。


 ぼんやりとする花宵や、その身を案じる爺、屯所に走る軍人三名を眺める野狐禅は、物陰で一人笑う。

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― 新着の感想 ―
水社マッマ流石…!!お姉様のこと怒ってくれて良かったお姉様ショックだったかもだけどそれだけお姉様のこと大事なのよ…。福野さ〜ん!!福野さん!!ほんとに!!マジでナイス!!お姉様危なかった…!!お姉様た…
やった〜福野無双回(笑)。 たじろぎ、しょんぼりのミヤシロ様可愛らしい(笑)。 そしてお姉様側を知ると悲しいかんじになりますね、交流不足すぎる… なんかこう、末理さんの朝食の卵焼き係!とか、決まっ…
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