ドブ煮込みwith野狐禅
迫りくるあやかしを倒しながら、大寝殿の中へと突入する。
中は、現代であれば文化遺産として登録されていそうな平安時代の大貴族が住んでいた建物ぜんとしているが、警備なんてない。この世界はドブ煮込みが意図的に誰かを招かないかぎり来れないから。
辺りはあやかしが蠢いているが、別にドブ煮込みを守っているわけではなく、ドブ煮込みの執着心が瘴気を生み、そこからあやかしが現れているにすぎない。海沿いで発生する雲、そこから降る雨みたいなものだ。セキュリティシステムがそもそも存在していないので、派手に戦っていてもバレないだろう。それにあいつは、三百年前のお姉様を延々と見ている。そしてお姉様を永遠に自分のものとする計画のもと研究を続け──「俺は悪くない」という自己保身を繰り返す。
ぶっ殺してやりたい。
その力があったなら。
私はやがて外塀に囲われた庭に転がり出た。
砂利の上、枯山水を荒らしながらあやかしを叩き切っていると、白檀が香る。
千年桜は恋と咲くにおいて、お姉様が好きと言っていた香りだ。甘くてすっきりしている、と描かれていた。前世では白檀の香りなんて楽しむ生活なんてしていなかったけど、この世界に来て「そういえば」となった記憶がある。
でも、
「勝ってくれたら、いつか迎えに行く彼女を守る栄誉を与えてあげようか」
大寝殿の御簾越しに声をかけられた。
ゆったりとした低い声。
顔こそ窺えないが、正体は知っている。
こいつここで殺そう。
姿見えて気が変わった。
私じゃ勝てないじゃない。ここで今すぐ殺せば水社一心を殺す鵺もどうにかなる。こいつから霊力供給してるし。こいつが大元の原因だ。水社一心が殺されるのも元はといえばこいつのカスの自己保身。こいつが例え悪くなくとも、三百年前にお姉様を殺し、のちに間接的にでも水社一心の死因になる時点で生きてる価値なんてないし、仮にこの世界の人間全員がコイツの価値を認めようとも殺してやる今ここで。
御簾越しに佇むドブ煮込みに斬りかかろうとして──
「暗天妖王様」
御簾の手前にどこからか現れた野狐禅が立つ。そのまま彼女は笑みを浮かべながら、御簾の向こうのドブ煮込み──正式名称、暗天妖王に声をかけた。こいつちゃんと苗字あるくせに。何が暗天妖王だよ。殺すぞ。
「この者はあやかしではなく人間にございます」
「ほお、お前が招いたのか、野狐禅」
「わたくしが暗天妖王様からお伺いしておりました、この世界の裂け目がありますでしょう。どうやらそこから迷い込んだようなのです」
「偽りはないな」
「勿論でございます。しかし、迷い込むだけの胆力があるようで、ただ殺すのもと、屋敷に置いておりましたところ……暗天妖王様の御前まで入り込むとは」
「ふ」
暗天妖王は喉奥で笑う。
気持ちわりい死ねよ溺愛ヤンデレ彼氏面しやがって。ヤンデレの風上にもおけねえ、ドブ煮込みが。キモいとただ盛り上がるためだけの既製品かぶれ。死ね。
しかし野狐禅の登場時で、頭が冷えた。私がフル出力で異能を用いても、焼き殺せない。何かしゃべろうとした瞬間に殺されるだけだ。ここで死んだら鵺も殺せない。
「捕らえ──わたくしのほうで色々試しをしようと考えております」
「試し?」
「ええ。こちらから現世に向かう流れはまだしも、向こうから人が誘われる流れは、煩わしいでしょう? どうやらこちらより西の──あの一等高い黒柳に、霊力の乱れが見られますゆえ、そちらと現世の山……現世では暮日山と呼ばれる山の最深に、繋がりが発生しているようなのです。この人間も、その山の繋がりを辿りこの世に訪れたならば、流れを変えられるのではと」
私は暮日山から来てない。
金槌山にいたところを野狐禅に攫われたのだ。一体何を考えているんだ。
「暮日山は──人曰く、最深部には──あの世と此の世──此岸と彼岸を繋ぐ川が流れているとの話で
したが、なにか、お心当たりは? 暗天妖王様」
暮日山の最深部……?
千年桜は恋と咲くにはそんな設定ない。
「現世は……変化が早い。少し目を離せば、栄え、滅びる。さして変わらない景色も増える」
「では、どこか思い入れのある景色に、水の流れはございませんか」
「……何が言いたい」
御簾越しに、暗天妖王が聞き返す。
「何が、とは」
「先ほどから、なにかこちらを探るようだ」
「とんでもございません。ただ私は、知りたいだけです」
「人間の男の魂を、そうまでして取り戻したいのか」
「……っ、何故、そ、それを」
野狐禅は狼狽えた。
暗天妖王は、千年桜は恋と咲くで酒呑童子がお姉様と仲良くなるのを見ていた。そして乗っ取った。つまりこのあやかしの世界から、酒呑童子など三妖士の同行を監視していた可能性がある。
「……咎めるつもりはない。こちらの目的の邪魔さえしなければ、好きにしていい。それに──」
暗天妖王は二の句を紡がない。
人間に惹かれる気持ちは分かるとでも言いたいのだろうか。
三百年前のお姉様は人間だった。今も人間だ。
そして暗天妖王は上位存在。自分を選ばれし者だと考えていたし、実際その通りだ。国から重用されていた。皇龍清明様は落ちこぼれだった。
「三百年、俺は続けている。失ったものを、再び取り戻すために。お前の存在で、なにか変わるのであればそれに越したことはない。お前は自由に動ける。俺と違って」
失った?
お姉様をまるで元から持っていたかのような言い方に手のひらを握りしめる。
お姉様はお姉様のものだ。たとえ誰かのものになったとしても、それはお姉様が決定しなければならない。そして──お姉様が決めたことだろうと、私は絶対に、暗天妖王を許さない。
殺意を隠しながら様子をうかがっていれば、野狐禅はこちらに振り向いた。
「ええ、私は暗天妖王様にこの身を賜わりましたゆえ、その恩に報いなければと常に心に留めおいております」
野狐禅は御簾から私に視線をうつし、手をかざす。
刀を構える前に視界が黒く塗りつぶされた。




