枯賀末理はだれのもの
「出てこい! 野狐禅!」
酒呑童子は海沿いを目指しながら金棒を振り回し、あやかしを吹き飛ばす。飛ぶあやかしの頭部を掴むと乱雑に地面に叩きつける様子は、まさに処刑だった。
「相変わらず乱暴ね。口枷でもつけてしまえばいいのに」
しゃらん、と神楽鈴のような音色が響く。
酒呑童子のすぐそばに、黒い瘴気を伴った野狐禅が現れた。
「俺の雑魚はどうした‼」
「雑魚?」
「枯賀末理だ」
「枯賀末理がいつ貴方のものになったの?」
くすくすと野狐禅は自分の下唇を人差し指でなぞりながら笑うと、酒呑童子の後ろに立つ水社一心に目を向けた。
「死んだら返してあげる」
「てめえ‼」
「生きてるってことか」
荒ぶる酒呑童子に構わず、水社が冷静に訊ねた。
「枯賀末理は生きてるってことだな」
それまでどことなく頑なだった水社の纏う空気が変わる。
野狐禅はさらに笑みを深くした。
「やってほしいことがあるから」
「死人は、生き返らない。それはお前も分かってるはずだろう、あいつの記憶を辿っているなら……それとも、辿っているからこそ、なにかお前は見つけたのか?」
野狐禅は返事をしない。水社から酒呑童子に視線を移す。
「見つけるも何も、私が今分かっているのは──酒呑童子が人間に加担しているってことだけよ。いつの間に軍になんか入ったの」
「入ってなんかねえ‼ 俺が臨時で入れてやってんだよ‼ 雑魚のくせにあやかしの世界に行こうとするからよ‼」
「暗天妖王様を裏切ったってことでしょう。なら、死んでもらわなきゃ」
野狐禅は酒呑童子に向かって霊力を放つ。霊力で海水を持ち上げ、数千本の針のようにして鋭く相手に撃ちこむ攻撃だ。霧雨のように降り注ぐ鋭い攻撃を前に、酒呑童子は水社を庇おうとするが、水社が先に動いた。水社は手を伸ばし、自らの霊力を放つ。
霊力で出来た数千本の針は一度動きを止めた。
「あいつよりマシだが、雑だ」
まだ枯賀末理に霊力があった頃。水社は末理が霊力で攻撃するところを見たことがある。
地上で相手をし、冠菊のように自らの霊力をはるか上空から降らせ、敵を一網打尽にする攻撃だ。
気付いたときには後戻りできない。
そんな攻撃を、簡単に使った枯賀末理を、水社一心は危険視した。
当時はまだ家庭に問題があるからと考えていたが、違った。
水社は野狐禅の攻撃を霊力で受け止めると、そのまま弾いた。
互いの霊力は小さな線香花火のように儚く散っていく。
野狐禅は海水を用いて、そして水社一心は水を伴う霊力だからこそ出来た芸当だ。
相手が枯賀末理ならば、こうはいかない。枯賀末理の異能は焼却である以上火を──莫大な熱を伴う。水を与えれば一瞬にしてこれ以上の爆発が起きる。
数千本の針が溶けていくのを見つめながら、水社一心は自らの決意を抱える。
もし、枯賀末理があやかし側についてしまったら。
その時は。
「あら、練習台にされちゃったかしら」
野狐禅は笑うが──、
「雑魚が俺を庇うなアアアアアアアアア‼ アアアアアアアアアアアアアアア‼」
酒呑童子が叫びだした。
「え」
「俺が雑魚を庇うんだよ‼ 強いからな‼ 逆はするな‼ 嫌だからな! くそおおおおおおおおおお‼ ありがたかねえけどよお‼ こういう時礼言わねえ奴も嫌いなんだよおおおおおおおおお‼ くっそがぁああ……ありがとうよ……だから俺を庇うなぁアアアアアアアアアアアアアアア」
酒呑童子は頭を掻きむしり、金棒を握りしめると野狐禅に向かう。
「てめえはさっさと枯賀末理を返せええええええええええええええええ」
「返すも何も貴方のものじゃないでしょう」
「あいつは俺の弟子だ‼ 俺があやかしにするから、俺の子供になるんだよ‼」
「貴方から生まれた覚えはないはずよ」
「知らねえええええええあいつ枯賀快炎のガキなんだろ‼ ややこしいんだよッ! 枯賀快炎をあやかしにしたのは俺だけどよ、殺したの皇龍だろ⁉ よく分かんねえからよ‼ 俺があいつの親になる‼」
「枯賀快炎を殺したのは私よ。連れてた女もだけど」
野狐禅は何てことないように答えた。
「お前が……」
水社は驚く。
水社は心のどこかで、消せない仮説を抱えていた。枯賀末理が、枯賀快炎を殺したのでは、という仮説だ。なぜなら枯賀末理は水社の異能を理解している。それゆえ隠している、後々明らかになった事象がいくつか存在した。結局それらを暴くことはできたが、全てかは分からない。
暴けたことが、根拠になったのだ。
枯賀末理が一時的にでも、心を読める異能を出し抜くことが出来ると。
人殺しにはしたくない。
人殺しでも構わない。
人殺しだったら。
自分は枯賀末理を止められなかった。
人を殺したことそのものを見つめるのではなく、自分が止められなかったことに思考の焦点が当たる。それがどれほど悍ましいことか水社は自覚しながらも目の前の枯賀末理を見て、その隣を歩いていた。
そして野狐禅の自白に安堵した。
安堵しながら、過る。
殺さない手段を取ったのは合理的な判断か、状況が悪く機会を逃してなのか、それとも。
出来なかったのか。
父を想う可能性は何一つないといえた。枯賀末理の殺意を知っているから。姉を想っての線は、姉を想うからこその凶行ゆえに機能しない。
出来なかった理由の一片に、ひとかけらでも、自分がいるんじゃないのか。
水社一心は野狐禅を見上げる。
「輝宮寺は生き返るのか」
「何のためにあの子を攫ったと思っているの?」
野狐禅は薄く笑うばかりだった。
「死んだ人間は返ってこない‼ 枯賀末理でどうにかなったところでそいつは、そいつじゃねえ‼ なんで分かんねえんだよ‼ バカ!」
「あやかしの世界の帰り方も分からない相手に言われたくない」
「やっぱりお前の仕業かあああああああああああ‼」
「貴方が入ろうとしているのを弾いてるだけよ。普通に入ろうと思えば入れる。まぁ、裏切者の貴方が入ってきたら、殺すしかないけど」
「入れねえじゃねえかよ‼」
「貴方がって言ったでしょう。愚かね。人の話を聞かない、何も知ろうとしないからそうなるの。暮日村のときだってそう。西にいるって私の言葉を聞くだけ。調べようともしない。貴方無駄足みたいな言い方をしていたけれど、別に長居せずすぐに帰ってくればよかったのにすぐに帰れるのだから」
はぁ、と野狐禅はため息を吐いた。
気だるげな視線の先には相模率いる戦闘局の増援だ。
「貴方に帰る場所なんてない。あやかしの世界に入るのは勝手だけど、貴方の命は保証しない。元三妖士として今日は見逃してあげるけど、次会った時は容赦しないわ」
「じゃあ枯賀末理返せやぁッ‼」
「貴方のじゃない」
野狐禅は尻尾を露にすると、それを巨大化させ、酒呑童子を増援に向かって吹き飛ばした。
消えゆく寸前、水社一心を横目に笑い、黒い瘴気に溶けて消えた。




