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伊能の大博打

「随分他人事だな」


 相模は呟いた。


「調査局の人間は、すべてに他人事であるべきですし、そもそも枯賀末理はただの二等兵だ。何か貴重な戦力であれば別ですけど、枯賀末理にしか出来ないこともない。ほかの軍人と同じく、代えの効く存在です。戦闘局局長の貴方がそこまでぎゃあぎゃあ言う存在でもない。富山さんの名を口に出してますけど、ただあなたが富山さんに固執して、富山さんの部下がいなくなったから困るってだけでしょう。ああ、水社少尉と懇ろでしたっけ。じゃあ自分の部下への心配ももあるんだ、上にも下にも随分義理堅いことだ。ハハ──そんなんじゃ、戦って死んでを繰り返す戦闘局局長の座は重いんじゃないですか? 過去の部下にこうして八つ当たりしないと、やってられないくらいに」


 伊能は相模をせせら笑い、背を向ける。


「お前……!」


 憎しみの籠った声を、気にしない。


 誰にどう思われようが、どうでもいい。それが、かつて肩を並べた相手でも、背中を追った相手でも。


 この悲願を果たすためならば。


 伊能は万物を化かす狐になろうと構わない。


 人を化かす狐のあやかし──野狐禅のほうが、人間である自分より、行動理念は澄んでいる。


 そうした本音を伊能が口にすることは、富山にも無い。


 相手の痛みに共感し傍にいて寄り添う救い方。


 遠く離れ相手の痛みや苦しみを取り除く救い方。


 伊能は後者を選んだ。


 前者を相模に譲るから。


「貴方が何を考えようと、上層の意思が絶対です。戦闘局局長が何を考えようと、調査局局長に反感を持とうと、最終決定権は上層にある。それに貴方が求められる瞬間は大型のあやかし討伐や、内乱、戦時だ。誘拐ひとつで動く立場じゃない。現場人間の意見なんて必要ない。こっちはもっと、大局を見ている。憧れの存在が座っていた席に泥を塗りたいのなら、別ですけど」


 伊能は相模を置き去りにしたまま、階段を上っていく。


 おそらく相模は伊能に憤り、それでいて歩みを止めるだろう。


 除隊をちらつかせた以上、身動きは取れない。恩人を追い出してしまったと誤解する形でついた局長の席を、自分の不祥事で退席するなんて恩人に示しがつかないと相模は考える。


 相模が酒呑童子と争いになり屯所内で戦闘になることも避けたい。


 だからこそ酒呑童子をそのまま管理局に置いたのだ。管理局には富山がいる。危険もあるが、酒呑童子が枯賀末理を守る動きをしたという報告もある。こちらからけしかけなければ、戦闘にはならない。


 計算を確かめながら伊能は帝都退妖軍本部最上階に上り詰め廊下を進み、複数人員で構成された役員のうち一人の部屋へ向かう。役員室の前には警護専用の軍人が立ち並ぶ。皆、屯所ではなく役員に専属でついている護衛だ。


 役員警護は戦闘局の中から優秀な人間が引き抜かれる場合と、有力な家の人間が役員から直接雇われる場合がある。役員個人の希望が無ければ人事局が上層の命のもと配属を行う。


 伊能は数ある個室のうち廊下の半ばにある部屋の前に立った。


 扉の隣に立つ警護は、伊能の顔を横目に見て中に入る。しばらくしてまた同じ警護が出てきた、


 今度は身体を伊能に向け「どうぞ」と感情も込めずに呟く。携えている刀の柄を握りながらだ。伊能は気に留めず部屋の中に入る。左右には調度品と盆栽が並ぶ部屋は、六畳ほどの板張りでがらんとしている。向かい壁には、また扉。


 伊能はそのまま突き進み、扉を叩く。


「調査局・局長、伊能です」


 名乗ってから球体上のドアノブを握る。きちんと回れば、入出許可。回らなければ入出不可。返事代わりの仕組みだ。


 伊能が力を入れた通りに、ドアノブが回る。


 扉の先は十畳ほどの洋室だ。窓際に執務机こそあれど、部屋の中央は桃花心木を用いた長机を革張りのソファが挟む。小脇には職人が技巧を凝らした色硝子を用いたランプが並び、執務よりも会談を主とした室内だ。


 部屋の主は、奥の窓際の執務机で頬杖をつき煙草を吸っていた。


 傍らにある硝子の灰皿には吸い殻が幾重にも潰されている。


「お忙しいところ申し訳ございません。調査方針および金槌山の軍人連れ去りについて、ご相談したいことがあり──」


「申し訳ないじゃないよなぁ~」


 男の間延びした声が伊能の声をかき消す。


 部屋には伊能と、この男しかいない。


 男の名前は蝦蟇貪(がまと)。白髪交じりで、顎髭と口髭で蓄え渋みを帯びた年相応の相貌をしており、年齢は富山より年上、今年60になる。


 帝都退妖軍の各局・局長の上には、軍を束ね組織運営を束ねる幹部たちがいる。蝦蟇貪はそのうちの一人だ。


 帝都退妖軍の上には国があり、軍と国の間に最高責任者が君臨している。


 国の命令を受け軍は動くが、他国との争いになった時、国からの命令を直接受け陣頭指揮を執り軍全体を動かすのが最高責任者である。いわば戦闘特化の存在だ。


 そして最高責任者の下に、軍組織としての経営、改革、策定を精査する幹部役員たちがいる。それら幹部役員たちは各局の局長の上に位置しており、政治の中枢を担う人間たちとも関わりながら、帝都退妖軍の維持を目指している。


 戦時になれば役員たちを抜き最高責任者と局長との直接的な戦闘態勢を組むことになるが、平時は当然、役員たちが絶対だ。なにより役員たちは各局・局長の任命と解任の権限を持つ。


「申し訳ないで済まないだろぉ、伊能ぉ、実業家の件で誤認捕縛じゃないかって散々新聞社の奴らが鬼の首とったみたいにワンワン騒いで喚き散らしたのが落ち着いたかと思えば、次は軍人の連れ去りって伊能さあああああああああああああ‼」


 蝦蟇貪はどすを効かせ凄み、息継ぎをするかのように煙草に口をつける。


 実業家の件というのは輝宮寺だ。野狐禅が化けたと分かってしばらくして、新聞社が軍の調査の内容通りの記事を取り上げた。軍の失態という題目の号外は飛ぶように売れ、定期購読の契約率は例年の三割増、記事にした記者は多額の報酬を得た。


 軍の調査情報が洩れたことは由々しき事態として上層部は重く見ており、伊能は犯人の特定を命じられている。


 犯人は、伊能だった。


 知られたら次の新聞の一面を飾るのは自分になるが、輝宮寺の名誉回復にはそれしかない。


「どうするんだお前、お前どうやって責任取る、俺がお前を調査局局長の席まで用意してやったんだろ? お前は、俺の為に手柄を立てなきゃいけないってわけだ。な?」


 伊能の裏切りを知らぬ蝦蟇貪は、乱雑に煙草の灰を灰皿に落としながら、伊能を睨む。


「それがなんだ? 舐めてるのかお前? 舐めてるんだろ? そうじゃなきゃこうはならないだろ‼ なぁ‼ 連れ去りだぁ? 新聞社で連載枠でも狙ってんのかお前はよお!」


「申し訳ございません」


「申し訳ございませんで済まねえって言ってんだろうが‼ なぁ‼」


 役員は叫ぶ。慣れているので、心は動かない。求められた言葉を伝えればいい。役員が求めているのは詫びのみだ。声に反応して詫びる。それだけ。申し訳ございませんで済まないと言いながら、詫びを求めている。つまりこれを繰り返すまでが役員の望みだった。


「で、わざわざここまでやってきて、何の土産もないとは言わないよなぁ」


「はい。意思疎通可能なあやかしの身柄を確保しました。名は酒呑童子──」


「お前さぁ‼」


 言葉の途中で役員は叫んだ。


「なんか、勘違いしてるんじゃないだろうな」


 役員は煙草を吸い終え、乱雑に灰皿に押し付ける。立ち上がり、伊能に向かっていく。


「いいか、帝都退妖軍が目指してるのは、帝都の治安維持だよな? 帝都の治安を守ること。それが国の平和の維持に繋がる。それは、あくまで理想。国向けの建前。表向き。そうしないと予算なんか下りないから。津々浦々あやかしが出て赤ん坊も食い殺されてる中で、武器なんかいらねえって言いだす連中が頷きやしないから。ここまで理解できるか?」


「はい」


「本当の目標は、問題を起こさず、国民の反感を煽らず、今代の我々が、立場を追われることなく、平坦に役目を全うしました、よく頑張りましたで終われるようにするのが、お前たち軍人の……戦うしか能がないような犬の役目なわけ。そういうお前たちに、国の為って聞き触りのいい名誉をかぶせてやってんの? それちゃんと分かってる?」


「はい」


「じゃあなんで出来ないのかなぁ‼ 伊能ちゃん‼」


「申し訳ございません」


「申し訳ございませんで済まないってずっと言ってるのに聞こえないのか‼ おい」


「申し訳ございません」


「少しはさぁ、言われたことちゃんとやれよぉ。あやかしの身柄確保なんて頼んでないよ? どうやって説明するの? 伊能ちゃんが説明してくれるの? 全国民に。それでどうすんの? 政治家連中があやかしと話し合えるとか言い出したら、軍は酷いことしてるなんて言い出したら、そういう時にさ、そこら辺であやかしに人が殺されたらどうする? 結局どうやったって予算は減らされるよ」


「説明を……」


「ハッ、意味ないよ。調査局・局長なんて役割、軍人じゃなきゃどんな階級かなんてだーれも分からない。軍人さん、終わり。末端の訓練もろくに出てないようなのを代わりに出しても分からないよ。そこら辺の連中が理解できるのは、軍人がしくじったってこと、だけ‼」


 蝦蟇貪はため息を吐く。


「あやかしの世界に干渉できるかもしれません。あやかしの根絶が出来ればまたとない栄誉となるはずです」


「あやかしが無くなったら軍もいらないって言いだすんじゃないの? そうしたら食い扶持に困る犬も増えるよ? お前の部下含めて」


「異能を用いた犯罪がある以上、軍は必要になります」


「確かに伊能ちゃんみたいなのがいるからねえ‼」


 役員は鼻で笑った後、また執務机に戻り、マッチを擦って煙草を吸い始める。


「分かる? 伊能ちゃんの経緯が軍にとってどうでも良かったように、そこら辺の政治家も民間人もそれまで軍人がどうだったか、あやかしと戦ってたかなんて気にしないの。新聞ひとつで終わり。全部結果。どんなに訓練してても死ねば終わり。それと一緒」


 蝦蟇貪は執務椅子の背もたれに背を預ける。


 伊能は蝦蟇貪に近づいた。


「強力なあやかしを討伐しても、表面上、現体制の手柄にはならない。しかし、あやかし根絶を為せば、現体制の栄誉になることでしょう。そうすれば政への参加の足掛かりになるはずです」


「今代じゃなければ、意味がない」


 それまで感情的になっていた役員は、据えた瞳で呟いた。


「お前、30半ばだっけ。こっちはその倍以上生きてる。今努めたところで、次の代で大成しても意味がない。こっちは死ぬだけなんだから。お前にはまだ何十年もあるけどねえ。こっちは踏み台になんてなりたくないわけ、家族がいんだよ。孫も可愛い。こんな世情だから、いつあやかしに殺されるか分かんないけど」


「今代で果たすつもりです」


「なんの許可を求めてる?」


「あやかしとの共同戦線」


「残念だ。それをするには時期が悪い。輝宮寺の件と軍の襲撃が無かったら要人たちの説得も出来たかもしれないのにねえ‼ こればっかりは仕方ないよ。何より、こちらも納得が出来ない、制度も無い、前例も無い、帰って」


 蝦蟇貪は退路を示す。


「そこを何とか……」


「他当たって。どうぞ。役員は他にもいる。まぁ、そんな話した時点で門前払いするだろうけど、だから恨まないでよ伊能ちゃん。お前がしなきゃいけないのは、言うことだけ聞いて、何も問題を起こさないようにすることだーけ、な?」


 蝦蟇貪は伊能に一度だけ視線を向け、煙草に集中し始める。


 しかし──、


『緊急‼ あやかし出現‼ 緊急‼ あやかし出現‼ 強大な霊力を持つ模様‼ 退妖対実地戦闘局員は速やかに現場に急行せよ‼ 場所は港付近海上‼ 霊力は野狐禅のものと一致‼ 港に急行せよ‼』


 軍の警報が鳴り響いた。


 伊能は蝦蟇貪の部屋を後にし、階段を駆け下りた。


 上層役員──蝦蟇貪の部屋の前にいる護衛は、伊能の背中を見つめゆっくりと口角を上げ、呟く。


「こん」





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― 新着の感想 ―
伊能局長好きですね。相手の痛みに共感し傍にいて寄り添う救い方。遠く離れ相手の痛みや苦しみを取り除く救い方。誰かの助け方っていろんな形がありますもんね、伊能局長自分が苦しくても会えなくなったとしても守る…
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