枯賀末理の末路
伊能は管理局を後にし、帝都退妖軍本部の階段をひたすら上がっていく。
本部は地上九階・地下二階構造となっている。
地下二階は廃棄場と倉庫、地下一階は退妖武具・装具管理局の持ち場と倉庫、一階は玄関ホールと受付、客人を招くような会議室がいくつか並び、一般公開向けに設けられている。二階は事務や総務の持ち場、三階、四階は軍人向けの会議室……と続いていき、五階が保管局等、軍本部とは別棟に本拠地を構える局が連なり、伊能が率いる調査局は六階に陣取っている。
七階は屯所および帝都全域にてあやかしの出現を常に警戒している警備・防妖・探査局が司り、上層に近い八階全域は退妖対実地戦闘局の持ち場だ。
伊能は嫌な予感を覚えながらも、八階と最上階である九階を繋ぐ踊り場に差し掛かった。その時だった。
「お前、何を考えている」
下から声がかかった。
振り向く必要すら感じないほど、伊能にとっては馴染みのある声。
不満を隠さぬ相模の声だった。
管理局に水社一心と郷田が現れた時点で、伊能はこの展開を悟っていた。
「やっぱり、水社一心と郷田蒲生は貴方が差し向けたんですね」
伊能は防音と視覚遮断の術を管理局に施した。それらは警備・防妖・探査局の探知をも逃れる、調査局という特殊な管轄ゆえの特注術であるが、長年戦場を共にした相模および富山には識別される欠点を持つ。
「普通に自分が顔を出せばいいのに」
言いながらも、伊能は相模が直接突撃することは無いと踏んでいた。
なぜなら伊能の術が相模に察知できるように、相模の接近を富山と伊能が察知できる。
「質問に答えろ、何を考えている」
「戦力の拡充」
「皇都から誰か呼ぶということか」
「皇都から呼ぶとなると、どうしてもしがらみが発生するじゃないですか。枯賀末理を助け出したとしても、その異能が死者の蘇生、もしくは輪廻転生なんて面倒なものに変化していたら、人間同士の争いになる。しがらみのない、戦力として丁度いい駒が必要だ」
「お前まさか」
剣のある声をかけられてもなお、振り返りはしない。どんな顔をしているか想像がつく。
伊能は元々、退妖対実地戦闘局にいた。相模は伊能の元直属の上司あたる。
軍歴は伊能のほうが上。
年齢は相模のほうが上。
一方で、現在局長という肩書を抜きにして、純然たる階級だけならば伊能のほうが上である。
しかし軍組織としての重要度であれば調査局より戦闘局のほうが上。
帝都退妖軍は実力主義ではなく徹底的な年功序列、絶対的な上下関係を重視しているが、経歴や年齢軍歴など、一方の側面だけで判断すると矛盾が生じる。伊能が相模に対し敬語で話すことも、相模が伊能に対し年下ぜんと扱うことも、深く触れずにいた。
自分が年齢を重んじているのか、軍歴を重んじているのか、階級を重んじているのか、組織内の影響力を重んじているのか──手の内を明かすことと同義だからだ。
「あやかしとの結託は重罪ですよ。だからこそ、枯賀末理の狂言の可能性が否定できない。そうしたままの調査です。こちらだって表向き協力の姿勢を見せて相手の手の内を探らなければ」
戦闘局で幾度となく口論を繰り広げてきた相手だが、今日ばかりは相手にする気がなかった。
「お前は、どう思ってるんだ」
「何がですか?」
「枯賀末理は……あやかしと結託していると思うのか」
「僕の考えなんてどうでも良くないですか?」
伊能は冷たく言い放つ。
「富山さんに関わることだろう!」
相模が声を荒げた。
軍の中で、相模は冷静沈着に指揮を執り、時には残酷な判断を下すと恐れられている。
伊能のほうが気まぐれで、屁理屈をこねては人を敵に回す腹の底の見えない愉快犯として見られており、それは伊能自身自覚しているが、その実まったく異なっていた。
相模は感情で動く。
自分は論理で動く。
それが互いの共通認識であり、対実地戦闘局時代の役割配分だった。
両者を束ねる相手──富山が、感情も論理もあいまいで、それでも歩もうとする人間だったから。
伊能が軍に入った理由は「退屈」である。「~かもしれない」という言葉で定義を変え現実に影響する異能を自覚したのは、十にも満たない頃だった。物心ついたときから両親と折り合いが悪く、誰も頼れなかった。伊能の家は貧しく、祖父を頼り暮らしていたが、その引き換えと言わんばかりの論調で祖父は伊能の身体を脅かし続けた。地獄のような日々の中、ある日、隠し持っていた木の枝を使い抵抗した。およそ焚火に使うほかない脆さの木の枝は、自分の身の丈よりずっと大きな祖父をひるませることすらできなかった。
この枝がもっと強いものなら。
もっと違った結果だったかもしれない。
強く祈った瞬間、世界の色が一変した。
祖父の寝室が壁も床も真っ赤に染まり、見て見ぬふりをしていた両親が顔色を青くしていく。
慌てふためく両親は伊能に怯え、伊能を祖父の亡骸と共に寝室に閉じ込めた。血の匂いが充満する中で、次に扉が開いたときに現われたのは軍人だった。
その時の軍人の、自分を見て驚き、両親に向けた目。
二十年以上たった今も、伊能は忘れることが出来ない。
その後、伊能は帝都退妖軍の救護局に運ばれた。祖父の積年の暴行の治療もあるが、精神状態を鑑定するためでもあった。
何故なら、伊能は祖父を殺したからだ。
異能と呼ばれる、自分の苗字とほぼ同じ響きの力。
元々伊能の家は異能がない。
伊能家は表面上、ただの貧しい家にすぎない。貧しさも異能がないことも目立たぬ地域に長く住み、農業を営み、近所の評判も問題なかった。ゆえに「伊能という名で異能がない」というのを近所の酒の席で言い、場を盛り上げていた程度。
そうした中で、伊能は場に影響する能力を得た。
それも帝都退妖軍の軍人の中でもかなり特殊な力だ。言霊の異能で人を癒す人間はこれまでの歴史に存在していたが、直接的ではないにせよ言霊の異能に近いもので攻撃できる異能は稀。打撃的な異能や発火、水や土を操るような異能より言霊が乗ったもののほうが強力なのではという軍の推察を試す実験台として、伊能ほど適した存在はいなかった。
犯罪者だから。
祖父を殺したから。
長年脅かされ続けていたとはいえ、人を殺したことは罪。
本人も償いがしたいだろう。
調査局の人間たちは、自分たちの調査を正当化するようにそう告げながら「かもしれない」の定義や発動条件を調べていた。
同時に殺人事件の検証も行う。
──突然、木の枝で反抗しようと思った心境は?
──今までされるがままだったのにどうして抵抗しようと思ったの?
──何で木の枝?
──今まで抵抗しなかった理由は何?
繰り返し聞かれる中で、最初と話が変わってくると今度は変わってくる理由を聞かれる。
そこで辻褄が合わなくなるとまた話が変わる。
結局どういう落としどころにすればこの時間が終わるのか。
伊能は助かることをやめた。
伊能は自分の気持ちを伝えることをやめた。
相手が何を望んでいるか考えるようにした。
そして、それを紡いでいくと世界が変わった。
人を殺したことを反省している。
これからは祖父を殺した償いをしながら生きていく。
軍の為に国の為に尽くします。
百点満点の大正解だった。誰も理由を聞かない。追及してこない。
伊能は十歳という異例の年齢で軍人として帝都退妖軍に入った。見習いという扱いで、異能の取り扱いを学ぶために対実地戦闘局に配属された。
そこにいたのが、祖父を殺し、暗い寝室に閉じ込められた自分を助け保護した軍人──富山だった。
富山は柔和で、誰に対しても穏やかに接し、それでいて気弱さをのぞかせる戦闘局の中では珍しい性格をしていた。基本的に戦闘局は野心を抱え好戦的な人間が多い。上下関係が徹底している帝都退妖軍の中で、最もその要素が濃く出ている局でもある。しかし富山は適度に力が抜けていて、負けてはならない、バカにされたら男として終わりと考える局員たちが、富山のまわりだけは少しだけ気を抜く、そういう存在だった。
しかしそんな富山が、伊能にだけは固く接していた。周囲のほうが伊能を子供や年の離れた弟のようにかわいがり、事件当日助けてくれたはずの富山だけが伊能に対して距離を置いていた。
伊能は自身が祖父を殺害した犯行現場を見て、その残虐性について富山は思う所があるのだろうと推察していたが、事実は異なっていた。
富山はひとり、憤っていたのだ。伊能の処遇について。
子供がどうして守られない。
大人の都合で振り回されていいはずがない。
殺人を肯定することは出来ないが、かといって利用していい理由にするのは卑怯だ。
伊能が戦闘局に配属され半年、西に強力なあやかしが現れ、上層が試しに伊能を向かわせようとしたところ、富山は大反対を行い左遷されたことで分かった。
自分の為に、怒ってくれた人がいた。
自分の扱いを、不当であると認識してくれた人がいた。
逃げ場のない理不尽を、ただ理不尽であると認めてくれた人がいた。
手を変え品を変え、もうやってしまったことを、あれこれやりようがあったと話をされ続け、自分の感情ひとつ正しさと間違いで振り分けられ、感情も分からないまま本音を言ってほしいと繰り返された果てで、そうした存在は伊能にとって救いだった。
その後、富山は、もう戦闘局で会うことは出来ないだろうという伊能の予想を覆し続け、左遷場所で実績を上げ、周囲の後押しもあり異例の速度で返り咲き、何かしらの怒りの発露で左遷されを繰り返した。相模が入軍した後もだ。相模も相模で問題を抱えていて、伊能が組まされることになったが、相模と伊能が問題を起こしたら自分の身が危ないという富山自身が命令違反を行い左遷されるのは、相模と伊能が組んでいる間に三回あった。
左遷経歴には事欠かない富山だが、出世欲が無いわけでもなく、落ちぶれることに怯え、上層を敵に回すことをきちんと避けていた。自分がこの軍を変えるという気概はなく、改革に手を回すことはなくあくまで与えられた仕事をこなし、今ある業務に何かを付け加える意欲もない。折り合いをつけながら生きていく富山は、組織から利用され馬鹿にされることも多かったが、伊能は敬意を向けていた。
こういう人間がきちんと必要とされ、報われ、守られる組織にする。
富山の下につき生まれた願いは、富山の上に向かわなければ叶わない。
上層の気に入る言葉を吐き、自分の立ち位置を計算し、組織政治に手を尽くして、憧れた存在と対極の姿に成り代わる。
そうして調査局・局長の地位に昇りつめた。
かつて自分を尋問した人間は、排除はせず上層に向かうよう仕向けた。そのほうが、調査局・局長の地位への距離を短縮できる。同胞に先立たれることを繰り返し、心に傷を負い過ぎた憧れの存在を、上層の手が届かない地下に落として、同じ背中を共に見ていた相模を引き上げた。
次の戦闘局の局長は相模、富山は管理局に。
自身の昇進報告聞いたときの相模の、この世の絶望をすべて受けたような顔を、伊能は調査局・局長の立ち位置から冷ややかに見ていた。
そして今、同じ目で相模を見下ろす。
「富山さんに関わりますね。枯賀末理が野狐禅と結託していたら」
もし枯賀末理が、世の理に関する、蘇りの異能を持っていたら。
軍が、国がそれを利用しないはずがない。
定義の書き換えを持つ異能だからこそ、枯賀末理の最悪想定を鮮明に思い描くことができる。
富山の心は今度こそ壊れるだろう。ただでさえ、娘が小さい頃から仲間の危機になれば奮戦していた。娘からすればたまったものではない。そういう事情も考慮し、管理局に飛ばしたのだ。表向きは本人の意向を尊重するふりをして。
特殊な異能を持ち「軍がその異能を身勝手に利用しても正当できる」人間に対して軍がどうあるか、伊能は自分自身の身をもってよく分かっている。
父親があやかしになったのは軍人としてどうなのか。
野狐禅と繋がっていたのではないか。
国や軍に尽くす気があるのか。
ならば証明してもらいたい。
絶対的な忠誠を。
伊能は数多の可能性を夢想する。どういう筋書きが一番最悪なのか。
枯賀末理にとって、どれも最悪だ。
それは富山にとっても。
枯賀末理が野狐禅に利用され尽くし異能を失い死んで帰るほうが、枯賀末理にとっても富山にとっても優しいのではないかと、伊能は思う。
ゆえに伊能は、枯賀末理の異能の変化の可能性を上層部には伝えない。
枯賀末理を庇っているとは思われないよう、結託や謀りの可能性だけを隠れ蓑に、話をすすめる。
しかし最悪の結末を迎えたときの為に、警告として管理局には自分の推察を伝える。
心の中で、別の理想を描きながら。




