おかしい男
調査局は六階に位置している。戦闘局と同じく六階の区画全てを割り振られているが、調査用の会議室、事情を聴取するための個室、資料を保管する保管庫を設けている為、個人の待機空間は無いに等しい。調査局に配属された以上、手洗いに行く以外に身体を休める時間がない。万が一にでも時間が空くことがあれば食堂で食事を済ませるなど、生存のための必須時間に割く。日中は閑散としているのが常だった。
そんな調査局の主、伊能は調査局の資料保管庫の窓際で過去の書類を総点検していた。
足音こそ微かなものの、なにかの気配が近づいてくる。調査局員ならば、近づく前に「伊能さん」もしくは「すみません」と声をかける。戦闘局など礼儀がなっていない存在もいるが、そういう人間は足音がもう少しする。野狐禅でも化けて現れたか。それならば都合がいいと顔を上げれば、退妖武具・装具管理局の福野だった。
伊能は元戦闘局出身であり富山の下についていたことがあったが、元戦闘局員でもある福野との直接的な関わりはほぼ無かった。元々伊能が戦闘局にいたのは20年以上前の話になる。そこから伊能は調査局に異動、調査局長になった。その後、富山が戦闘局の局長を降り、管理局・局長に異動し福野が配属されたが、福野が軍に入ったのも戦闘局にいたのも、富山が戦闘局の局長を降りた後だ。
伊能、富山、福野は同じ元戦闘局員という肩書を持つが、伊能と富山は福野が戦闘局員だった期間、別のところにおり、福野の性格は把握できてない。
管理局は富山と真原で発足し、のちに福野が入った。
富山も真原も知らないが、管理局に真原を推薦したのは伊能だ。理由は真原が対人特化型の異能を持つから。上層には「上司殴って首になるような人間なんか、元戦闘局の落ちこぼれの下にでも置いとけばいい」と伝えているが、本当のところは違った。物腰で何かと舐められがちな富山を馬鹿にする人間を真原が殴れ、これのみ。
しかし伊能の予想に反し真原は穏便主義で、暴行の一報は届いていない。そして人材不足ということで追加された人材が福野だった。
福野の場合は協調性がなく意思疎通が取りづらく異能も光の明滅で邪魔になるため戦闘局で使えないという苦情だった。苦情主の相模はもう少し気を遣った表現をしていたし、福野の身を案じた様子だったが要約すると戦闘で使えないに限る。戦闘局では即戦力が求められるため、戦法を考えるような異能は歓迎されない。水社一心は心理系の異能を持つが、水神の加護を持ち、豊富な霊力を持つことから重要視されているが福野には異能に目を瞑れるほどの霊力を持っているわけでもなかった。
福野が配属されてすぐ、富山に新人はどうかと訊ねたが、答えは「喋んない子だよ、静かな子」「無口な子かな」「まぁ戦闘局は合わないかもね」と、富山と合ってるのかも分からない返答だった。
今なら富山の気持ちがよく分かる。
福野は伊能と目が合っても無言で突き進んできた。
「どうされました」
とうとう目の前に迫って来た福野に、伊能は警戒を隠さず問う。
「管理局にお越しいただきたく」
「なんでですか」
「管理局にお越しいただきたく」
「ご用件は」
「管理局にお越しいただきたく」
「り、理由は」
「管理局にお越しいただきたく」
福野は同じ調子を三連続繰り返す。
伊能にはさっぱり分からなかった。
緊急事態かつ秘匿したい内容の為、同じことを繰り返すのか。
福野がおかしいのか。
伊能が福野と共に地下におり管理局に向かうと、そこにいたのは富山、真原そして──見覚えのない男だった。
目鼻立ちがハッキリとした、印象の濃い相貌だ。背も高く体躯もがっしりとしているが、圧迫感のある分厚さには至らない。相模と異なる方向の女に持てはやされそうな見目だと伊能は分析しつつ、酒呑童子だと断定した。
「酒呑童子ですか」
「お、お前も俺のこと知ってんのか」
「はい。暮日村で熊を退治したと報告が上がっていたので……。それに金槌山でも大立ち回りをされたとか。軍でも行方を捜していたんですよ」
伊能は討伐指令の部分を伏せ、あたかも歓迎しているかのような素振りで酒呑童子に近づく。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
伊能は富山に視線を送る。富山が「あやかしの世界に行けないんだって。枯賀さんを助けに行きたいとは言ってるんだけど……」と目配せしながら伝えた。
「やっぱりあやかしの世界があるんですか」
あやかしの世界。
この世界のどこかにあやかしの世界がある、というのは、天国と地獄の逸話と同じく語られる話であった。しかし、誰もそこに行ったことがなく、帝都、皇都に限らず退妖軍の誰しも確定情報を得ていないため、あくまで仮説としてしか存在していなかった。
もし人があやかしの世界に連れ去られたらどうするか。
議題に上がるがあやかしの世界があるかどうかすら分からず、それよりも出没するあやかしをどうするかという現実的な問題もあった為、研究もほぼ進んでいない領域だ。
その仮説が、いとも簡単に立証された。
すぐさま警報を発令し戦闘局員および上層部に掛け合うのが調査局長として正しい務めである。しかし伊能は周囲に悟らせないよう、管理局の部屋全体に防音・監視除去の術をかけた。
「おお」
「そこはどこに」
「どこっつったって、そこ」
「だから、どことかじゃなくて、グワッシュッヒュッで終わりだ。どこにあるとかじゃねえ」
酒呑童子は不機嫌そうに逞しい腕を伸ばし、宙に向かって手をかざした。
やがてその指先からまるで小さな積乱雲のような渦が現れる。渦の中心はうっすらと明るく発光し、渦の外側は黒い煙のようになっていた。
言葉を呑む退妖軍一同の中で、伊能は酒呑童子の生み出した渦を冷静に観察していた。渦は明らかに強い霊力で形成されたものだが、霊力そのものを感じることは出来ない。何もかも焼き尽くす業火なのに、手を近づけても一切熱を感じないような、そんな不気味さだった。
「これは……霊力? 異能、なんなんですか?」
「異能……ああ、お前じゃなくて人間にだけあるやつか。まどろっこしいな……」
「すいません」
伊能はすぐに詫びる。
「まぁ仕方ねえよ、俺は聡明だからピンと来る、ハッ」
酒呑童子は仕方なさそうに愛想笑いをした。そして、渦から手を離す。渦は酒呑童子が手を離した後も、グルグルと独りでに渦を巻き、酒呑童子の身の丈ほど大きくなっていった。
「これは俺様の霊力で、グワッてやってんだよ」
札を使い、霊力により術を放つ攻撃方法が存在する。
それらは主に西──天子を守る皇都の人間たちが用いるものだが、どんなに高名な者でも、異能ではなくこうして霊力により渦を形成し移動することはおろか札なしにここまで霊力を実体化させるようなことは出来ない。それが軍人の常識だ。
「見てろよ……」
酒呑童子は渦の中に入ろうとする、しかし──、
「くっそ‼ ってえなぁ!」
まるで閉じた扉に体当たりし続けるかのように、渦に向かっていっては弾き出されていく。
「普段はシュッヒュッなんだよ。でも、なんでかどうにもなんねえんだよ」
「普段はいつでもどこでも、あやかしの世界に行く……扉を作ることが出来て、それが、開かなくなってるということですか」
伊能が酒呑童子の一連の流れをまとめた。酒呑童子は「さっきからそう言ってるだろ」と平然と頷く。
「言うてへんやろ。ほぼ擬音や」
ぼそっと真原が呟く。
「何で……扉が閉じたとか、お心当たりは? こう、あやかしの世界で、なにか起こしたとか」
伊能は脳内で数多の可能性を模索しながらも酒呑童子に問いかけた。
「あ? お前、俺が追い出されたとでも言いたいのか? いいか、俺は三妖士最強の酒呑童子様だぞ、追い出す側だ」
ハッと酒呑童子は勝気に微笑む。
三妖士。伊能の知らない──軍でも把握していない単語だった。




