待ちはする
野狐禅に攫われた私が目を覚ますと、薄暗い床の間に転がされ、軍服ではなく、黒い着物を着せられていた。
柄は流水紋という、水の流れを現わしたデザインだ。なんでこんなの着せられてるんだ。野狐禅が着せたのか。私の軍服どこだ。あたりを見渡せば、花窓が視界に入る。
花窓の向こうには、夜空に赤い月が浮かんでいる。
光に照らされた木々は、黒々として禍々しさを感じさせる。
周囲は赤い藤が咲き乱れ、死体でも吊るしているかのようだった。
その様子に、確信する。
ここは完全に、あやかしの世界だ。
通称、ドブ煮込み本拠地。
千年桜は恋と咲くにおいて、たびたび人型あやかしの回想に出たり、ドブ煮込みがチラッと映ってお姉様との意味深な繋がりを匂わせる場面の背景。
つまりドブ煮込みは、この空間のどこかにいる。
ならばするべきことは、ただ一つ。
燃やす。
全部、異能で燃やす。
私はすぐさま立ち上がった。
これで千年桜は恋と咲く、最終巻、完結です。
終わり終わり。これで終わり。解散‼
お姉様と皇龍清明様の恋路は、ドブ煮込みがいなくたってどうにかなります。
そもそもクズがいなければ結ばれない恋愛ってどうなんでしょう。
純愛や溺愛にクズがつきものっておかしいと思う。
恋にはトラブルがつきものというが、そのトラブルは、それこそ雑魚あやかしや、世界の危機が相応しい。ドブ煮込みみたいな存在は、純愛に必要がない。
私は準備体操に励む。
今まで攻め入らなかったのは、物理的な理由だ。
この世界に行けなかったから。
このあやかしの世界は、屯所があるような世界とは別にある。「この先をずっと右に歩いていると、突き当りにあるんですよねえ」みたいなことはない。戦隊ものや魔法少女ものの敵がいる異空間と同じ。お絵かきソフトで例えるなら、あやかしの世界はレイヤー1で屯所があるほうはレイヤー2。並行世界の重なりだ。人一人を世界の概念とするなら、あやかし世界はTシャツで屯所のある世界はジャケット。カレーうどんを食べたらTシャツにもジャケットにもシミがつくが、Tシャツやジャケットの糸が意思を持ってお互い重なり合うことはない。そういう話。
あやかしは世界を行き来することが出来るが……庶民は電車、金持ちは自家用飛行機と人間の世界に差があるように、あやかしの世界にも能力で差が出る。
人型あやかしはスイスイ行き来できるが、輝宮寺ハウスを襲撃したようなあやかしは、自分で行き来できない。人型あやかしについて行ったり、不定期に裂け目が開きそこから漏れ出ているらしい。コミカライズ巻末の裏設定コーナーに記載があった。
異空間の裂け目に突撃は、リスクがありすぎる。
まず裂け目から出てきたあやかしを討伐しないと、人間が死ぬ。
私が入ったはいいけど、その後も裂け目が開き続ける限りあやかしが出ていく。「その間の裂け目周辺の人間たちはどうするの?」という倫理問題が発生する。
なので人型あやかしを頼る選択肢しかないが、ほぼ無理だ。
猫又はドブ煮込みに忠義があるタイプのキャラだったので、案内なんかしてくれない。
人間を見下しているので、騙す前に戦闘になる。状況の悪化の可能性のほうが高い。
酒呑童子は字が読めるか危ういので、「発話」が必要になる。
あいつの死因はドブ煮込み。そもそも皇龍清明様なしに酒呑童子と関わるなんて想定できない。
野狐禅は……輝宮寺の件で人を守るような動きを見せている気もするが、接触の機会はないし。
ドブ煮込みに関する説明を筆談でするには、長すぎるのだ。
言霊は紙に残すことにも影響する。意思を伝えるだけで細かな消費が入る。身振り手振りは可、水社一心との脳内会話はあいつが勝手に私の心を読んでいるので、形式的には本来割り勘のところを水社一心に奢ってもらっているといっていい。
水社一心を通訳させるのは……嫌だった。あやかしってそもそも危ないし、水社一心にドブ煮込みについて知られ過ぎたら、あいつは危険なことしそうだし、何よりうるさそう。軍の協力を得るにせよ、ドブ煮込み戦において皇龍清明様とお姉様以外、戦力にならない。お姉様を慕う、レビューで「イケメン」と呼ばれるような人間がそこそこ活躍するが、帝都退妖軍はみな雑魚の対応がメインだ。にぎやかし要員。相模局長は百体以上の軍勢を相手にしていたが、百体以上の軍勢を相手に出来る局長でも、ドブ煮込みには勝てない。
それに猫又以外──そこまで危険視していなかったが、野狐禅は私のことをこうして攫ってきた。
あやかしは危険。念には念を入れて良かったのだろう。
正直、ドブ煮込みを焼き殺しきれるか、要するに充分に中まで加熱できるか分からないが、生焼けでもあやかし世界にはある程度のダメージになるし、皇龍清明様がその後ドラゴニックファイナルクラッシュで後始末すればいいだけのこと。
さーて、最期の大仕事ですと
私は大きく息を吸って──、
──後を追うからな。
水社一心の言葉が脳裏に過る。
私はせっかく大きく吸った息を、吐いて終わった。ただの深呼吸じゃん。これ。。
なんなんだよ水社一心は。
私は手のひらを握りしめた。
異能でここを吹き飛ばせば一発だっていうのに。
私がここで、全部終わらせることが出来るかもしれないのに。奥歯を噛み締める。
──待ってろ。
頭の中で、ここにいもしない水社一心の言葉が、ずーっと煩い。
勘弁してほしい。あいつにさえ出会わなければ、今この瞬間、ためらいもなく全部吹き飛ばすことが出来たのに。
あいつがいなければ、完璧だったのに。
なんでこんな、計画全部狂わされた黒幕キャラみたいなことを思わなきゃいけないんだ。
勘弁してくれ。
しかも敵幹部に攫われるっていう、お姉様みたいなヒロインムーヴまで発生して。私は辺りを睨みつける。
異世界恋愛あるある──魔法があろうが無かろうが最後の残り40ページ部分で誘拐が頻発。
正直、王太子妃とか皇后であれば、あるだろうなと思う。
だって相続系の殺人ミステリーで、金持ちとはいえ一般市民であっても3人くらいは死ぬ。誘拐くらいはあるだろうし、ファンタジー要素があれば、人を攫うのも、そうした要素のない国より楽。
その分、防犯レベルもファンタジー分、アップするだろうが……増える。それに軍人として働いていれば、嫌でも事件の話を聞く。
霊力や異能絡みの事件とそうでない事件と沢山あるが、誘拐は多い。悪の組織の人身売買目的による誘拐から、それこそ相続系の誘拐事件、身代金目当て。
だからお姉様が誘拐されないよう気を付けていたし、水社家にいるならそれに越したことはないと考えていたけど──私か誘拐されるとは。お姉様が誘拐されなくてよかったし、ヒロインは誘拐されろと思ってるわけじゃないけど、
異世界恋愛ファンタジーのヒロインじゃないんだ私は。私はお姉様みたいな言葉遣いは出来ないし、気に入らない人間は罵る。
私みたいなヒロインが発生したら世も末。
レビューの低評価で前世で読んだほうの水社一心とデッドヒートを繰り広げてしまう。「ちょっとごめんなさい、ヒロインの口が悪すぎて……絵は本当に文句なしの5なのですが、あまりにもひどいので3です。本当は2なのですが絵は本当にすごいので、編集が仕事してくれなかったのかなあ。こういうのをチェックするのが出版社の仕事だと思うんですけどね」が確実につく。だってヒロインをヒーローに、口が悪いをモラハラにに書き換えればそっくりそのまま水社一心のレビューだから。
なのに誘拐された。
ヒロインじゃないのに。
お姉様に傷ついてほしくないけど、ヒロインに発生することが私の身の回りで起きると、胃のあたりが落ち着かない。駅で改札に入った後、「本当にピッてやったっけ?」という不安の凶悪版に襲われる。すんごい嫌。
でもお姉様が誘拐されなくてよかった。
でもお姉様は自分が誘拐されるより他人が誘拐されるほうがダメージ受けそう。
でも、から始まる思考の反復横跳びだ。悩ましい。悩ましインフェルノ。この苛立ちを込めて焼け野原にしてやろうか悩むが、頭の中で水社一心の幻聴が響き、私は思い切り地面を踏みしめた。
本当に煩いあいつ。ここまで来ると水社一心に呪われてるんじゃないか疑う。
待たなきゃいけない。
待つのが一番嫌い。
心の底から嫌いなものランキング第10位、待つこと。
待っていても誰も助けてくれないから。
自分でなんとかするしかないから。
だから前世でああだったのに。
お姉様の顔や水社家、管理局との思い出がよぎる。
私は再度ため息を吐く。
待ちはする。
待ちはするけど、動き回りもする。
どう待つかは、言われてないから。




