雨乞い
雨が降っている。
道の先が霧がかるほどの大雨の中、野狐禅は考えていた。
日照りで土は乾くのに、太陽に近い雲の中は水を取り込み、時には雨を降らせる。
何故だろうと野狐禅が考えていると、「おおーい」と背後から声が響く。
野狐禅が振り返ると、男がばしゃばしゃと水たまりに激しい波紋を落としながら、駆けてくるところだった。質の良さそうな男の下衣は無残にも泥に濡れる。
「傘どうしたんですか、濡れますよ……あれ、濡れてない?」
男が黒い傘を野狐禅の頭上に差し出した。ふっと視界が暗くなる。
「霊力ではじいているから、傘はいらないの」
「すーごいっすねぇ、いいなぁ、便利」
「……」
野狐禅は手短に済ませ、話を終える雰囲気を出しているのに男は察する気配がない。それどころか、どこか気忙しさの滲んだ調子で話しかけてくる。
「これから山に行くんですか? あぶなくないですか」
「一人歩きは慣れているから」
「なら二人で行きましょうよ、せっかくですし」
男は自らの肩を濡らしながら、野狐禅に傘を分ける。
男からは霊力を感じない。
霊力のない人間は、霊力のある人間より弱い。
霊力のある人間は、あやかしより弱い。
なのに男は笑う。
その笑顔が──ざっと、砂に書いた絵が波にさらわれるかのように、かき消えていく。
輝宮寺啓介。
暮日村の最奥部に位置する暮日山に向かう途中で出会った。
そして野狐禅がこの先、一生、その名に囚われ続けると自覚した男。
輝宮寺啓介は、野狐禅の胸の内にくすぶるそれが、人間の言う恋情なのか、憧憬なのか、何一つ教えぬままに死んだ。
孤独に過ごそうが何も問題なかった野狐禅に、霊力も異能も無かったはずの存在が、消えぬ呪いを施した。何たる皮肉だと、野狐禅は我が身を振り返る。
暮日山は、人間とあやかしの間で異なる、二つの言い伝えがある。
人間たちの中での、暮日山の言い伝えはこうだ。
暮日山の最深部には──あの世と此の世──此岸と彼岸を繋ぐ川が流れている。
その川を渡れば死者の国。河原は賽の河原といって、罪の子供が石を積み上げることを強いられる。
罪の大人はそのまま、石を積む禊すらあたえられず、地獄に落ちるのみ。
罪を犯さず生を終えた者。
罪の子ながら石を積み上げた子供。
地獄に落ちる定めの者。
三者の途があることから三途川と呼ばれ、その川を渡り、それぞれ天国と地獄に向かう。
天国は晴れ晴れとした空のもと花が咲き乱れ──まさに極楽浄土。
地獄は罪の者たちが魂を清める炎が延々と広がり阿鼻叫喚の地獄絵図。
野狐禅は天国と地獄の話を聞くたび考えていた。
魂を清める炎というが、この世で何の罪もなく炎に焼かれ死んでしまった人間は何だというのか。
天国では晴れている。
ならば晴れの対称となる雨は地獄の象徴なのだろうか。
疑問に思えど、答えを知る者はいなかった。
あやかしが地獄に連れていってしまうから、夜は早く寝なさい。
いい行いをすれば天国に行けるよ。
そんな風に話す人間は沢山いるのに、天国や地獄に向かったことがある人間はいない。
あやかしは知っているように人間は話すが、あやかしである野狐禅は、天国も地獄も知らない。
あの世とこの世の概念すら、人間を通じて知ったのだ。
強い力を持つあやかしは、時や空間に干渉できる力を持つ。
人よりずっと早く動くこともできるし、人に認識されない空間を作りだすことも可能だ。
あやかしと人は感覚と間隔が異なるのだ。
五本の指を持つ人間が、小指、中指、親指という間隔で三回行動できたとする。
あやかしはその三回の間を刻める。
つまり薬指と人差し指のぶん──五回の行動が出来るのだ。
さらに元の、小指、中指、親指のぶんの三回の行動を意図的に減らせる。
その間隔を認識できる感覚を、あやかしは持っているから。
ゆえに空間の支配も出来るのだ。空間を認識する感覚を持つゆえに、霊力を用いて周囲の認識を書き換え異空間を生み出す。
やり方を教わったわけではない。
ただ、出来ることを知っていただけ。
あやかしは人と異なる。誰かに教わり、生き方や戦い方を学ぶわけではない。
最初から頭の中に入っているのだ。
──それこそ、枯賀末理の考える、異世界転生のように。
追憶に心を寄せていた野狐禅は、霊力で異空を渡りながら自らの抱える枯賀末理に視線を向ける。意識を奪った為、普段の殺気はかき消え、何の運命も定まってないような少女然としていた。
これから向かうのは、延々とあやかしが生み出される地──人間たちの考えるあやかしの世界。
幽世、冥界、闇の世界、裏世界、地獄。
人間たちがそこを示す呼び方は色々ある。でも、そこは地獄ではない。
永遠の夜が続く、人の魂の届かない場所。
名前の無い場所。
数多のあやかしが彷徨ううっそうと黒い木々が茂る森の先、荒々しい山岳の果てに、それはそれは広い湖が広がる。
その湖に浮かび聳える、寝殿造。
蜘蛛の巣のように入り組んだそこは、迷宮と呼ぶにふさわしい。
その最深部に、あやかしの祖が君臨している。
名乗られたことはない。
あやかしの祖が自らを語ったこともない。
一目見て、その存在があやかしの祖であり自分が敵う存在ではないと認識した。
あやかしの祖は、野狐禅に干渉しない。なにかしろと命ずることもない。
偶然にも三妖士が集まり、三体の中、あやかしの祖に最も関心を持つ猫又が、自らの在り方や何か望むことはないのかと、あやかしの祖に問いかけたことがある。
『時を待て』
あやかしの祖の答えは、ただそれだけ。
ゆえに各々、好きにすることにした。
野狐禅は人を眺めた。
本音と建て前を持ち、まどろっこしい人間が理解できない。
理解できないからこそ眺める。
知ろうとして、調べて、理解できないことを理解する。
いつまで経っても、人は理解できない。
時を待てというがいつまで待てというのか。
そうして先の見えぬ旅路を続け、枯賀快炎とその内縁の女を知った。
野狐禅は目の前の人間に合わせ、調子を変える。
口調も何もかも。
人はそれを化けると言うのだろうが、野狐禅は化けたつもりなどない。
化けるとは、元に確固たるものがあること。
野狐禅は何もない。
自分がどんな存在なのか、自分ですら、理解できてない。
知らないから。
誰も教えてはくれないから。
あやかしの祖も、教えてはくれない。
あやかしの祖だって、自らを理解しているようには思えなかった。
最深部で、じっと何かを抱え、ブツブツと独り言を喋り、時折人の道に現れては何かをして、あやかしを生みだす。それを繰り返す。延々と。
自らを生みだした存在の行動理念だって、理解できなかった。
輝宮寺啓介。
分からなかった。
自分に化けてもいいと言った男の考えが。
輝宮寺啓介は、自分というものをたしかに持っているはずだ。
死ぬことを確かに恐れていた。
なのに自分に化けてもいいと言った。
あれは投げやりな献身とは異なると、枯賀末理を見て理解できた。
枯賀末理は自らを省みない行動をとるが、それは自暴自棄の転用に近い。
輝宮寺啓介の根幹に、それは見られなかった。
なのに自分に化けてもいいと言った。
輝宮寺啓介が死に、時が過ぎて、野狐禅は理解した。
あやかしの祖は、失ったのだと。
そしてその推察は正しかったと、枯賀末理の血が証明した。
千年桜は恋と咲く。
此方と異なる異世界の物語の筋書きが正しければ、輝宮寺啓介は名も無き人間のひとりだった。
そして、輝宮寺啓介は、物語が始まる前に死んだ。
輝宮寺啓介は物語に要らない人間だったから死んだ。そう思いたかったのに、枯賀末理の持つ記憶──異世界の医術が、野狐禅の退路を断つ。
野狐禅が、輝宮寺と出会ったあの場所に向かった理由は、あやかしの祖の命によるものだ。
暮日山は、人間とあやかしの間で異なる、二つの言い伝えがある。
人間の言い伝えでは、此岸と彼岸に纏わるとされている。
あやかしの間では異なる。
暮日山は、あやかしのいる世界と、人間のいる世界と最も繋がりが深い場所。
しかし、暮日山を介入せずとも人間の空間に介入できてしまうので、わざわざ暮日山に関心を持つあやかしはいなかった。あやかしの祖だって、気に留めている節は無かった。
人間も、あやかしの世界と近いなんて思っていないだろう。でなければ傍に村なんて出来ない。
霊力の伴わぬ人間──輝宮寺啓介だって、蛍目当てに向かうような、そんな場所。
あやかしの目からも人の目からも、外れた場所。
暮日山。
野狐禅だけだ。
何かあるんじゃないかと、退屈しのぎに向かったのは。
「輝宮寺、啓介」
野狐禅はもうこの世にいない存在の名を呼ぶ。
生きている時には、一度たりとも呼ばなかった名だ。
呼んでいたらどんな顔をしていたのだろうか。
どんな返事をしていたのだろうか。
考えても答えはでない。
枯賀末理を胸に抱きながら、野狐禅は想う。
地獄で雨が降るならば、それは自分にとって最たる祝福であり──罰であると。
もう一度会えるならば、自分はどんなことでもすると、心に誓いながら。
此彼村で漫画家を探しています(前作・現代)の三途川→千年桜は恋と咲くの三途川のモデル
此彼村→暮日村のモデル
特に、人物が出てくるとかは一切ないのですが、既読の方は「ああ」と思ってください。荒破どうにかしたことで生まれた「千年桜は恋と咲く」です。




