第35話 決意
7月なのに涼しく嬉しい。小説も捗る!(嘘)
「それで……どうなんですか? 容体の方は……」
「命に別状はないけど、意識が……戻らないそうだよ」
祐人が心配そうに恐る恐る尋ねると、待合室に浅く座った青空が答える。
その後育美の叔母は直ちに病院へと搬送され、その場に居合わせた彼らも第一発見者及び通報者として同行を余儀なくされた。青空は続ける。
「霧人を取り込んだことで、精神がやられてしまったんだろう。恐らくこのまま目を覚まさないか……目覚めたとしても、まともな意思の疎通は不可能だろう」
「そ、そんな……」
ショックを受ける祐人に諭すように心は言う。
「これであんたにも分かったでしょ? 霧人との戦いは遊びじゃない。奴らを取り込んだ人間は普通はそうなるの。下手をすれば命を落とすことだってある。それはあたしらだって同じ。あんたが無事だったのは、運が良かっただけ」
「……」
「これに懲りたらこれからは大人しくしてなさい。これはあたしらの役目なんだから。そもそもあんたがどうこうすることでもない」
その言葉は祐人を冷たく突き放すような厳しいものだったが、祐人をこれ以上霧人との戦いに巻き込まないための配慮でもあった。しかしそれと同時に、彼女の言葉には諦めの色が含まれていた。「あんたにどうにかできる問題じゃない。私たちが嫌でも戦うしかない」という仄暗い諦めの色が。そんな中、青空がゆっくりと立ち上がる。
「……さて、と。行こうか」
「行くって……どこへですか?」
「今回の件で上から呼び出しを受けてね」
「じゃあ僕も……」
「いや、五十嵐君は大丈夫だ。心が言ったようにこれは僕らの役目だからね。君はもう帰った方がいい。あまり遅いと家族も心配するだろうからね」
「……分かりました。そういうことなら今日は帰ります」
祐人は青空の言葉に従い、大人しく引き上げることにした。病院の出口へと向かう最中、見知った顔とすれ違う。
「田中さん?」
「五十嵐くん……それに生徒会の皆さんも……」
すれ違ったのは育美だった。学校のジャージ姿の育美は汗びっしょりで息を切らしながら、祐人と生徒会の面々を交互に見る。祐人は恐る恐る来院の理由を確かめるように尋ねる。
「叔母さんの件で……だよね?」
「うん……病院から連絡受けて……でもどうしてそれを……?」
「えーっと……実は僕らが第一発見者で、通報したのも僕らなんだ」
「そうだったんだ……それで……叔母さんの容体は……?」
「それが……意識が戻らないらしくって……」
「そ、そんな……いやぁぁぁぁぁ!!」
叔母の容体を聞かされた育美はパニックを起こして叫んだ。
「た、田中さん! 落ち着いて!」
「いやぁぁぁぁ!!」
育美が落ち着くように声をかけるが、混乱した彼女の耳には届かない。
「田中さん!」
「いや……いやぁぁぁぁ!!」
叫ぶ育美に祐人が言う。
「落ち着くんだ、田中さん! 素数を数えて落ち着くんだ!」
「そ、素数……? どうしてこの状況で素数なんて……」
(ほ、本当に落ち着いた……! 言ってみるもんだな……数えてはないけど)
「……ねぇ、大丈夫だよね? すぐに目覚めるよね?」
「そ、それは……」
祐人の素数発言によって幾分落ち着きを取り戻した育美は縋るように尋ねる。だが、祐人は言い淀み口ごもった。軽々しく「大丈夫」などと言えるような状況ではない。ましてや「多分もう目覚めることはない」などと言えるはずがない。
「もし……叔母さんに何かあったら、私……私……!」
突きつけられた辛い現実に育美は両手で顔を覆って声を震わせた。その姿に胸が締め付けられる思いがしたが、今の祐人にできることは何もない。
「私……残ります。田中さんが心配だから」
育美のすすり泣く声が響く中、早織が決然と言い放った。
「……分かった。報告は僕らだけで行くよ」
青空は短くそう答えると、心と凪雲を連れてその場を後にした。残されたのは育美と早織、そして祐人の三人。
「田中さん、大丈夫?」
「う、うん……ご、ごめんね……? 迷惑かけて……」
「迷惑なんかじゃないよ」
早織が優しく答える中、祐人は二人に声をかける。
「二人とも喉渇いてない? 売店で何か飲み物でも買ってくるよ!」
言うが早いか祐人は駆け出す。数分後、祐人は大きなビニール袋を右手にぶら下げて戻ってきた。
「何がいいか分かんなかったから、色々買ってきた。水にお茶にコーヒーにスポドリにコーラに……田中さん、どれがいい?」
「じゃあ、お茶で……」
「お茶ね! 広瀬さんも何か飲む?」
「えっと……じゃあ、お水貰っていい?」
「水ね! オッケー!」
祐人はビニール袋から緑茶とミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、それぞれを二人に手渡した。育美はボトルを受け取ると、キャップを開けて一口流し込んだ。
「ふぅ……ちょっとだけ落ち着いたよ。ありがとう五十嵐くん……それに広瀬さんも」
育美の言葉に祐人と早織はほっとしたように顔を見合わせた。
そして三人は育美の叔母の病室へと移動した。入口の扉は固く閉ざされ、「面会謝絶」と書かれたプレートがかけられている。そこで三人は入室を諦め、同じ階の談話室に留まることにした。
「……私、五年前に家族を亡くしたんだ……」
祐人が先程買ってきたコーラを飲んでいると、育美がぽつりとつぶやいた。
「……両親と妹と弟。家族全員。それで身寄りがなくなっちゃって、叔母さんに引き取られてさ」
「……」
「そ、そうなんだ……」
ヘビーな内容に早織は黙り込み、祐人はどうにか声を絞り出した。育美は続ける。
「叔母さんには感謝してる。自分だって苦しいのに、私を引き取ってくれたんだから。それなのに私は……ずっと意地張って……壁作って……」
その台詞を聞いた刹那、祐人の脳裏に浮かんだ一場面。叔母の話題を口にした途端に口をつぐむ育美。学校での育美の様子を気にする育美の叔母。夕闇に消えていく寂しそうな笑顔――
そして気付いた。二人の間に微妙な距離があることに。
「こんなことなら……もっと早く素直になればよかった……し、試合だって……み、見に……う、うぅ……」
育美は声を震わせて言葉を詰まらせる。そんな育美に早織は寄り添い、優しく背中をさする。
「……もしかして本当に試合を見に来て欲しかったのは、叔母さんだった?」
早織の問いに育美はおずおずと頷く。
「う、うん……本当は前から叔母さんに来て欲しいと思ってた……でも言い出す勇気が出なくって……生徒会に相談に行った時もそのことを話すつもりだったのに、結局はぐらかしちゃって……」
育美の吐露は続く。
「バカだよね、私。大事なことから逃げ続けて、今さら後悔して……。きっと叔母さん、私のこと嫌ってるよ……全然可愛げなかったもん。感謝もしないでお礼も言わないで……」
「実はこの間、田中さんの叔母さんが家に来てたんだ」
育美が後悔を口にする中、祐人はぽつりとつぶやいた。
「……叔母さんが?」
「うん。管理物件の定期訪問とかで。その時に田中さんの学校での様子を聞かれてさ。それで僕が楽しそうにしてるって答えたら……何だとても嬉しそうだったよ。あの顔は嫌ってるって顔じゃなかったな。少なくとも僕にはそう見えた。きっと……田中さんのことを心配してたんじゃないかな」
「……叔母さんが私のことを……」
それを聞いた育美の目から一粒の涙が流れた。涙はとめどなく溢れ、育美はボロボロと泣き出した。
「うぅ……! 叔母さん……! ひっく……」
泣きじゃくる育美に祐人は何も言えなかった。何か気の利いたことを言って励ましてやりたかったが、何も思い浮かばなかった。
「……私やるよ」
祐人が言葉に詰まる中、早織がぽつりとつぶやいた。
「やるって……何を?」
祐人の問いに早織は答える。
「私の力を田中さんのために使う」
早織は決意した様子でそう宣言した。いつになくはっきりとした、力強い口調で。




