第33話 叔母
暑くなってきましたね
同日放課後。祐人はある店へと立ち寄っていた。
「こんにちはー!」
祐人が声をかけると、店の奥から無精髭を生やした大柄な男性が姿を現した。
「あぁ、ケン坊の友達か。少しは良くなったか? その腕」
ミゾノスポーツの店主である溝野は、祐人にそう声をかける。
「良くなってるかはよく分かんないですね。でもギプス生活にはだいぶ慣れてきました」
「そうかい、そりゃなによりだ。それで……今日は何の用だ? その様子じゃ運動なんかできそうにねぇけどよ」
「あれ置いてないですか?」
「あれ?」
「ほら、応援に使う……『必勝』とか『疾風迅雷』とか『思い出なんかいらん』とか書いてるやつ」
「あぁ、横断幕か」
「そう、それそれ! ありますか?」
「生憎だが置いてねぇなぁ。そんなもん欲しがる客はいねぇからよ」
「そっか、残念」
「本土のスポーツ用品店になら置いてるかもな。しっかし何だってまた、そんなもん探してんだ?」
溝野の素朴な疑問に祐人は答える。
「そりゃもちろん応援に使うんですよ」
「今度は応援団でも始めたのか?」
「生徒会の活動の一環として、生徒のお悩み相談を始めたんですよ。そしたら女子バスケ部から『試合を応援して欲しい』っていう依頼があって、それで準備をしてるってわけです」
「なるほどな。悪ぃな、力になれなくて」
「全然! とりあえず寄ってみただけなんで! ここに置いてないなら別の応援方法考えますよ」
「そうか。まぁ、頑張れや。ところでどうだ? あいつらの様子は」
「あいつら?」
聞き返した祐人に溝野が答える。
「野球部のこったよ」
「あぁ、野球部! 毎日夜遅くまで練習して、やる気に満ち溢れてるって感じですね」
「ついこの間までやる気のやの字もなかったような連中が……ずいぶんと見違えたもんだ。以前みてぇにこのまま強くなってくれりゃあいいんだけどな」
「前は強かったんですか?」
今度は祐人が溝野に質問を投げかけた。溝野は答える。
「あぁ……強かったぜ。甲子園に出たことはねぇが、準決辺りまでは確実に行けるようなチームだった」
「へー。そんなチームが五年も勝てなくなるなんて、何があったんですか?」
祐人が口にした当然の疑問に、溝野は気まずそうな顔で頭を掻いた。そして言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと答える。
「……災害があってな。大きな被害が出たんだ。犠牲者も大勢出た。それで野球どころじゃなくなっちまってよ」
「そ、そんなことが……すみません……そうとは知らず……」
「……気にすんな、過ぎたことだ。それよりバスケ部の応援だったか? 頑張れよ」
しおらしく謝罪する祐人を気遣うように、溝野は祐人にそう告げた。
「はい! 頑張ります! それじゃあ今日はこの辺で失礼します」
祐人はそう応じて店を出た。そして考え事をしながら歩き出す。
(とは言っても、やっぱり応援するなら横断幕あった方がいいよな。チームの士気も上がるし。もしかしたら備品として学校にあったりしないかな? 明日聞いてみるか。それにしても……災害か。この島にそんなことがあったなんてな……)
そんなことを考えながら歩いていると、程なくして家へと到着した。敷地内の庭には一台の車が停まっている。街でよく見かける白い営業車だ。
「この車は……」
祐人は思わずつぶやいた。その車に見覚えがあったからだ。祐人が停まった車を眺めていると、玄関の戸が開いた。出てきたのは温和そうなふくよかなの女性だった。
「どうも、こんにちは」
祐人の姿に気付いた女性は穏やかな声で挨拶をした。この女性にもまた見覚えがあった。霧人島に来て、初めて会った人物だ。(第1話参照)
「こんにちはー! えーっと、確か管理会社の……」
「田中です。その腕はどうしたんですか?」
「腕? はっ! いつの間に!?」
祐人は初めてギプスの存在に気付いたというボケをかました。相手が誰であろうと、とりあえずボケるという悪癖が炸裂した瞬間だった。
「……」
「いやー、実は蚊を叩こうとしたらこうなっちゃって」
しかし田中は見るからに反応に困っている様子だった。それを見た祐人は瞬時に軌道修正を行い、ギプスの理由をかいつまんで説明した。引き際は心得る。それが彼のポリシーだった。
「蚊を?」
「そうなんですよ。ちょっと全力で叩きすぎちゃいまして」
「それはまた……その腕じゃ不便でしょう?」
「まぁ、不便っちゃ不便ですけど、もう慣れました。それにクラスのみんなも優しいし」
「それならよかった」
「ところで今日はどうしたんですか?」
「管理物件の定期訪問です。何か不満や困ったことがないか、定期的に聞いて回ってるんですよ。ちょうど今日はお母さまもいらっしゃるとのことだったので」
「へー、それでわざわざ家まで?」
祐人の問いに田中は頷く。
「電話やメールでも十分ではあるんですが、やはり直接話を聞いてみないと分からないことも多いですからね」
「確かに! 直接話を聞いた方が手っ取り早いし、意見も伝わりやすいですよね」
「そうなんですよ。ところでどうですか? この島での生活にはもう慣れましたか?」
田中の問いに今度は祐人が頷く。
「はい! おかげさまで! 転校早々生徒会にスカウトされたり、野球部の助っ人をしたり、この島でしか味わえないような自然現象(霧人のこと)を体験したり、毎日エキサイティングな日々ですよ。超エキサイティン!」
「へぇ、生徒会に? それはすごい」
「そうなんですよ。顔採用だと思います。なーんて! あはは!」
自分のボケに自分で笑った後、祐人は続ける。
「実は今日も女子バスケ部から試合の応援依頼を受けて、色々と準備をしてたとこなんですよ」
「女子バスケ部ですか? 奇遇ですね。私の姪っ子もそうなんですよ」
「へー! じゃあもしかしたら僕の知ってる人だったりして? なんてね、まさか……ん? 田中……? もしかして……その姪っ子の名前って……田中育美だったりします?」
祐人の言葉に、田中は驚いたように目を見開いた。
「え、ええ、そうです。でもどうして育美を?」
「実は同じクラスなんですよ! いやー、すごい偶然ですねー」
「育美の……クラスメイト……」
ぽつりとつぶやいた田中に祐人は言う。
「はい、そうです。クラスメイトです。最近はノートをコピーさせてもらってて、すごく助かってます」
「いや……こちらこそ。育美と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。席も近いんでよく話すんですよ。僕の右斜め前」
「学校での育美は……どんな様子? 元気にしてる?」
「元気ですよ! いつも明るいし、誰にでも親切だし。思えば田中さんにはノート以外にも色々と助けてもらってるなぁ。転校初日も温かく迎えてくれたし、気配りは上手だし、ボケた時はツッコミ入れてくれるし。ほんといつもお世話になってます」
「そっか……」
祐人の言葉を聞いた田中は、しみじみと噛みしめるようにぽつりとつぶやいた。そして続ける。
「学校では楽しくやってるみたいで安心した。さて……それでは私はこれで失礼します。何かあればまたお伺いしますので」
田中は仕事用の口調と表情に戻ると、停めていた営業車に乗り込んだ。鍵を差し込んでエンジンをかけると、車はガロロロという低い唸りを上げる。田中は運転席の窓を開けて祐人に言う。
「よければ……これからも育美と仲良くしてやってくれる?」
「はい! それはもう! こちらこそ!」
「……ありがとう。それじゃあ」
田中の問いに祐人は元気よく答える。それを見た田中は薄く微笑むと、ゆっくりと車を走らせ始めた。その笑顔は安心したような、それでいてどこか寂しそうにも見えた。
車はどんどん小さくなっていき、やがて夕焼けに溶けて消えていった。




