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第29話 声を失った少女

声を失った少女と喋りたがりの少年の心温まる物語

【】は書き文字と思ってください

「こんにちはー!」

 放課後。今日も今日とて祐人は元気よく生徒会室のドアを開けた。いつもの制服ではなく学校指定のジャージを着用した祐人は、さっそく部屋に一人いた少女に向かって声をかける。

「やぁ、浦上さん! 元気?」

「……(ペコリ)」

 挨拶された凪雲は返事の代わりに会釈を返す。昨日の青空からの提案を固辞した祐人の左腕には、依然としてギプスが巻かれている。

「先輩たちはまだ来てないみたいだね。浦上さん、一人?」

「……(コクリ)」

「そっか! じゃあみんなが揃うまで待とう。あ、ちなみに広瀬さんも掃除当番と日直の仕事で少し遅くなるってさ。実は僕も掃除当番なんだけど、この腕だから免除してもらってね? いやー、持つべきものは友だね! 治ったらこの借りはしっかり返さないと。それにしても今日も暑いねー、やってらんないよ。やっぱり地球温暖化のせいかな? もしくはヒートアイランド現象? まったく何でこう毎日暑いのかね? 松岡修造かっての!」

「……」

 調子よくペラペラとまくし立てる祐人に、凪雲は困ったような顔で苦笑いを浮かべる。

「知らない? 松岡修造。元テニス選手で……ん? その顔は……『昨日は制服だったのに、どうして今日はジャージ?』って顔だね?」

「(違う……)」

 凪雲の心の声が分からない祐人は引き続きペラペラと説明を続ける。

「ほら、この腕じゃん? 昨日はとりあえず制服で来てみたんだけど、片手だとシャツのボタン止めるのも大変で。それで先生に相談したら、治るまではジャージでいいことになってさ」

「……(カリカリ)」

「?」

 凪雲は鞄からペンケースとノートを取り出すと、シャーペンでノートに何かを書き始めた。祐人は頭にクエスチョンマークを浮かべながら、凪雲の様子を見守る。数秒後、作業を終えた凪雲は祐人に向かってページを広げて見せた。そこには小さな文字でこう書かれていた。

【そうなんですね】

「やっぱり話してみるもんだよね。ところで……普段クラスとかでもこうやってノートでやり取りしてるの?」

「……(コクリ)」

「家でも?」

「……(カリカリ)」

【家ではお兄ちゃんの力を使って会話してます】

「浦上先輩の? あー! あれか! 確かにテレパシーがあれば普通に会話できるもんね」

「……」

「……」

 二人の会話はそこで途切れた。祐人は誰彼構わずガンガン行くタイプだったが、凪雲相手にはさすがに遠慮が働いた。凪雲は凪雲で内気で人見知りのため、彼女から会話を盛り上げるというのも期待できない。その結果、二人の初めてのまともなコミュニケーションは一切の盛り上がりを見せることなく終了した。

「何か喉乾いてきたな……ちょっと飲み物買ってくるよ!」

 そう言うと祐人は財布をジャージのポケットに突っ込んで部屋を飛び出していった。一人残された凪雲は思う。

(きっとつまらなかったんだ。だから出ていったんだ。そうだよね……私なんかと一緒にいて楽しいわけないもん……)

 凪雲が心の中で一人反省会を開いていると、勢いよくドアが開いた。驚いた凪雲が顔を上げると、そこには右手にビニール袋をぶら下げた祐人の姿があった。

「コーラ買ってきた! 一応、浦上さんの分も買ってきたんだけど……いる? いらないなら僕飲むけど」

 そう言うと祐人はビニール袋からコーラのペットボトルを二本取り出した。凪雲は少し困った顔をした後、ノートに文字を書き起こした。

【ありがとうございます。いただきます】

「よかった! じゃあはいこれ。あ、悪いんだけどついでにキャップ開けてくれないかな? 片手だとどうにも開けにくくて」

「……(コクリ)」

「ありがとう!」

 凪雲からボトルを受け取った祐人は礼を言うと、ぐいっと中身を呷った。

「美味い! やっぱり夏はコーラだね。まぁ、コーラはいつ飲んでも美味しいけど。そうそう、ついでに浦上さんとのコミュニケーション用に新しいノートも買ったんだ」

「……?」

 そう言って祐人はビニール袋から真新しいノートを取り出した。首を傾げる凪雲に彼は続ける。

「僕もノートがあれば浦上さんと上手くやり取りできると思ってさ。ただ、今はちょっと左手が使えないから時間かかっちゃうと思うけど……やっぱり利き手じゃないと文字書くのも大変だよね。おかげで授業も苦労しててさぁ。まぁ、みんながノートコピーさせてくれてるから何とかなってるけど。ほんとみんな親切だよ。あ、ちなみに箸は右手でも使えるんだ! 昔、利き手を負傷した時のために練習してた時期があってさ。まさか役に立つ時が来るとは。備えあれば憂いなしってのはこのことだね」

「……」

 祐人のマシンガントークに圧倒されながらも、凪雲はノートに文字を書く。

【五十嵐さんはノートいらないと思います】

「え? どういうこと?」

【わざわざ書かなくてもしゃべればいいじゃないですか】

「え? 書かない……喋る……あ、そうかー!」

 凪雲の指摘にようやく気付いたらしく、祐人は盛大に大きな声を上げた。

「確かに書く必要ないじゃん! これは盲点だった。最初から言ってくれればいいのに」

 祐人のあまりの間の抜けた発言に、凪雲は思わずくすくすと笑った。

「じゃあどうしよっかな、これ。浦上さんいる?」

【使わないんですか?】

「うん。必要だと思って買ったけど、さっそく必要なくなったから」

【授業とかで使うんじゃ?】

「どうせしばらくはノート取らないからさ。それなら必要な人に使ってもらった方がいいかなと思って。僕よりノート使うでしょ?」

【ありがとうございます】

 祐人の言葉に凪雲はお礼の文字を書いて感謝を述べた。

「無駄にならなくてよかった。こちらこそ逆にありがとう。とりあえずみんなが来るまで何か話そうよ。暇だし」

「……(コクリ)」

 その提案に凪雲は小さく頷いた。

「よーし、じゃあそうだな。何か好きな物とかある?」

「……」

 祐人が何気なくそう尋ねると、凪雲は難しい顔をして黙り込んだ。彼女からの返答を待つ間に、祐人は先程開けてもらったペットボトルに口をつけた。炭酸が弾けるシュワシュワという音が室内に響く。

「……」

 凪雲はまだ考え続けている。その表情は質問の答えを探しているようにも、困っているようにも見える。手持無沙汰になった祐人はコーラを飲みながら、机の上に広げられたノートに視線を落とした。ページには今までのやり取りの痕跡らしい小さな文字が並んでいる。

(いちいち書かなきゃいけないなんて、大変だよな)

 そう思いながらノートを眺めていると、小さな文字に紛れるように黒い猫の絵が描かれているのを見つけた。

「……もしかしてそれって、公園にいた猫?」

「……(コクリ)」

 祐人の問いに凪雲は驚いたように顔を上げると、やがて小さく頷いた。

「やっぱりあの黒猫か! 人懐っこいよね、あの猫。めっちゃ噛んでくるけど」

【そうですか? 私は噛まれたことありませんけど】

「えー、そうなの? 僕なんか二回も噛まれたのに」

【地域猫でみんなで餌をやってるんです。たぶんタンゴだと思います】

「タンゴ?」

【その子の名前です。他にもクロとヤマトっていう子たちがいるんです】

「へー、他にもいるんだ!」

【クロは母親でヤマトとタンゴは兄弟なんです。五十嵐さんが会ったのもそうだと思います。タンゴが一番人に慣れてるから】

 そう()()凪雲の表情はとても嬉しそうだった。今まで常に見せていた不安の色は見当たらない。

「猫好きなの?」

 祐人の言葉に凪雲は僅かに顔を赤らめて、おずおずと頷く。

「……(コクリ)」

「そうなんだ! 猫いいよね! 家でも飼ってたりする?」

【家では飼ってないんです。ちょっと事情があって。本当はあの子たちを飼ってあげたいんですけど】

「そっか。いつか飼えるといいね。それにしてもよく描けてるよねその絵。一目であの猫だって分かったよ。絵上手だね」

【ありがとうございます】

 絵を褒められた凪雲はノートに礼の言葉を書いた。そして少しの逡巡の後、意を決したようにペンを走らせた。

【実は他にも描いてて。見ますか?】

「えー、見たい見たい!」

 祐人の無邪気な反応を受け、凪雲はゆっくりとページをめくった。そこにはデフォルメされたものからリアルなものまで、いくつもの黒猫の絵。さらには海の景色や人物画、漫画のキャラクターといった様々なイラストが描かれていた。

「おぉ! 色々描いてる! へー、すごいなぁ。よく描けてるよ。やっぱり上手だね」

【実は将来絵に関わる仕事がしたいと思ってるんです】

「へー、イラストレーターとか? それとも漫画家?」

【まだ具体的には。でもなれたらいいなって思います】

「叶うといいね、その夢。ちゃんと将来のこと考えてて偉いなぁ。僕なんてまだまだだよ。一応あるにはあるけど……」

 それを聞いた凪雲は祐人に尋ねる。

【五十嵐さんの夢って何ですか?】

「ちょっと言うの恥ずかしいな。でも僕だけ言わないのはフェアじゃないし……分かった、言うよ。実は……ヒーローになりたいんだ」

 祐人が口にした意外過ぎる夢に、凪雲は目を白黒させた。

【ヒーローですか?】

「そう、ヒーロー。特別な力で困っている人を助ける漫画やアニメの主人公みたいな……とりあえずそのための体力づくりとして毎日走ってるんだ。あと筋トレも。さすがに今は腕怪我してるから休んでるけど」

 その言葉に凪雲は初めて祐人と会った日のことを思い出した。確かにあの時の祐人はジャージ姿で、何か運動をしているような様子だった。祐人は続ける。

「他にもゴミ拾いとか元気に挨拶するとか困ってる人に声をかけるとかを心がけてるよ。ヒーローを目指すからには体力だけじゃなくて、行動も大事だからね。うーん……こうして改めて口にしてみると、我ながらちょっと幼稚な夢だなぁ」

 そう言いながら祐人は残りのコーラを一気に飲み干した。

【そんなことないです。素敵な夢だと思います】

「ありがとう。でもやっぱり恥ずかしいから、みんなには内緒ね?」

【わかりました。秘密ですね】

「そう、ここだけの秘密」

 それを聞いた凪雲はコクコクと頷く。

「(ここだけの……二人だけの秘密……)」

「悪い遅れた……って、あんたらだけ?」

 凪雲が祐人の言葉を反芻していると、入口の方から声がした。祐人と凪雲が顔を向けると、そこには心の姿があった。二人を見た心は率直な感想を口にする。

「また珍しい組み合わせだこと。とても話が合うとは思えないわ」

「いやいや、なかなか盛り上がってましたよ?」

「ふーん。何の話してたわけ?」

「松岡修造の話とか」

「……何で?」

「ちょっとトイレ行ってきます」

「何でだよ! 急だな!」

「さっき一気にコーラ飲んだから。ついでにこれ捨ててこよっと」

 そう言うと祐人は空になったペットボトルを持って生徒会室を出ていった。

「相変わらず意味不明な奴……」

 心は半ば呆れた様子でつぶやくと、凪雲の前に置かれているコーラのペットボトルをちらりと見た。そして尋ねる。

「それ、あいつが?」

「……(コクリ)」

「けどあんた……炭酸苦手でしょ?」

【これは特別だからいいの】

 凪雲はノートにそう書くと、机の上のペットボトルを慈しむようにそっと撫でた。

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