第45話『入洛』
巨鹿たちとの別れを経て、ロアとフルムは長く暮らした森を旅立った。
人の暮らす世界を目指して森を進み続けた二人は、やがて都市へ続く道と、巨大な城壁に囲まれた街を発見する。
しかし、身分証も通貨も持たない二人は、そのまま街へ入ることができず、林の中で助けてくれる人を待つことに。
一方、討伐依頼を終えた三人の少女――ミレイユ、リア、シエラもまた、都市ヴェリスタンへの帰路を歩いていた。
そして、林の中で偶然にもロアたちと遭遇する。
獣人の少女と銀髪の少年。
正体も目的も分からない二人を前に、三人は警戒を強める。
こうして、都市ヴェリスタンを目前に、二つの旅路が交差した。
*
「————・—————・————・——」
茂みから現れた銀髪の少年は突然、宙に浮く魔導書に向かって、何か――呪文を唱え始めた。
「――何をしようとしてるの……?」
「魔法でも撃つ気なのか……?」
「魔法陣が展開されてないから、それは無い……」
三人は、少年の不穏な行動に身構えた。
すると、少年の呪文に呼応するように、魔導書が勝手にページを捲った。
こちらからでは、魔導書とどんなやり取りをしているのか、詳しいことまでは分からなかった。
それでも、何か意図があることだけは分かった。
そして、少年は魔導書と睨めっこをした末に、そのノートの側をこちらへ向けた。
魔導書は、そのまま宙に浮いた状態で、こちらへ差し出されてくる。
「――なッ、何ッ……!」
「……絶対ヤバいッ――!!」
「……???」
三人は、こちらへ迫ってくる魔導書から、それが爆発物でもあるかのように、五メートルほど散り散りに距離を取った。
そんな三人の様子を眺めていた少年は、何をするでもなく、その場に座り込んだ。
そして、獣人の少女の名前を呼ぶ。
「フルム!!————・——」
少年の声を聞いた獣人の少女は、はっと我に返ったように耳をピンと立て、少年のもとへ駆け寄った。
そして、少年が地面に胡座をかいている、その足元にちょこんと座った。
すると少年は、フルムが握っていた鞘を取り、剣を引き抜いた。
そして、それを地面の上で滑らせるようにして、こちらへ投げてきた。
「——あッ!」
剣が投げられた瞬間、フルムは声を上げ、少年に向かって頬をぷくーっと膨らませた。
その剣は、三人に届くほどの速さも威力もなく、魔導書の下あたりで止まった。
三人は、獣人の少女を従え、剣までこちらへ投げてきた少年と、その行動に戸惑うばかりだった。
少年は、獣人の少女の頭を撫でながら、こちらをただ眺めている。
その瞳からは、敵意も悪意も感じられない。
だからこそ、その無関心とも思える様子に、三人は困惑を極めた。
三人は魔導書を警戒し、近づくことができない。
そんな膠着状態を破ったのは、三姉妹で唯一の魔法使い――シエラだった。
「ちょっと――私が見てもいい?」
シエラはそう言って、魔導書へ近づいた。
一番後ろに控えていたシエラは、リアとミレイユの横を通り、こちらに開かれて宙に浮いている魔導書へ向かって歩き出す。
「いいけど……。気を付けてね、シエラ……」
「えッ!? 罠じゃないの!?」
「多分、大丈夫……だと思う」
シエラには、確信に近いものがあった。
それは、こちらを攻撃しようと思えば、いつでもできたはずだからだ。
フルムという名の少女が恐ろしく俊敏で、リア以上の運動能力を有していることは、見れば分かる。
そして、あの銀髪の少年も、こちらが臨戦態勢を取っているにもかかわらず、まったく動揺していない。
戦い慣れているのかもしれない。
恐らく、あの少年は魔導書を携えていることから、魔法も扱えるのだろう。
何の魔法を、どの程度扱えるのかは全く分からない。
それでも、戦意も敵意も悪意も感じない。
だからこそ、不気味で恐ろしく見えた。
だが、彼らは子どもだ。
加えて、服を買うお金がないのか、身に着けているのは布を纏っただけのような粗末な衣服。
そこから察すると、彼らは戦いには長けていても、生活には困っているのかもしれない。
だから、私たちに藁にも縋る思いで助けを求めているのかもしれない。
そう考えたからこそ、シエラは一歩を踏み出すことができた。
シエラは身体を強張らせながら、一歩一歩、魔導書へと近づいていく。
その後方では、ミレイユとリアの二人が、臨戦態勢を取ったままじっと動かずにいた。
そして、シエラが魔導書の目の前まで来た瞬間――。
彼女は、そこに何が書かれているのかをはっきりと理解した。
見開きのページには文章ではなく、単語だけの名詞が幾つも羅列されていた。
―――
謝罪 自己 願望 都市 入城 必要 援助 必然 譲渡 金銭 報酬 準備 時間 自己 皆無 敵意
―――
シエラは、魔導書に記された熟語の羅列を見ながら、あの少年が伝えようとしている内容を読み取ろうとした。
「謝罪……? 都市に……入りたい……。助けが……必要……。報酬を……渡す? 敵意は……無い……かな?」
シエラが魔導書に綴られた文字列を解読し始めると、少年はフルムの動きを封じるように回していた腕をどけ、少女の背中をポンポンと叩いた。
すると、獣人の少女は解き放たれた犬のように、シエラへ向かって走り出した。
後方でシエラを見守っていたリアとミレイユは、急いでシエラとフルムの間に立つ。
ミレイユは盾を、リアは双剣を構え、フルムの攻撃に備えた。
しかし、フルムは疾走しながら、目の前に立ちはだかる二人の頭上を飛び越えた。
そして、シエラの背後へ着地する。
フルムは着地するや否や、シエラの背中の匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。
ミレイユとリアは、慌ててシエラとフルムの間に入ろうと駆け寄る。
だが、その前にシエラが口を開いた。
「大丈夫だよ――。この子にも……あの子にも、戦う意思は無いから――」
そう言ってシエラは、魔導書の解読を終えると振り返り、背後でクンクンと自分の服の匂いを嗅いでいたフルムの頭を、ゆっくりと撫で始めた。
「だ、大丈夫なの? 普通に触ってるけど……」
「シエラがそう言うなら……」
シエラの行動を機に、ミレイユとリアも恐る恐るシエラとフルムに近づいた。
「剣が無ければ――普通の女の子だね」
「こんにちは。お名前は……フルムちゃん?」
「こんにちわッ!!」
「「「――!?」」」
三人は驚愕した。
「何で、アンタまで驚いてんのよ――」
「いやッ――だって、言葉話せないと思ってたから――」
リアがフルムに話しかけると、フルムが言葉を話せることに、リアは人一倍驚いていた。
それを見逃さず、ミレイユがツッコむ。
シエラは、フルムに二人の目的を確認するため、質問を投げかけた。
「フルムちゃんたちは――あの街に入りたいの?」
「う~ん……わかんないッ!!」
フルムは、自分がなぜここにいるのかも、よく分かっていない様子だった。
「分かんないかぁ~。あの子は……お兄ちゃん?」
「そうッ!! ロアおにーちゃんッ!!」
銀髪の少年の名前は「ロア」というらしい。
「ロアくんね。――じゃあ、ロアくんとお話してもいいかな?」
「う~ん……いいけど、いまおにーちゃん――うまくおはなしできないよ……?」
――上手くお話できない……?
どういうことだろう……。
「そうなんだ……。それは、どうして?」
「いしがあたまにあたって――それでことばわかんなくなっちゃたっ!」
――石が頭に当たって、言葉が分からなくなった……?
事故に遭ったということだろうか……。
「分かった――ありがとう、教えてくれて」
「うんッ!!」
シエラはフルムと少し話をした後、遠くで座っているロアのもとへ向かった。
ロアは、茂みから現れた時から、全く移動していない。
それは、こちら側が思った以上に警戒していたため、動けば余計に警戒されるだけだと判断したのだろう。
シエラがロアの目の前まで来ると、ロアは静かに立ち上がった。
それでもシエラの方が身長が高く、ロアはシエラの顔を見上げていた。
「ロア……くん? こんにちは。私はシエラ。
後ろの赤い髪の子がリアで、淡い緑色の髪の子がミレイユ。
――さっきは警戒してごめんね。街の外は結構危険だから、いつも警戒するようにしてるんだ。
それで、私たちにできることがあれば手伝うけど――ロア君たちは街に入りたいんだよね?
街へ行く目的を聞いてもいい?」
ロアは終始、シエラが話し終えるまで黙って聞き、純真な面持ちで彼女の顔を見つめていた。
シエラが話し終えると、ロアは魔導書を自分のそばへ召喚した。
「……え?」
シエラは、思わず後ろを振り返った。
シエラは魔導書の横を通り過ぎてロアの前に来た。
つまり、魔導書は自分の後ろにあるはずだ。
そう思っていたからこそ、何もない空間に、先ほど見た魔導書が瞬時に召喚されたことに驚きを隠せなかった。
「凄いね――その魔導書……」
ロアは、自ずと開かれた魔導書を見つめた。
そして、少し時間を置いて、魔導書に向かって私たちの知らない言語で話し始めた。
「――・————・————・——・——————・——・——・————・————・——————・——————・————・——・——————・——・——・————・————」
彼の言葉は、本当に私の知らない言語体系だった。
部分的にさえ、理解できる単語は一つもない。
それから彼は、魔導書を使って何をしているのか分からないが、魔導書をこちらに向けて開いて見せてきた。
―――
目的 複数 身分 証明 労働 稼得 標準 飲食 寝具 就寝 武装 完備 言語 習得
―――
シエラは、二度目であっても、やはり魔導書をこちらに向けられると、何か攻撃が来るのではないかと、安全だと分かっていても半ば反射的にビクッと身体が跳ねて、身構えてしまった。
自身の臆病さに苦笑いを浮かべながらも、シエラは平静を装って魔導書の文字を解読していった。
「これは――身分証を作りたい。仕事をして、お金を稼ぐ。これは……普通に食事がしたいってこと? これは、ベッドで眠る……。これは――装備を整える……だよね。最後は……そのままか。
なるほど――色々と、街へ入ってやりたいことがあるんだね。
通行税なら、別に私たちが払ってあげられるけど、身分を保証するものがないのは――困ったね。
――ちょっと、こっちに来て?」
そう言うと、シエラはロアの手を取り、リアとミレイユ、そしてフルムがいる場所へ向かった。
三人のもとへ戻ると、リアとミレイユはフルムと追いかけっこをして遊んでいた。
「――もうすっかり打ち解けたんだね」
フルムを追いかけ回しているリアと、すでに息が上がって前屈みになり、休憩しているミレイユがそこにはいた。
そしてフルムは、疲れ切って倒れそうなミレイユの背中に飛び乗り、そのままだらーんと身体を預けた。
「フルムちゃん、足速いね~!」
「……はぁ……はぁ……っ、もう……しんどい……」
「ねえねえ、二人とも。ロアくんたちを街へ入れる方法、考えたいんだけど――」
シエラはロアと手を繋いだまま、二人のもとまで連れてきた。
「――!? あ、えと……大丈夫? 攻撃してこない?」
ミレイユは、まだ警戒しているようだ。
「ロアくん、こんにちは。うちはリア! よろしくねッ!」
リアは、ついさっきのことなど忘れたようにロアへ近づき、握手を求めた。
ロアは拙い発音で「こんにちは」と言って、リアと握手を交わした。
ミレイユも、全く臆することなくロアへ挨拶を済ませたリアに続き、少しだけ勇気を出してロアへ接近した。
「わ、私はミレイユ……。ロア君……よろしくねっ?」
ミレイユは、震える手をロアの前に差し出した。
ロアは、その差し出された手にゆっくりと手を添え、ミレイユと握手をした。
ロアは、彼女の緊張を解すため――リアとの握手よりも長く、ミレイユと握手を続けた。
すると、ミレイユの強張っていた表情が、次第に和らいでいった。
二人が挨拶を済ませたところで、シエラは口を開いた。
「ロア君たちは、街へ入りたいんだって。
――ただ、問題があって、二人は身分を保証するものを持ってないみたいで、それで立ち往生してたって。
だから、二人が街へ入るのを手助けしてあげたいと思ってるんだけど……二人は大丈夫?
一応、大事なことだから聞いておきたくて――」
「――え? ロア君、街へ入りたかったの? 先に言ってよー!」
リアが冗談混じりに答える。
「いや――言おうとしてたけど、私たちが警戒して近づけなかったから――」
シエラが苦笑しながら言う。
「確かに……警戒し過ぎだったかもね……」
ミレイユが申し訳なさそうに呟いた。
そして、リアが何に困っているのか不思議そうに、むしろそんなに話し合うほどの内容なのか、といった様子で言った。
「街へ入るなんて楽勝でしょ! 私たちが二人を袋に入れて、街の中まで運べばいいじゃん!」
シエラが呆れながら答える。
「……門番の人には、何て説明するの?」
リアは鼻を高くして、得意げに答えた。
「――魔物の素材って、言えばいけるでしょ」
「「う~ん……」」
そのリアの返答に、シエラとミレイユは首を傾げた。
シエラは、半ば諦めた様子で言った。
「取り敢えず、それでやってみよう。
――もしこの作戦でもダメだったら、その時は代表に守ってもらおう」
「シエラって……たまに脳筋だよね……」
そう言ってミレイユとリアは、大きな麻袋を二つ取り出した。
それぞれの袋にロアとフルムを入れ、二人を入れた袋を片手で肩から背中へ提げると、街へ続く門へと向かった。
そうして三人は、ようやく都市ヴェリスタンの門の前へと辿り着いた。
すると、二人いる門衛のうち、一人の若い門衛が三人に話しかける。
「おぉ――今日も依頼終わったんだな。お疲れさん」
「ありがと~」
リアが疲労感を漂わせながら、服の下に仕舞い込んでいた銅板でできた冒険者証を門衛に見せた。
それに続いて、シエラとミレイユも銅板の冒険者証を二人の門衛に見せる。
そして、三人は何食わぬ顔で門を通り抜けようとした。
その時、門衛が三人を引き止めた。
「ちょっと待って――通行税を忘れてるよ」
「――あっ! 忘れてたっ!」
ミレイユが慌てて、全員分の通行税に必要な通貨を小さな袋から取り出そうとする。
二つの大きな袋とは別に小さな袋を持っていて、その中から通貨を探し始めた。
ミレイユが通貨を探している間に、もう一人の中年の門衛が残りの二人に話しかけた。
「ちなみに――その袋には何が入ってるの?」
「「(――ヤバいッ!!)」」
ミレイユとシエラは、途端に顔が強張り、表情から血の気が引いていった。
不意に投げかけられたその質問に心臓が跳ね、二人の身体がビクッと反応した。
しかし、リアだけは違った。
リアは全く顔色一つ変えず、二人よりも先に口を開いた。
「――あぁ、コレ? 剥ぎ取って来た魔物の素材だよ」
門衛は、若干怪しみながらも、袋の中身について質問を続けた。
「そうなんだ……。今日の依頼は一段と大変だったんだね。――少しだけ、袋の中を見てもいいかい?」
シエラとミレイユは、この門衛の質問に何も反応することができなかった。
作戦は失敗に終わり、万策尽きた――。
そう思った、その瞬間。
リアは続けた。
「――別にいいけど、おじさんは今日、夕食に何食べる予定?」
そのリアの突飛な質問に、中年の門衛は面食らった様子で答えた。
「夕食……? 何で夕食の話になったんだい?」
「いや、この袋の中に入ってるの、グルムの素材だからさ。
私たちは匂いに慣れてるからいいけど、慣れてない人が嗅いだら、一週間は何も食べられなくなるから大丈夫かなーって思って」
「なるほど……それで心配して聞いてくれたんだね。
――そういうことなら、袋の中は見せなくてもいいよ。
引き留めて悪かったね。もう大丈夫だよ」
中年の門衛は、夕食が食べられなくなるのは困るのか、リアの懸念を聞くと潔く引き下がった。
「あ、分かりましたー。それじゃあ、失礼しまーす」
リアは快活にそう答えると、明るい笑顔で二人の門衛に挨拶をして、門を後にした。
ミレイユは話が終わったのを見計らい、通行税として必要な金額の通貨を若い門衛に手渡した。
そして、シエラとミレイユもリアに続いて、静かに二人の門衛へ頭を下げると、リアの背中を追った。
三人が南門から街へ入って数分後。
若い門衛が首を傾げ、眉を顰めた。
その様子に、中年の門衛が尋ねる。
「何か、あったか?」
若い門衛が答えた。
「いや……全然大したことじゃ無いんですけど、三姉妹が支払った通行税――今見たら、ちょっと多かったんですよね」
「……ん? 多いって、幾ら?」
「銀貨五枚です……」
「二人分多いな……。
――あぁ、そういうことか。律儀なこった……」
「え……? 何がそういうことなんですか? 俺、全然分かってないんですけど!?」
「まぁ、終わったことだ。もういい――五人子どもが通ったことにして、帳簿合わせといて」
「えぇ!? わ、分かりました……」
若い門衛は渋々、先輩の言葉を飲み込み、帳簿を取り出した。
*
こうして、ロアとフルムは三人の若い冒険者に助けられ、無事に都市ヴェリスタンへ入ることができた。
森を出てから初めて足を踏み入れる、人々の暮らす世界。
そして――林の中で偶然出会った、五人の子どもたち。
互いのことをほとんど何も知らない五人だったが、この出会いが、やがて彼らの運命を大きく変えていくことになる。
ロアとフルムを待ち受ける、この街での新たな生活。
そして、三姉妹との間に生まれた不思議な縁。
――五人の物語は、都市ヴェリスタンで新たな一歩を踏み出す。




