第44話『三姉妹』
森を旅立ち、人の暮らす世界へ向けて歩き始めたロアとフルム。
これまで二人が見てきたのは、深い森と、そこで生きる動物たちだけだった。
しかし、これから先には、これまでとはまったく異なる世界が広がっている。
人、街、文明――。
二人の旅は、ここから新たな舞台へと移っていく。
*
洞窟を後にした二人は、未だ鬱蒼とした森の中を進み続けていた。
フルムの表情は暗い。
突然の別れに、まだ心の整理がついていないようだった。
それを見かねた僕は、彼女に星典を手渡した。
「――!?」
フルムは星典を見て、驚いた。
そこに描かれていたのは、先ほど星典の放った閃光によって切り取られた、巨鹿たちと僕たちの集合写真だった。
フルムは星典を抱きしめると、僕の顔を見つめて言った。
「ロア ラザーフ クッビ、クナフタ イオ!」
「――どういたしまして」
少しだけ、彼女の話す言葉が分かるようになってきたのかもしれない。
何を伝えようとしているのか、その気持ちを感じ取ることができた。
フルムの表情は、写真を眺めるうちに、次第にいつもの明るさを取り戻していった。
記念にと思って撮った何気ない一枚だった。
けれど、彼女にとっては、大切な宝物になったようだ。
出会いと別れは、コインの裏表のように、決して切り離すことはできない。
だからこそ、フルムには、すべての別れが悲しみだけを残すものではなく、その別れの中から、何かしらの希望や愛情の欠片を拾えることを、いつか知ってほしい。
けれど、今は、それが分からなくてもいい。
だから、僕は何も言わなかった。
急いで理解し、慌てて納得する必要なんてない。
ゆっくりと噛みしめて、すぐには飲み込めないこともあるだろう。
それでも、苦々しさに満ちたこの生というものを、少しずつ味わっていってほしい。
僕は、そう思っている。
僕たちは、一言も交わすことなく、ただひたすらに森の中を歩き続けた。
やがて森を抜けたかと思えば、今度は新たな草木が生い茂る林へと入っていく。
そんな中、僕は林の中で足跡を発見した。
それを手掛かりに、人の痕跡を辿っていくことにした。
フルムは浮かせた星典をじっと見つめながら、僕に手を引かれて歩いている。
そうして林の中を一時間ほど歩いた頃だった。
林の終わり、その先に広がる景色の中へ、樹々の隙間から街の城壁と思われる石の壁が見えた。
そして、その壁には、関所のような大きな門が設けられている。
「――街だ……!」
「……?」
思わず、嬉しさのあまり声が漏れた。
しかし、興奮も束の間。
僕はすぐに冷静になり、どうやって街へ入るのかという問題について考え始めた。
街へ入る際には、おそらく何らかの身分を証明するものの提示を求められる。
当然、僕たち二人は、自分が何者であるかを証明するものなど何一つ持っていない。
それに、最悪なことに、僕はこの世界の言葉を多少覚えたとはいえ、まだまともに話すことができない。
つまり、言葉の壁も存在する。
そんな何も持たない状態で、あの門の前に立てば――確実に門前払いされるだろう。
それくらいのことは、無知な僕にも理解できた。
僕たちは街への入り口を見つけたものの、すぐに門へ向かうことはせず、近くの林の中に身を隠した。
そして、街へ入る方法を考えることにした。
「出来れば、正規の方法で街へ入りたいけど――」
可能か不可能かという話だけなら、門以外の場所から街へ入ることは容易い。
けれど、僕たちは盗賊でも獣でもない。
理性と良心を持った人間だ。
だからこそ、驚異的な身体能力を手に入れたからといって、それを野蛮な手段に使いたくはなかった。
僕は、街へ入るための合法的な手段が何かないかと考え続けた。
しかし、そもそも身分を証明できるものも、街へ入るために必要な通貨も持ち合わせていない。
結局、いくら考えたところで、今の僕たちには街へ入る手段がないという結論しか導き出せなかった。
林の中から、僕たちはひっそりと門を眺めていた。
すると、僕たちから十メートルほど離れた場所を、母親と娘と思われる親子が歩いてきた。
そして、その親子は門へたどり着くと、金属製のアイテムを一つと貨幣を、門に設置された窓口へ提出した。
しばらくすると、金属製のアイテムだけが返却され、親子はそのまま街の中へ入っていった。
その様子を見て、僕はある策を思いついた。
「――保護者がいれば、中に入れるかも……」
先ほど街へ入っていった親子。
子どもの方が、門衛に何かを提示する様子はなかった。
つまり、親の身分が保証されていて、子どもの分まで通行料を支払えば、子どもも問題なく街へ入ることができるのだろう。
ということは、僕たち二人が一時的に誰かの子という扱いになって、借りを作ることにはなるが――僕たち二人分の通行料を支払ってくれる人を探すことができれば、グレーではあるものの、街へ入ることは可能だ。
「よしっ――手伝ってくれそうな人が来るまで、ここで待つか……」
そうして僕たちは、都市を目前にしながら、街へ入る手助けをしてくれそうな人を、林の中で待つことになった。
***
討伐依頼を終えた三人は、都市ヴェリスタンへ帰還するため、林の中にある獣道を歩いていた。
三人とも戦闘を終えたばかりで、疲れ切った表情を浮かべながら、とぼとぼと街へ向かっている。
普段なら冗談の一つや二つ口にするリアでさえ、この日は口を開く余裕すらなかった。
三人とも同い年ということもあってか、普段から気兼ねなく接している。
性格はそれぞれ違う。
けれど、長く一緒に過ごしてきた三人には、言葉にしなくても通じるものがあった。
そんな中、もうすぐ林を抜けるというところで――。
近くの草むらが、ガササッ、ガサササッ、と激しく音を立てた。
その瞬間、三人は反射的に臨戦態勢を取った。
ミレイユがリアの前へ飛び出し、盾を構える。
「みんなッ! 気を付けてッ!」
リアは驚きながらも、ゆっくりと双剣へ手を伸ばした。
「もう~、なにぃ~!!」
シエラも慌てて杖を構え、魔力を込め始める。
「えッ! なにッ!? 魔物ッ!?」
三人は互いに声を掛け合いながら、それぞれの位置についた。
誰かに指示されたわけでもない。
それでも、三人は自然と互いを補うように動いていた。
すると――。
草むらから顔を覗かせたのは、ふさふさとした栗毛に覆われた、狐に似た動物だった。
ゼルカだ。
ミレイユはゼルカの姿を確認すると、すぐに警戒を解き、全身の力を抜いた。
「なんだ……ゼルカか」
ミレイユがそう呟くと、その背後で臨戦態勢を取っていたリアも剣から手を離し、シエラも杖を下ろした。
二人は揃って、
「はぁ……」
と、安堵のため息を漏らす。
「もう、おどかさないでよ~」
リアが肩を落とす。
「……びっくりした」
シエラも、心底ほっとしたように息を吐いた。
ミレイユはそんな二人を見て、小さく笑う。
「ごめんごめん。毒持ちの魔物とかだったら大変だからさ」
「まぁ、そうだけど~」
「確かに……」
短いやり取りだった。
けれど、それだけで互いを気遣っていることが分かる。
三人の間には、長い付き合いの中で育まれた、気取らない親しさがあった。
――その時だった。
ゼルカが三人の横をさっと通り過ぎ、リアの横にある茂みへと逃げ込んでいった。
「あっ! 行っちゃった……」
リアが声を上げる。
ミレイユもゼルカの行方を追って振り返る。
そして――。
再び前へ向き直った、その瞬間だった。
そこには、見知らぬ金髪の獣人の女の子がいた。
ボロ切れのような服を纏ったその少女は、なぜか自分の左足へ鼻を近づけている。
――くんくん……くんくん……。
「うわあッ!!!」
ミレイユの目には、まるで何もないところから突然、獣人の少女が現れたように見えた。
――全く気付かなかったッ!!
ミレイユは状況を理解することに必死で、今度こそ臨戦態勢を取ることもできず、盾を構えることすらできないまま、後ずさった。
「今度は何!?」
「きゃッ!?」
リアとシエラが同時に声を上げる。
二人はすぐさまミレイユの後方左右へ移動し、何が起きたのかを目視で確認しようとした。
その直後、リアは獣人の少女の右手に、鞘に収まった剣が握られていることに気付いた。
「その子ッ!剣持ってる!!」
「――ッ!?」
ミレイユはリアの言葉を聞いて、瞬時に危機感を覚えた。
ようやく身体が言うことを聞いたのか、バッ! とさらに後方へ飛び退き、盾を構えて、獣人の少女から距離を取る。
シエラも杖を構え直した。
「——大丈夫ッ!?」
リアがミレイユに駆け寄る。
ミレイユは少女から目を離さずに答えた。
「うん——何もされてない……。
それに……剣は持ってるけど、敵意も全く感じない。
……でも、何が目的なのか分からないから、とりあえずこのまま様子を見よう——」
「分かったッ……!」
「獣人だ……初めて見た……」
三人は互いに頷き合う。
それだけで、意思の疎通は十分だった。
シエラは、何が起きているのか、未だに完全には飲み込めていない。
それでも、二人の動きに合わせて、いつでも動けるように杖を構えていた。
すると――。
先ほどゼルカが姿を現した茂みから、今度は一人の少年がゆっくりと姿を現した。
銀色の髪。
ボロ切れのような服。
そして、その傍らには、魔導書らしきものが宙に浮かんでいる。
その間も、獣人の少女は、先ほどまでミレイユが立っていた場所へ鼻を近づけ、ミレイユがもうそこにいないにもかかわらず、中空をくんくんと嗅ぎ続けている。
そのあまりにも緊張感のない少女の様子に、三人はどうにも戦意を削がれてしまった。
しかし――。
少女とは対照的に、不思議なほど落ち着いている少年。
その少年の姿に、三人は言葉では言い表せないような不気味さを感じた。
三人は、互いに一度だけ視線を交わした。
言葉はない。
けれど、それだけで十分だった。
長く一緒に過ごしてきた三人だからこそ、相手が何を考えているのか、なんとなく分かる。
リアが双剣を握り直す。
シエラが杖を構える。
そして、ミレイユが盾を前へ出した。
三人は、残された体力を振り絞るようにして、獣人の女の子の背後に現れた銀髪の少年へと、全ての意識を向けた。
*
互いに警戒しながら向き合う、五人。
森の中で、偶然にも交差した二つの旅路。
ロアとフルムにとっては、都市へ入るための手掛かりを探していた矢先の出来事だった。
しかし――。
目の前にいる三人の少女が、二人の旅にどのような影響を与えるのか、今はまだ誰にも分からない。
やがて、張り詰めた空気の中で、誰かが口を開こうとしていた。
この遭遇が、二人の旅に何をもたらすのか。
そして、その先に待っている都市ヴェリスタンには、どのような世界が広がっているのか。
五人の運命が交わったこの瞬間から、物語は新たな舞台へと動き始める。




