第42話『森の戴冠式』
巨鹿たちから三つの魔法を受け継いだロア。
その力を胸に、フルムとともに漆黒の巨獣が待つ森の奥へと向かう。
そして――ついに再び相まみえる、ロアとフルム、そして漆黒の巨獣。
かつては二頭の巨鹿とフルムが力を合わせても倒せなかった強大な存在に、今度は受け継いだ三つの魔法を携えて挑む。
果たして、ロアとフルムは漆黒の巨獣を斥けることができるのか。
森を震わせる咆哮とともに、少年少女と巨獣による決戦が、今、幕を開ける――。
*
洞窟を出た僕たちは、手を握りしめたまま互いに顔を見合わせ、決戦を前に言葉を交わした。
「フルムちゃん――行くよ!」
彼女の頭には、もう巨獣との闘いのことしかない。
僕の言葉の意味も分からぬまま、フルムは力強く吠えた。
「ケオ!!!」
その声を合図に、僕たちは森の奥へと走り始めた。
フルムは地面を走るのではなく、樹から樹へと、まるで忍者のように飛び移っていく。
僕は以前、フルムたちが闘っていたあの開けた場所がどこにあるのか分からなかった。
そのため、少し速度を落とし、地上から頭上を見上げながら、樹々の間を駆け抜けていくフルムの姿を追った。
走り始めて十分ほど経った頃。
僕たちは、巨鹿たちの記憶の中で見た、あの小屋のある森の開けた場所へと辿り着いた。
そして――その小屋の前に、決戦の相手である漆黒の巨獣はいた。
漆黒の巨獣は、まだこちらの存在に気付いていない。
怒りをぶつけるかのように、木造の小屋へ何度も腕を振り下ろし、完全に破壊していた。
フルムは僕の隣で僕の顔を見つめながら、今すぐにでも巨獣へ向かいたいのか、その場で小さく飛び跳ねている。
僕は彼女の前へ手を出し、飛び出そうとするフルムを制した。
そして、奇襲を仕掛けるべきかどうかを考える。
けれど――。
数秒ほど考えたところで、僕は自分がフルムのように剣などの近接武器を持っていないことに気付いた。
「……そうだ」
そこで僕は、さきほど門番の巨鹿から教えられた礫岩属性魔法を使い、フルムのものと同じくらいの大きさの長剣を生成した。
そして、その石の剣を巨獣のそばにある樹の幹へ向けて、一直線に投げ放つ。
「……やっぱり、奇襲はやめよう」
僕はフルムを見る。
「フルムちゃん……正々堂々――闘うよ」
――ガツンッ!!!
槍のように投擲された石の剣は、真っ直ぐに中空を飛び、巨獣の右側にある樹の幹へ突き刺さった。
計らずも――それが、僕たちと巨獣の決戦の合図となった。
投げられた剣の存在に気付いた巨獣は、幹に突き刺さった剣を凝視する。
そして、その剣が飛んできた方向へ、ゆっくりと振り返った。
巨獣は、ようやく僕たちの存在に気付いた。
その深緑の瞳をギラギラと輝かせる。
森の王たる威圧感を纏いながら、巨獣は僕たちに向けて咆哮を放った。
――グォオオオオオオオオ!!!!!
次の瞬間、巨獣は地面を強く蹴り、一直線にこちらへ向かって走り出した。
僕は巨獣が動いた瞬間、魔法陣を展開する。
「《第二階梯【水属性魔法『流閃』】》」
――ピィィィィィッッ!!!
水色の魔法陣から放たれた流水が、レーザーのような勢いで巨獣の頭部へ向かって一直線に伸びていく。
しかし、水の刃が顔面へ迫った瞬間――巨獣は咄嗟に身を屈め、体勢を低くして攻撃を回避した。
――避けられた!
片目を潰されているというのに、あれほどの俊敏な動きができるのか!
僕は巨獣が身を屈めたことを確認すると、即座に礫岩属性魔法を発動した。
巨獣の進行方向に複数の魔法陣を展開する。
――ゴゴゴゴゴッッ!!!
地面から無数の岩の針が突き出し、巨獣の進路を塞いでいく。
しかし、巨獣は迫り来る岩の針を確認すると、地面を思い切り蹴った。
巨体が宙へと舞い上がる。
巨大な影が、僕たちの頭上へ覆い被さろうとしていた。
――跳んだっ!
僕は巨獣が飛び上がったのを好機と判断し、今度は僕たちの足元へ礫岩属性魔法陣を展開した。
――ゴゴゴゴゴッッ!!!
鋭く尖った岩石が、地面から次々と生成されていく。
岩の針は3Dプリンターのように、下から上へと形を作りながら伸びていった。
僕たちの足元そのものが岩によって押し上げられ、僕たちの身体も同時に高く持ち上げられていく。
その時だった。
フルムが鞘から剣を抜き、生成途中の平らな岩を蹴った。
――タンッ!
身体が垂直に跳ね上がる。
そのまま落下してくる巨獣へ向かって、フルムは剣を振り上げた。
刀身が魔力を帯び、赤く輝く。
一方、巨獣も瞳を輝かせながら落下し、フルムへ向かって鋭い爪を振り下ろした。
フルムの剣と巨獣の爪が衝突する。
――ガキンッ!!!
金属同士が激しくぶつかり合ったような鋭い音が、樹々の合間を駆け抜け、森全体に響き渡った。
その瞬間――フルムの剣が巨獣の爪を一本、斬り落とした。
勢いは止まらない。
フルムはそのまま上空へ舞い上がり、巨獣から距離を取った。
僕もフルムの動きを見届けると、すぐにその場を離れた。
やがて、岩の針が生成され終わる。
その直後――。
巨獣は、自ら岩の針の山へ飛び込んだ。
しかし、巨獣は風属性魔法を発動させると、無数の風の刃を放った。
風の刃が岩の針を次々と切り裂き、地上に突き出した岩の針を次々と砕いていく。
そして、その瞬間。
上空からフルムが落下してきた。
自重を利用して勢いを乗せ、再び斬撃を放つため、赤く輝く剣を構えている。
巨獣はすぐさま体勢を立て直し、フルムと僕の姿を探した。
だが――。
フルムはすでに、目前まで迫っていた。
――ザンッ!
頭部を狙い、フルムが剣を振り下ろす。
その瞬間だった。
巨獣の瞳から、翡翠色の閃光が走った。
同時に、巨獣の足元へ巨大な魔法陣が展開される。
――まずいッ!!!
次の瞬間。
砂塵を巻き上げながら、天高く聳え立つ竜巻が出現した。
竜巻は瞬く間に巨獣を包み込み、フルムへ迫る。
「――フルムちゃんッ!!!」
僕はすぐに水属性魔法を発動した。
水の束がフルムの身体を包み込み、そのまま僕のもとへ引き寄せる。
僕たちは竜巻から距離を取った。
荒れ狂う竜巻の中心に、巨獣は潜んでいる。
しかし――。
竜巻は徐々に外側へ広がっていった。
その直径は、やがて三十メートルほどにまで膨れ上がる。
巨大な竜巻が激しく渦を巻きながら、大地を滑るようにしてこちらへゆっくりと迫ってくる。
「この竜巻……何とか相殺できないかな——」
僕は眼前の竜巻を見つめた。
そして、その動きを真似るように、水属性魔法を発動する。
水を渦状に回転させ、風の竜巻とは逆方向へ回転する水の竜巻を作り出した。
それを前方へ進ませ、巨獣の竜巻へぶつける。
――バァァァァンッッッ!!!!!!
二つの性質の異なる竜巻が激突した。
聞いたこともないような破裂音と轟音が、辺り一帯に響き渡る。
激突した水が無数の水滴となって周囲へ飛び散り、僕たちの上へ降り注いだ。
それはまるで、天気雨のようだった。
雲一つない青空の下、無数の雫が森へ降り注ぎ、大地を濡らしていく。
戦いの最中だということを忘れてしまいそうな、異様な光景だった。
やがて、二つの竜巻は徐々に勢いを失い、次第にほどけていった。
そして――僕は、あることに気付いた。
風の竜巻の中心に、巨獣がいない。
――どこへ行ったッ!?
僕は慌てて周囲を見回した。
その時だった。
背後から、微かな気配を感じた。
振り返る。
そこには――全身に無数の傷を負いながらも、静かにこちらを見つめる巨獣がいた。
――いつの間に、後ろへ回ったんだ!?
――それに、何で血だらけなんだ……?
足音は、まったく聞こえなかった。
――そうか。
竜巻の轟音が、周囲の小さな音をすべて掻き消していたんだ。
巨獣は、僕たちが竜巻に気を取られている隙に、音もなく背後へ回っていた。
そして巨獣は僕たちを見据えると、突然、フルム目掛けて爪を振り翳した。
――フルムを先に始末するつもりなのか!?
僕は咄嗟にフルムの前へ飛び出し、魔法陣を展開する。
「《第一階梯【戦術補助魔法『アイヒバリオン』】》!」
透明な多面体の障壁が、僕たちの前に展開された。
――ドゴォンッ!!!
巨獣の鋭い爪が、障壁へ激突する。
しかし――。
次の瞬間。
凄まじい衝撃が障壁越しに僕たちを襲い、僕とフルムの身体は、開けた場所の端から端まで一気に吹き飛ばされた。
「――ッ!?」
「キャッ!!!」
僕たちは揃って後方へ弾き飛ばされ、低空を飛ぶように地面すれすれを吹き飛んでいく。
そして、二人揃って地面へ激突した。
しかし、そのまま地面を転がることはなく、激突した勢いで身体が跳ね上がり、再び宙を舞う。
宙を舞いながらも、僕は水属性魔法を発動させ、水の塊を生成した。
さらに魔力を操り、水塊を僕たち二人を包み込むような形へと変化させる。
それによって水塊がクッションとなり、僕たちは再び地面へ激突することなく、落下時の衝撃を幾分か和らげることに成功した。
巨獣は、僕たちが吹き飛ばされている間も迫ってくることはなく、ただこちらの動向をじっと窺っていた。
僕は、ここで一つの作戦を思い付いた。
そしてその作戦は、巨獣の行動から着想を得たものでもあった。
作戦の内容をフルムに伝えようと思ったが、悠長に翻訳している時間はない。そこで僕は、地面に絵を描いて彼女に見せた。
フルムは「ケオッ!」と理解したような反応を示してくれたものの、本当に伝わったかどうかは、実際にやってみなければ分からない。
少し不安は残るものの、僕は彼女を信じることにした。
たとえ失敗しても、僕がカバーできるような作戦にしたつもりだ。
「――行動開始ッ!!」
「《第三階梯【火焔属性魔法『焔冠』】》!!」
大きな蒼い火球が生成される。
僕は火球を巨獣へ向けて撃ち放った。
対する巨獣も、砂塵の竜巻を生成した時と同じ魔法陣をこちらへ向けて展開し、その魔法陣に鋭い爪を走らせていく。
すると、砂塵を巻き込んだ三本の斬撃が、爪痕のように空間を走り、こちらへ飛んできた。
――ドォオオオオオン!!!
二つの魔法が正面から衝突し、大爆発が起こった。
視界が、一瞬で炎と煙に覆われた。
やがて爆発と爆風が収まり、煙が晴れていく。
すると――巨獣は、二人の姿が忽然と消えたことに気付いた。
巨獣は血眼になって、少年と少女の姿を探した。
しかし――いない。
どこにもいない。
その時だった。
視界が、一瞬だけ陰った。
巨獣が頭上を見上げる。
そこには――。
直径三メートルほどもある巨大な岩石が、今にも我が身に降り注ごうとしていた。
岩石の表面には無数の亀裂が走り、その隙間から赤い光が漏れている。
まるで、内部から何かが噴き出そうとしているようだった。
巨獣はすぐさま岩石へ向けて魔法陣を展開した。
そして、その魔法陣へ鋭い爪を走らせ、風の刃を撃ち出そうとした。
その時だった――。
「……ピチャッ」
背後から、微かな水音が聞こえた。
――!!?
巨獣が慌てて振り返る。
そこには――。
頭上から降り注ごうとしている岩石と同じような外見の石の剣を構えたロアが立っていた。
巨獣が一瞬、目を見開く。
その隙に――。
ロアは一歩踏み込んだ。
巨獣は咄嗟に頭上の岩石へ魔法陣を展開し、ロアから目を離さずに、頭上の魔法陣を爪で斬り付け、風の刃を放つ。
そして、その勢いのままロアへ向けて腕を振り下ろした。
――ザンッ!
その瞬間。
巨獣の右手首が、地面へ落ちた。
「――グオオオオアアアッッッ!!!」
巨獣は悲痛な咆哮を上げた。
そして、すぐさま身を翻す。
森へ逃げる。
このままでは、腕だけでは済まない。
必ず殺される。
そう悟った巨獣は、力の限りに走った。
ロアとフルムが立ち塞がっていない方向へ。
ただひたすらに。
しかし――。
突然、足が動かなくなった。
巨獣は足元を見た。
そこには、地面ごと凍り付いた自分の足があった。
――凍結。
後ろを振り返ると、ロアの足元から自分へ向かって、濡れた地面を凍らせながら伸びていた氷が視界に入った。
その瞬間、巨獣は悟った。
ああ。
負けだ。
子どもだと思い込み、完全に侮っていた。
こんなことになるのなら、無駄な闘いなど最初から仕掛けなければよかった……。
始まりは、自分の獲物を横取りされたことだった。
たかが肉だ。
あんなもののために、命を賭ける必要などなかった。
それなのに――。
こんなところで終わるのか。
巨獣は凍り付いていく自分の足を見つめた。
凍結は止まらない。
足そのものが、完全に動かなくなっていく。
無理に動けば、さらに痛みは増すだろう。
もう暴れるのも馬鹿馬鹿しい。
ああ……そうか。
水の魔法を多用していたのはこのためだったのか……。
……本当に――どこまで用心深いんだ。
巨獣は、それ以上抵抗することなく、その場で静かに――「その時」を待った。
やがて、ロアが巨獣の前へ歩み出る。
そして、その瞳を見つめた。
巨獣の深緑の瞳には、これまでにないほど穏やかな光が宿っていた。
そこに、怒りはなかった。
ただ、もう終わらせてくれと言わんばかりの、静かな諦めだけがあった。
ロアが巨獣を見つめる。
その背後で――。
フルムが、タンッと地面を蹴った。
蒼く輝く剣を構え、巨獣へ向かって跳ぶ。
そして――。
水平に振り抜いた。
――ザンッ!
一閃。
巨獣の頭部がゴロンと地面に転げ落ちた。
そして、巨獣の首元から中空へ向かって血飛沫が噴き上がった。
フルムは空中で無造作に蒼く燃える剣を空へ放り投げる。
そして、そのままロアの胸へ飛び込んだ。
ロアは、そんなフルムの身体をしっかりと受け止める。
「よく頑張ったね……」
僕はフルムを地面へ降ろし、その頭を優しく撫でた。
フルムは何も言わず、ただ尻尾を揺らしながら、頭をこちらに預けていた。
これで――長い闘いが、漸く終わりを迎えた。
僕は、やっと大きな問題が一つ片付いたことに、胸を撫で下ろし、安堵していた。
森を震わせていた咆哮も、激しくぶつかり合っていた魔法の轟音も、もう聞こえない。
残されたのは、風に揺れる樹々の音と、静かに流れる時間だけだった。
こうして――僕たちと漆黒の巨獣による決戦は、幕を閉じた。
*
森の王と呼ぶに相応しい力を持つ漆黒の巨獣との決戦。
巨鹿たちから受け継いだ魔法を駆使し、ロアとフルムは激闘の末、ついにその強敵を斥けた。
長かった森での生活を終えた二人は、次なる目的地――街へ向けて、いよいよ旅立つ。




