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【ソラリスの星典】〜少年少女の異世界冒険譚〜  作者: 夕火
第1章 旅の礎

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第38話『神聖痕』

 洞窟で迎える四日目の朝。


 遠くから漂ってきた血の匂いに、僕は慌てて目を覚ました。


「——血の臭いがする……」


 横を見ると、フルムの姿がない。


 どうやら僕は、かなり長い時間眠っていたらしい。


 フルムは既に起床し、どこかへ行ったみたいだ。


 思い返せば、昨日は魔法の修練でかなりの体力を消耗した。

 これだけ眠ってしまうのも当然か。


 僕は急いで洞窟の外へ出た。


 するとそこには、傷だらけの二頭の巨鹿が倒れていた。

 その身体から流れ出た血が、地面に大きな血溜まりを作っている。


 そして、フルムも頭から血を流し、血で汚れた剣の横に横たわっていた。


 そのそばでは、二頭の子鹿がピーピーと鳴いている。


「……な、何があったの!?」


 その声に、フルムが目を覚ました。


「……ラザーフ……クッビ〜〜……」


 フルムは悲しそうな声を上げながら、尻尾を垂らしたまま、よろよろと歩いて僕の胸へ飛び込んできた。


 フルムの身体を確認すると、あちこちに小さな傷はあるものの、どうやら出血多量で意識を失っていたわけではないようだ。


 命に関わるような傷も見当たらず、僕はひとまず胸を撫で下ろした。


 何やら悲しそうなので、彼女の頭を撫でておく。


 すると、頭を撫でられて少し機嫌が直ったのか、垂れていた尻尾もゆらゆらと揺れ始めた。


「んぅ〜〜!!」


 彼女が何かを訴えようとしているのか、それとも特に意味はないのか、僕には全く分からない。


 けれど、あの血溜まりを見れば、何かと戦闘した後だということくらいは僕にも分かる。


 もしかして、昨日、子鹿の記憶で見た——。


「——いや、そんなことより治療が先だ」


 フルムたちが何と戦ってきたのか、おおよその予想はついた。


 けれど、今は目の前にある問題を解決しなければならない。


 僕は余計な思考を振り払い、フルムより先に、一番重傷の門番の巨鹿から手当てすることにした。


 門番の巨鹿は、辛うじて息はあるものの、出血が酷く、とても危険な状態だった。


 脇腹には、鉤爪で抉られたような痛ましい傷痕が大きく残っている。


 それ以外にも身体のあちこちに切り傷があり、逞しい角も片方が折れてなくなっていた。


 その傷の状態から、凄まじい戦闘を繰り広げたことがうかがえる。


「酷い傷だ——すぐに取り掛かろう」


 僕は神聖属性魔力を錬成し、門番の巨鹿の身体に触れた。


 すると、僕の意識は門番の巨鹿の精神領域へと飛ばされた。


 

 飛ばされた先に広がっていたのは、黒く焦げた大地。

 焼かれて炭となった木々が立ち並び、大地のあちらこちらには剣や弓矢が突き刺さっている。


「……ここは、戦場だ……」


 至る所で火の手が上がり、今なお戦いが続いているかのような気配さえ感じられる。


 それから僕は、荒野を歩き回りながら魂炎を探した。


 意識が飛ばされた場所から数百メートルほど歩いたところで、魂炎と、それを取り囲む擬似アイヒバリオンを発見した。


 門番の巨鹿の魂炎は、か細く褐色の炎を灯している。


 そして、それを取り囲んでいるのは、何層にも重ねられた複雑な構造の擬似アイヒバリオンだった。


「すごく厳重に守られてるね……」


 一番外側の擬似アイヒバリオンは、正十二面体構造を取っていた。


 その内側には、四角柱を垂直方向のx軸、y軸、z軸に沿って重ね合わせ、それぞれの辺同士を結んで球状にしたような立体構造があり、そのさらに内側では、立方八面体の擬似アイヒバリオンが魂炎を守っている。


 僕は一つずつ極限まで集中し、擬似アイヒバリオンと同じ構造のアイヒバリオンを生成して重ね合わせていく。


 そして、それを解除する。


 重ねては解除し、また重ねては解除する。


 そうして、厳重に施された守りを一つずつ剥がしていく。


——パリンッ!


 時間はかかったが、何とか全ての擬似アイヒバリオンを解除することに成功した。


「全て解除できたっ……あとは魂炎に触れるだけ……」


 そして、僕は魂炎へ手を伸ばす。


 弱々しく灯る門番の巨鹿の魂炎に触れた、その瞬間——。


 門番の巨鹿が対峙した、黒毛の巨獣との戦闘の記憶が僕の頭の中へ流れ込んできた。


——巨獣が風属性魔法を放っている。


——それをアイヒバリオンで防ぐフルム。


——紅く染まった剣を握り締めるフルムの後ろ姿。


——フルムが先導の巨鹿に服の襟首を掴まれ、連れていかれる。


 それらの記憶が、門番の巨鹿が見ていた視界として再生される。


 門番の巨鹿の魂炎から語られた闘いの記憶を受け取り、僕は事の経緯を知った。


 子鹿が怪我をした時に見た巨獣と、同じ個体で間違いない。


 その巨獣と、昨夜、僕が眠っている間に凄まじい戦闘があったようだ。


 それに、フルムの近くに置いてあった剣も、昨夜の戦闘で手に入れたものらしい。


 フルムは新しい武器を手に入れ、また一段と実力をつけたみたいだ。


 本当に、彼女の成長速度にはいつも驚かされる。


 やがて、僕の意識は現実世界へと戻ってきた。


 そして、門番の巨鹿を魔力で浮かせ、地面に描いた神聖属性魔法陣の上へ下ろした。


 フルムは、昨夜手に入れたであろう剣を片手に、僕の後ろをついてきている。


 僕は、構ってあげられないことに若干の罪悪感を覚えながらも、神聖属性魔力を錬成し、唱えた。


《第四階梯 神聖属性魔法『エルシェフィア』》


——ビリビリビリッッ!!!


 すると、魔法陣が光り出し、稲光が門番の巨鹿の身体の周囲を走る。


 傷口からは白い煙が立ち上り、傷口が徐々に塞がっていく。


 その瞬間、門番の巨鹿が苦痛に顔を歪め、絞り出すような唸り声を上げた。


「——グウゥウウゥ……!!!!」


 恐らく、まだ激しく傷が痛むのだろう。


 しかし、歴戦の猛者だけあって、その痛みに頑として耐えている様子だった。


 その後も門番の巨鹿の傷口は、みるみるうちに塞がっていく。


折れた角も、元の形を取り戻すように再生していく


 けれど、子鹿を治癒した時とは様子が違うことに気がついた。


 門番の巨鹿の脇腹にあった鉤爪の傷痕。


 その傷が塞がり、皮膚が線状に繋がった部分に沿って、金色の紋様が浮かび上がっている。


 それに、角が折れた部分から新たな角が生え始めると、その根元にも金継ぎのような金色の筋が走り、どこから折れたのかが分かるようになっていた。


「——!?


 ——治ったところに、金色の模様ができてる……」


 他の、消え去った傷痕には金色の模様は浮かび上がっていない。


 僕は少し考えてみたものの、その理由は全く分からなかった。


「これ以上は、治らない感じか……」


 そうこうしているうちに、門番の巨鹿から立ち上っていた煙が消え、治癒が完了した。


 門番の巨鹿は痛みに耐え抜き、今では穏やかさを取り戻して静かにゆっくりと呼吸をしていた。


 僕は治療を終えた門番の巨鹿を魔力で浮かせ、洞窟の最奥にある部屋へ運び、藁の上に寝かせた。


 すると、フルムと一頭の子鹿が、僕の後ろをとてとてと雛鳥のようについてきた。


 僕はそのまま、先導の巨鹿のもとへ向かった。


 

 先導の巨鹿は意識があるようで、浅く呼吸をしながら、虚ろな眼差しで虚空を見つめている。


 門番の巨鹿ほど重傷ではないものの、こちらも身体の所々に出血の痕跡があり、脇腹には鉤爪で深く切り裂かれたような傷痕があった。


 当然、そこからの出血が一番酷い。


 僕は即座に神聖属性魔力を錬成し、先導の巨鹿に触れた。


 すると、僕の意識は先導の巨鹿の精神領域へと飛ばされた。


「——湖だ」


 飛ばされた先に見えたのは、森に囲まれた大きな湖。


 その湖の中心には浮島があり、地面には草花が咲き誇っている。


 そして、その中央から甕のように生えた樹の上に、擬似アイヒバリオンが佇んでいた。


「——あ、あった! あそこにあるっ!」


——シュンッ!


 僕は魔力を脚部に集束させ、浮島まで跳躍した。


 浮島へ到着すると、擬似アイヒバリオンの形状がよりはっきりと分かるようになった。


 先導の巨鹿の擬似アイヒバリオンは、双六角錐柱の構造をしており、層は一層だけだった。


 

 擬似アイヒバリオンの構造は分かった。


 けれど、魂炎がその内部に見当たらない。


「……ん? また魂炎がない……。


 ——まぁ……取り敢えず、擬似アイヒバリオンを解除しよう」


 僕は子鹿の治療の時と同様の現象に首を傾げながらも、まぁ何とかなるかと、擬似アイヒバリオンの解除を始めた。


 僕はまず六角柱のアイヒバリオンを生成し、その後に六角錐を二対生成して、それらを組み合わせた。


 けれど、擬似アイヒバリオンをアイヒバリオンで内包しなければならない。


 そこで、生成した双六角錐柱を左右に分割し、擬似アイヒバリオンを包み込むようにして、隙間なく重ね合わせた。


 そして、僕は双六角錐柱状のアイヒバリオンを解除する。


 すると、樹の台座の上で、陽炎のように何か透明なものが揺らめいているのが露わになった。


「……もしかして、これが魂炎なの……?」


 じっと観察しても、その実態を掴むことはできない。


 けれど、これを魂炎だと思って見れば、確かに炎の揺らぎのようにも見える。


 まさに、陽炎そのものだった。


 そして僕は、その陽炎へと手を伸ばした。


 指先が陽炎に触れた、その瞬間——。


 僕の脳内に、先導の巨鹿の記憶が流れ込んできた。


 流れ込んできた記憶は、門番の巨鹿のものとほとんど同じだった。


 違うのは、見ていた視点だけ。


 けれど、その視界には必ずフルムの姿があった。


 いつでもフルムを守れるように気を配り、決して目を離さない。


 その姿から、先導の巨鹿がフルムを守ろうとしていたことが伝わってきた。


 昨夜の記憶を見終えると、僕の意識は自然と現実世界へ引き戻された。


「——二人の身体に刻まれた数々の傷痕は、フルムちゃんを守った証でもあったんだね……」


 僕は心の中で深く感謝しながら、先導の巨鹿を神聖属性魔法陣のところまで魔力で浮かせて運んだ。

 

 そして、先導の巨鹿をそっと神聖属性魔法陣の上へ下ろす。


 傍では、もう一頭の子鹿が、ぐったりと横たわる先導の巨鹿を、不安そうに見つめている。


 僕は神聖属性魔力を錬成し、魔法陣に手をついて唱えた。


《第四階梯 神聖属性魔法『エルシェフィア』》


 すると、魔法陣が発光し、先導の巨鹿の身体から忽ち湯気のような白煙が立ち上った。


 加えて、身体の周囲にも稲光が走る。


 かなりの魔力を消費しているのだろう。


 そして、身体のあちこちにできた傷痕が、徐々に塞がっていく。


——キュウウゥウゥッ……!!


 傷痕が治り始めたところで、先導の巨鹿は悲鳴にも似た甲高い呻き声を上げた。


 僕は、門番の巨鹿の時にも、治癒を始めた途端に辛そうな声を上げていたことを思い出した。


 何か因果関係があるのだろうか。


 そこで初めて、僕は《神聖属性魔法『エルシェフィア』》そのものの性質について考え始めた。


 もしフルムを治癒した時にも同じ反応が見られれば、魔法と何か関係があるのではないかと考え、僕は後で確かめてみることにした。


 先導の巨鹿は呻き声を漏らしながらも、必死に痛みに耐えている。


 欠損していた角も治り、再び立派な角が生えてきた。


 そして、門番の巨鹿が治癒した時と同様に、脇腹にある鉤爪で抉られた傷痕に沿って、金色の炎のような模様が浮かび上がる。


 折れた角が生えた部分にも、同じような金色の筋が走っていた。


「……何で、角やお腹にできた傷痕だけ、金色の模様が浮かび上がったんだろう……。


 ——ソラリスターコード、『神聖属性魔法【エルシェフィア】』で治癒した際に、金色の模様ができる理由を教えて?」


 ソラリスの星典は、その問いかけに応じるように、白紙の頁へ文字を綴っていく。


———

 『神聖属性魔法【エルシェフィア】』による治癒では、損傷した組織を単純に再生させるのではなく、対象の生命構造を正常な状態へと再構築します。

 その際、再構築に用いられた神聖属性魔力の一部が、治癒部位の魔力経路に沿って一時的に残留します。

 この残留魔力は周囲の魔素を取り込みながら徐々に結晶化し、神聖属性魔力の微細な結晶を形成します。

 それらの結晶が治癒部位の魔力経路に沿って連なり、金色の紋様として可視化されたものです。


 なお、この紋様は傷そのものではなく、『神聖属性魔法【エルシェフィア】』によって生命構造が正常化された証であると同時に、治癒に用いられた神聖属性魔力が結晶化したものと考えられています。


 ただし、すべての治癒において神聖属性魔力の結晶化が発生するわけではありません。


 通常の傷創など、損傷の程度が軽微な場合には、神聖属性魔力によって対象が本来持つ自己再生能力が活性化されることで、組織の修復が完了します。

 この場合、生命構造そのものを大規模に再構築する必要がないため、治癒に用いられた神聖属性魔力が大量に残留することはなく、結晶化も発生しません。


 一方、深刻な損傷によって自己再生能力だけでは修復が困難な場合には、『神聖属性魔法【エルシェフィア】』が不足した生命構造を神聖属性魔力によって直接再構築します。

 その際に余剰となった神聖属性魔力が治癒部位に残留し、魔素を取り込みながら結晶化することで、金色の紋様が形成されます。

———


「——なるほど。


 あの金色の模様は、神聖属性魔力が結晶化したものなんだ……。


 まぁ——ちゃんと傷が治ったのなら、問題なさそうだね」


 金色の傷痕について星典で調べているうちに、先導の巨鹿から立ち上っていた白煙は消え、既に治癒は完了していた。


 先導の巨鹿の治癒が完了したことを確認すると、僕は先導の巨鹿を魔力で浮かせ、洞窟内へ運んでいった。


 すると、ずっと先導の巨鹿を見つめていた子鹿も、僕の後ろをついてきた。


 そして、先導の巨鹿を最奥の部屋に敷かれた清潔な藁の上へ降ろすと、二頭の巨鹿と一頭の子鹿がその上に横たわり、その傍らにもう二頭の子鹿が足を折って座ったことで、鹿の家族全員が揃うかたちとなった。


 

僕は、その光景を眺めながら、深々と頭を下げて言った。


「——フルムちゃんを命懸けで守ってくださり……ありがとうございました。


 ……もし、フルムちゃんが死んでいたら……僕は自分自身を許せなくなっていたと思います。


 だから、これは僕なりの恩返しのつもりです。


 どうか今は、ゆっくり休んでください。


 ——次は、僕が守りますから」


 僕はそう言って、洞窟の外へ出た。


 そして、ずっと僕の後ろをついてきていたフルムへ振り返り、少し屈んで言った。


「お待たせ……フルムちゃん。


 フルムちゃんの傷も、ちゃんと綺麗に治してあげるからね」


「ン〜??」


 そう言って、僕はフルムを治療するため、昨日地面に描いた神聖属性魔法陣の上へ入るよう誘導した。


「じゃあ、フルムちゃん——ちょっとこっちおいで?」


 僕は彼女の、剣を握っていないほうの手を握り、神聖属性魔法陣まで導いた。


「——じゃあ、ここで少しだけ、じっとしててね?」


「ラザーフ クッビ、イルグナフ イア〜」


 フルムは僕の意図を察したのか、魔法陣の上に剣を置き、礼儀正しくお座りした。


 けれど、不満を漏らすように何かを呟いている。


 僕は神聖属性魔力を錬成し、静かに唱えた。


《第四階梯 神聖属性魔法『エルシェフィア』》


 唱えてすぐに神聖属性魔法陣へ触れ、魔力を流し込む。


 すると、徐々にフルムの身体から白煙が立ち上り、身体にできた傷痕が跡形もなく消えていく。


 その瞬間、フルムが突然顔をしかめ、声を上げた。


「——タルフっッ!!」


「——え? タルフ……?


 ——ソラリスターコード、『タルフ』の意味を教えて」


———

苦痛(タルフ)

———


「……え? 苦痛……?


 ——「痛い」ってこと……?


 ——何でだろう……。


 まだ傷が痛むのか——それとも、魔法による副作用か——。


 ——とりあえず、フルムちゃんの治癒だけ終わらせよう」


 突然痛みを訴える彼女に戸惑いながらも、僕は治癒を続けた。


 そして、フルムの身体から白煙が消えたところで魔力供給を止め、彼女のもとへ駆け寄った。


「フルムちゃん……タルフ?」


「ウ〜ン……エラミナ タルフ トンド トイ!」


———

虚無 苦痛 否定(エラミナ タルフ トンド)

———


「——えっと……もう痛みは無いってことなのかな……」


 僕は彼女の全身を軽く触りながら、どこかの部位で「タルフ」と言わないか確認した。


 しかし、どこを触っても、彼女が「タルフ」と言うことはなかった。


 僕はもう一つの可能性である、「魔法による副作用」なのではないかと考えた。


 そこで、名案を思いつく。


 自分の身体で試せば、その答えを知ることができる。


 僕はすぐさま洞窟からナイフを取り出し、自分の左腕を傷つけた。


——シャッ!


「——いてっッ!!」


 すると、すぐに腕から血が滴り落ちる。


——ポタ……ポタポタ……


「ラザーフ クッビッ!! グニオド ウオ エラ トーワッ!!!」


 フルムは僕の奇行を目撃すると、一目散に心配して駆け寄ってきた。


「フルムちゃん、大丈夫だよ。


 ——頭がおかしくなった訳じゃないから」


 日本語では伝わらないだろうと思い、僕は彼女の頭を優しく撫でた。


 フルムは戸惑いを隠せない様子で、訳も分からないまま目を閉じ、困った顔で撫でられている。


 そして、僕は再び神聖魔法の詠唱を始めた。


《第四階梯 神聖属性魔法『エルシェフィア』》


 詠唱後、神聖属性魔力を帯びた状態で右手を魔法陣に触れる。


 すると、左腕から白煙が立ち始めた。


 そして煙が上がり始めたのと同時に、つい先ほど自分の腕を傷つけた時に感じた痛みが、再び僕を襲った。


「——痛ッった!!」


「——!?」


 フルムは、僕が痛みに声を上げると、また心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


 そして何を思ったのか、頬をぺろぺろと舐め始めた。


「……あ、心配してくれてるの……?


 ……ありがとう——でも、大丈夫だよ。


 ——ただの実験だから」


 やがて左腕の傷も消え去り、痛みもすぐに引いていった。


「はあっ……はあっ……。


 そういうことか……。


 傷を癒す代わりに、その傷を負った時に感じた痛みを、もう一度無理やり思い出させられる——。


 ……原理は分からないけど、恐らくそういうことだろう」


 僕は、フルムや二頭の巨鹿が治癒の最中に酷く痛がっていた理由を、自分の身体で実験して突き止めることができた。


フルムは終始、その様子を、困惑した表情で見守っていた。


「気にしなくて大丈夫だよ、もう終わったから。


 ——フルムちゃんも——痛かったのに、よく頑張ったね。

 えらいえらいっ!!」


 僕はフルムの頭をわしゃわしゃと撫でながら、彼女の頑張りを精一杯称えた。


 彼女は戸惑いつつも、尻尾をゆっくりと左右に揺らしている。


 その時、これまでの疲労が一気に押し寄せてきたのか、首や肩が重く感じられ、僕は地面に仰向けになって寝転がった。


「ふぅ……疲れた……」


 地面に寝転がると、近くに置いてあった、今朝、フルムが持ち帰ったと思われる剣が視界に入った。


「……あれ、こんな模様あったっけ……」


 そう呟きながら、寝そべったまま僕はその剣を握り、天に向かって掲げてみた。


 その刀身には、今朝見た時にはなかったはずの炎の意匠が、線状に刻まれている。


 その剣の外見は、資料で見たことのあるような、西洋の一般的な長剣といった感じだ。


 炎の意匠以外には、これといった装飾もなく、むしろ訓練用の長剣なのではないかと思うほど、量産品らしい作りをしている。


 僕がその長剣を観察していると、フルムが突然僕に飛びかかり、剣を奪い取った。


「——あ、ああ。ごめんごめん。


 フルムちゃんの物だったね」


 僕から剣を奪い取ったフルムは、剣を抱えるように持ち、そのまま地面に寝転がった。


「——その剣、鞘が無いね……」


 フルムは、ふんすっと鼻を鳴らすと、猫のように丸まって眠り始めた。


「……お腹空いた」


 僕は少し休憩したら、お昼ご飯にしようとぼんやり考えていた。



 

 今日の森は鳥の囀りさえ聞こえないほど、異様なまでに静まり返っていた。


 けれど、その静寂がどこか気味悪く、不気味にも思えた。


 もし、声を殺し、息を潜め、力を蓄えながら、こちらを窺っている何者かがいるとしたら——それは、奴しかいない。


 そんな不穏な予感を胸に抱きながらも、僕は静まり返った森の中で、のんびりと日光浴を敢行した。

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