第37.5話『激闘!漆黒の熊を追い払え!』【外伝】
——ぱちっ、ぱちっぱちっ。
眠り始めてから数時間後のこと。
真夜中にもかかわらず、フルムは目を覚ました。
「……ドンドン……きこえる……」
そう呟くと、フルムは洞窟の外へ向かった。
当然、外は真っ暗闇だ。
しかし、獣としての本領を発揮するかのように、フルムには夜の森も昼間と変わらないほど明るく感じられていた。
いわゆる、夜目が利くというやつだ。
——ふんふんっ。ふんふんっ。
洞窟の外へ出たフルムは、まず鼻をひくつかせて周囲の匂いを嗅ぎ、辺りの様子を窺った。
そして、石のテーブルへ飛び乗る。
その場に立つと、長く大きな耳を左右へ動かし、先ほど聞こえた音の方向を探り始めた。
首を傾けたり、耳の向きを変えたりしながら、微かな音を拾っていく。
「——あっちから、きこえるっ!」
音の方向を捉えた瞬間、フルムは突然走り出した。
静まり返った森を、月明かりだけが照らしている。
その静寂を掻き消すように、一人の少女が木々の隙間を、さらさらと流れる川のほとりを、疾風の如く駆け抜けていった。
途中、川へ立ち寄って水を飲むこともあった。
それでもフルムは、音のする方へ、月明かりが照らす方へ、ただ無心に駆けていく。
しばらく走っていると、次第に地面から伝わってくる振動が強くなってきた。
そして——血の匂いも。
やがて木々の間を抜け、開けた場所へ出る。
そこには、二頭の巨鹿と、漆黒の毛に覆われた熊のような巨獣がいた。
いずれも身体から血を流しながら、月明かりの下で死闘を繰り広げている。
「——はっ!?」
あまりにも凄まじい光景に、フルムは思わず声を漏らした。
しかし、戦闘に集中している三頭は、フルムの存在に全く気付いていない。
フルムは、ただその場に立ち尽くし、戦いの行方を見守っていた。
二頭の巨鹿と黒毛の巨獣は、魔法を駆使しながら激しい攻防を繰り返している。
門番の巨鹿は、地中から岩の針を突き出し、巨獣目掛けて次々と放っていた。
巨獣はそれを避けながら、地面から生えた岩の針を、鋭い爪と剛腕で叩き折っていく。
巨獣も負けじと風属性魔法を発動させ、鋭い風の刃を生成して二頭の巨鹿へ向けて放つ。
そして、そのまま距離を詰めていく。
先導の巨鹿も戦闘へ加わり、風属性魔法で刃を生成して巨獣へ向けて飛ばした。
しかし、巨獣は避ける素振りすら見せない。
擦り傷など知るかと言わんばかりに、ただ先導の巨鹿へ向かって突き進んでいく。
それを見た門番の巨鹿は、先導の巨鹿を援護するため、巨獣の進行方向へ何本もの岩の針を生成した。
けれど、巨獣の突進は全く衰えない。
岩の針を爪で弾き飛ばしながら、なおも突き進んでいく。
そのときだった。
巨獣が弾き飛ばした岩の針の欠片が、とてつもない速度でフルムへ向かって飛んできた。
岩の欠片がフルムへ激突する——その瞬間。
フルムは咄嗟に、目の前へアイヒバリオンを生成した。
『……うわっ!!!』
——バァァンッ!!!
岩の欠片がアイヒバリオンへ衝突し、粉々に砕け散る。
『『『——!?』』』
そこで初めて、三頭はフルムの存在に気付いた。
土煙が舞い上がる。
フルムは身体に降りかかった砂埃を払いながら、力強く言った。
「私も……やる!!」
すると、巨獣が何を思ったのか、突然フルムへ向かって一直線に突進を始めた。
フルムは迫り来る巨獣へ向けて火球を生成し、次々と撃ち出す。
しかし、巨獣はそれを手で火の粉でも払うかのように弾きながら、構わず突き進んでいく。
二頭の巨鹿は慌ててフルムを守ろうと、必死にこちらへ駆けてくる。
けれど、巨獣の方が速い。
二頭が追いつくよりも先に、巨獣はフルムの目前へ迫った。
巨獣が、その大きく重い手のひらでフルムを叩き潰そうと、右腕を振り下ろす。
その瞬間——。
フルムは咄嗟に身を屈め、巨獣の身体の下をくぐり抜けた。
そのまま背後へ回り込む。
「たああああああ!!!」
地面を蹴り上げ、高く跳躍する。
そして、巨獣の頭目掛けて、踵落としを叩き込んだ。
——グワアアアアアァッ!!!!!!!!
巨獣の頭部が地面へ激突しかける。
しかし、巨獣は咄嗟に両手を地面へ突き、寸前のところで踏みとどまった。
巨獣は地面を何度も力強く叩きながら、勢いよく後ろを振り返る。
すると、巨獣から距離を取ったフルムの左右へ、門番の巨鹿と先導の巨鹿がそれぞれ駆け寄った。
二頭はフルムを守るように立ち、巨獣を睨みつける。
それを見た巨獣は、鋭い眼光を魔力で輝かせた。
そして、声の限りに咆哮を放ち、三頭を威嚇する。
その直後。
巨獣は自身の身体と同じほどの大きさを持つ、巨大な風属性魔法陣を展開した。
そして、鋭い爪で何度も魔法陣を切り付ける。
すると、空を引っ掻いているはずなのに、何もない空間へ爪痕が刻まれていった。
巨獣が再び咆哮を上げる。
すると、空中に刻まれた爪痕が、そのまま風の刃へと変化した。
次の瞬間。
無数の風刃が、とてつもない速度でフルムたちへ襲いかかった。
それを防ぐため、まず先導の巨鹿が同じほどの大きさの風刃を生成し、巨獣の風刃へ向けて放った。
しかし——。
巨獣の風刃は勢いを失わない。
先導の巨鹿が放った風刃を真っ二つに切り裂き、そのままこちらへ向かってくる。
次に、門番の巨鹿が地面から岩の棘を乱立させ、壁を築いた。
岩の棘で作られた壁へ風刃が衝突する。
——パァァッン!!!!
——ピシッ……ピシピシピシッ!!
凄まじい破裂音が鳴り響いた。
それでも、巨獣の風刃は止まらない。
岩の棘はその威力に耐えきれなくなり、次第に無数の亀裂が走っていく。
そして——。
遂に岩の棘をも切り裂き、巨獣の風刃がフルムたちの目前へ迫った。
万策尽きたかに思われた、そのとき。
フルムの紅い瞳が、強く輝いた。
そして、眼前へ特大のアイヒバリオンを展開する。
「わたしも……!! たたかう……!!!」
——キィンキィィンッ!
——キィィンッ!!!
フルムの展開したアイヒバリオンは、巨獣の風刃を真正面から受け止めた。
激しい衝撃がアイヒバリオンを伝わり、フルムの身体にも僅かな振動が届く。
それでも、巨獣の攻撃を完全に防ぎ切った。
——ジャキィンッ!
——ジャキィンッ!
「「「——!?」」」
——グワアアアアアァッ!!!!!!!!
しかし、巨獣は止まらなかった。
風刃を防ぎ切った直後、巨獣は間髪入れず、再び同じ風刃を生成した。
そして、フルムたちへ向けて放った。
二頭の巨鹿も、何とか魔法を発動させようとする。
しかし、魔力によって輝いていた瞳の光が明滅し、次第に弱くなっていく。
展開しかけた魔法陣もパチパチと明滅するばかりで、最後まで形を成さなかった。
「だいじょうぶ!!!
——フルムがまもるから!!!!」
フルムはもう一度、瞳を魔力で輝かせた。
そして、二頭の巨鹿がすっぽりと収まるほど巨大なアイヒバリオンを、風刃へ向けて展開する。
——ゴゴゴゴゴッ!!!!
巨獣の放った風刃は、地面を削り取りながら迫ってくる。
今度は、二頭の巨鹿による援護もない。
純粋な巨獣とフルム、一対一の魔法の勝負だった。
——バァアアンッ!!!!
風刃がアイヒバリオンへ衝突する。
空気を切り裂く轟音が、森中へ響き渡った。
——ビジジジジッッ!!!
風刃はアイヒバリオンを押し破ろうと、何度もその刃を叩きつけている。
「……う、うぅ……」
アイヒバリオンへ加わる衝撃が、そのまま術者であるフルムへ伝わってくる。
フルムは歯を食いしばりながら、必死にアイヒバリオンを維持し続けた。
しかし——。
——パリィィンッ!!!!
限界を迎えたアイヒバリオンが、粉々に砕け散った。
直後、風刃が二頭の巨鹿とフルムへ襲いかかる。
フルムはアイヒバリオンを突き破ってきた風刃の風圧に押され、真後ろへ吹き飛ばされた。
「——きゃっ!!!」
二頭の巨鹿も風刃に身体のあちこちを切り裂かれ、フルムと同じように後方へ吹き飛ばされる。
——バキィィンッ!!!
フルムは開けた場所の縁に建っていた木造の小屋へ激突した。
木の板でできた壁を突き破り、そのまま小屋の中へ飛ばされる。
「……うぅ……いたいぃ……。
おなかすいたぁ……。
……あ、剣だ。
……
……
……あれ、もってかえったら、ロアおにいちゃんなでなでしてくれるかなぁ……?」
頭から血を垂らしながら、フルムはゆっくりと立ち上がった。
そして、小屋の床に転がっていた一振りの剣を拾い上げる。
その柄をフルムが握った瞬間——。
何かに呼応するように、未知の文字や記号が刀身へ走った。
しかし、フルムはそれに気付かない。
剣を握ったまま、穴の空いた小屋の壁からゆっくりと外へ出る。
すると、魔法を多用したことで疲弊していた巨獣が、最後の力を振り絞ってフルムへ突進を始めた。
それを見た二頭の巨鹿も、残された力を振り絞り、巨獣へ向かって突進する。
三頭は命の限り力を振り絞り、地面が抉れるほど強く大地を蹴り上げた。
そして——。
三頭が激突する。
——ピシャンッ!!
——ビリリリリッ!!!!!
衝突した力の間に、青紫色の球体が生まれた。
三頭は、それを押し潰さんばかりの勢いで互いに押し合っている。
その激しい衝突の衝撃で、門番の巨鹿の左角と先導の巨鹿の右角が、バキィッと凄まじい音を立てて折れた。
そのときだった。
——シュンッ……
フルムが、異常なまでの速度で巨獣の懐へ移動した。
——!?!!?
突然、目の前に現れたフルムに、巨獣の瞳孔が大きく開いた。
その瞬間——。
巨獣の脳裏に、過去の記憶が蘇った。
眼下に立つ少女の姿が、一瞬だけ、かつて対峙した聖騎士の姿と重なって見えた。
ただの見間違い。
けれど、その一瞬の幻影を目にしただけで、巨獣は全身の毛が逆立つほどの悪寒を覚えた。
しかし、二頭の巨鹿の突進を受け止めている今、巨獣にできるのは、眼下の少女の動きを追うことだけだった。
フルムは剣を握ったまま、刀身へ火属性魔法陣を展開する。
すると、鍔から刀身へ向かって、紅く輝く文字が走った。
次の瞬間——。
刀身は、まるで鋳造されたばかりの鉄のように、真っ赤に染まった。
フルムはそのまま、巨獣の首元目掛けて飛び上がる。
巨獣は本能的に命の危機を感じ取り、咄嗟に両腕で首元を覆った。
その瞬間、巨獣の突進が止まる。
二頭の巨鹿はそれを見逃さなかった。
すかさず前進し、鋭い角を巨獣の腹部へ突き刺す。
巨獣の身体が大きく後ろへよろめいた。
その隙を狙い、フルムは赤く燃え上がる剣を巨獣の首元へ振り上げた。
しかし、巨獣が両腕で首を守っていたことに加え、巨鹿の突撃によって身体がよろめいたことで、狙いが僅かに逸れた。
フルムの一撃は巨獣の両腕へ深く切り込むに留まり、首を刎ねるには至らなかった。
巨獣の両腕に刻まれた傷口から、どばどばと血が流れ落ちる。
フルムは跳躍した勢いのまま空中へ浮かび、そのまま再び巨獣の頭蓋目掛けて剣を振り下ろした。
しかし、巨獣も痛みに耐えながら、最後の力を振り絞る。
鋭い爪を振り下ろした。
剣と爪が激突する。
そのまま、両者は力比べとなった。
けれど、純粋な力では巨獣に敵わない。
フルムは再び弾き飛ばされ、小屋の近くへと吹き飛んだ。
——タンッ!
しかし、先ほどとは違った。
フルムは、飛ばされながらも、その先をしっかりと見据えていた。
そのおかげで、飛ばされた先にあった木の幹へ足をつき、そのまま側面へ着地することができた。
「……つぎは、しんぞう……」
そう呟くと、フルムは剣を構えた。
すると、今度は刀身の鍔から蒼い魔法陣が展開される。
赤く燃え上がっていた刀身を、蒼い炎が包み込んだ。
そして——。
フルムは木の幹を力強く蹴った。
——ミシィッ!!!
蹴り込まれた衝撃で、木の幹が足の形に大きく凹み、そこから亀裂が走った。
フルムの身体は、蒼い炎を纏った剣とともに、一直線に巨獣へ向かって飛んでいく。
まるで、一条の光のように。
しかし、巨獣も残された力を振り絞り、フルムを最大の脅威と認識して、その動きを注視していた。
一直線に向かってくるフルムへ向け、巨獣は右腕を高く掲げる。
筋肉と神経まで傷つき、半ば自由に動かせなくなっていた腕。
それでも、その爪だけは鋭く光っている。
巨獣はフルムの進行に合わせ、その爪を振り下ろした。
その瞬間——。
フルムの進行方向へ、先導の巨鹿が滑り込んだ。
フルムに足場を与え、進路を変えさせるつもりだったのだ。
フルムも巨獣の爪を見て、正面からでは避けきれないと判断する。
そこでフルムは、先導の巨鹿の背中へ一度着地すると、そのまま再び大きく跳躍した。
巨獣の爪が、すぐ下を通り過ぎる。
そしてフルムは、そのまま進路を巨獣の頭部へと変えた。
——シュキィィンッ!!!
蒼く燃え上がる剣が、巨獣の左目とその周囲の皮膚を切り裂く。
——グォオオオオオッッ!!!!!
巨獣は激痛に叫び声を上げ、地面へ蹲った。
そして、すぐさま開けた場所から森の中へ逃げようと走り出す。
けれど、フルムの握る剣を纏う蒼い炎は、まだ消えていない。
フルムは巨獣の背中を追おうと走り出した。
そのとき——。
先導の巨鹿が、フルムの服を口に咥えた。
「——うぐっ……えー!! なんでぇ!?
あとちょっとだったのにぃー!!」
追撃を止められたフルムは、足をじたばたさせながら駄々をこねる。
服を咥えられたまま、フルムの身体は暖簾のようにぷらーんと垂れ下がっていた。
先導の巨鹿は、フルムを咥えたまま門番の巨鹿へ合図を送り、二頭揃って洞窟へと戻っていく。
その道中。
フルムは終始、剣を握ったまま、お餅のように頬を膨らませ、ぶすくれていた。
やがて、巨獣が森の奥深くへ退散すると、森に再び静寂が訪れた。
その頃には長い夜も明け、木々の隙間から差し込む朝の陽光が、静まり返った森を照らし始めていた。




