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【ソラリスの星典】〜少年少女の異世界冒険譚〜  作者: 夕火
第1章 旅の礎

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第37話『天に昇る白煙』

 それから僕は神聖属性魔力を錬成し、子鹿の身体に触れた。


 その瞬間――僕の意識は、子鹿の精神領域へと引き込まれた。


 僕が飛ばされた場所は、樹々や草花が生い茂り、地面の起伏が激しい山の中だった。


「ここが……あの子の精神領域か。


 ――魂炎は、近くには見当たらないな」


 上から見渡せば、魂炎を見つけられるかもしれない。


 そう考えた僕は、ひとまず山の頂上を目指すことにした。


 それから十五分ほど山道を登り続け、ようやく頂上へと辿り着いた。


 すると――


「……? あそこにあるのか……?」


 頂上には、何かを守るようにして佇む、巨大な擬似アイヒバリオンがあった。


 山頂は多少の起伏や地面の隆起こそあるものの、それなりに平坦な地形になっている。


 その中央には、木で作られた台座が置かれていた。


 しかし――


 台座の上にあるはずの魂炎が見当たらない。


 その代わり、擬似アイヒバリオンの内部では、透明な何かがゆらゆらと蠢いていた。


「あれ……?


 台座はあるのに、魂炎がない……。


 ――とりあえず、アイヒバリオンを解除してみるか」


 僕は魂炎のない台座という、初めて見る異様な光景に首を傾げながらも、星典に記されていた方法で作業を始めた。


 透明な何かを取り囲んでいる擬似アイヒバリオンは、立方体の六つの面それぞれに正三角錐を接続した、四方六面体の構造をしている。


 まず僕は、擬似アイヒバリオン全体を包み込むように、立方体状のアイヒバリオンを生成した。


 次に、その六つの面から外側へ向かって三角錐が伸びるように、同じ形状の正三角錐を六つ生成する。


 そして最後に、それぞれの三角錐を立方体の六つの面へ接着させていく。


「よしっ!


 ——同じ形のアイヒバリオンができた!」


 あとは、これを縮小して——


 擬似アイヒバリオンと寸分違わぬ大きさに調整する。


「これで……いいのか?」


 僕は生成したアイヒバリオンを擬似アイヒバリオンへ近づけ、完全に重ね合わせた。


 そして、一度魔力操作を止め、魔法を解除する。


 ――パリィンッ!!


 次の瞬間。


 アイヒバリオンは、まるで内側から弾け飛ぶように、跡形もなく砕け散った。


「――あ。


 これで解除完了か……」


 どうやら、解除そのものは成功したようだ。


 けれど――


「でも、肝心の魂炎がない……。


 この陽炎みたいな、ユラユラしたものが——魂炎なのか……?」


 台座の上には、相変わらず透明な何かが揺らめいている。


 僕は好奇心に駆られて、自然とそこへ手を伸ばした。


 そして、その陽炎のようなものに指先が触れた瞬間――


「――うわっ! やばいっ!!」


 突然、視界が切り替わった。


 目の前に樹の幹が迫り、僕は咄嗟に両手を顔の前へ構える。


 けれど――


 樹の幹にぶつかることはなかった。


「……あれ?」


 そこでようやく気が付いた。


 これは、僕自身が体験している光景じゃない。


 ただ、誰かの過去を見ているだけなのだ。


「ヒヤッとした……。


 そうか。


 これは——子鹿の記憶か」


 視界の中では、森の中を猛スピードで駆け抜けていた。


 樹々が、ものすごい勢いで身体の横を通り過ぎていく。


「何かから……逃げてる?」


 子鹿が時折、後ろを振り返る。


 その視界の先には、先導の巨鹿の姿もあった。


 すると――


 先ほどから聞こえていた、地面を伝うような重い足音が、次第に大きくなっていく。


 ドシン……。


 ドシン……。


 大地そのものが震えているようだった。


 子鹿が再び後ろを振り返る。


 その瞬間――


「――何だ、あの生き物は……!?」


 追ってくる存在の姿が、はっきりと視界に映った。


「――熊!?


 なんてデカさだ……!」


 黒々とした巨体。


 先導する巨鹿よりも大きいのではないかと思うほどの巨体が、樹々を押しのけながら猛然と迫ってくる。


 すると、先導していた巨鹿が身体の左右に緑色の魔法陣を展開した。


 魔法陣が発動すると――


 シュッ!


 透明な何かが帯状になって森の中を駆け抜けていく。


 それは左右に立つ樹々の幹を次々と切り裂き、熊の進路を塞ぐように木々を倒していった。


「あれは……風属性魔法か……?」


 巨鹿は走りながら、何度も魔法を放っている。


 それでも熊の勢いは衰えない。


 鹿たちは必死に森の中を駆け抜けていく。


 やがて――


 ダンッ!


 ダンッ!


 ――と、地面を強く蹴る音が徐々に遠ざかっていった。


「――逃げ切れた……?」


 そう思った、その時だった。


「――うわっ!!」


 突然、森が開けた。


 その先にあるものを認識するよりも早く、子鹿の身体が前へ投げ出される。


 ――崖だ。


 子鹿は崖の存在に気付かないまま足を踏み外し、そのまま三メートルほど下の地面へ落下していく。


 そして――


 地面へ激突する、その瞬間。


 視界が暗転した。


 次の瞬間、僕は現実世界へと引き戻されていた。


 僕は、脳裏に焼き付いたばかりの記憶を思い返す。


「――なるほど。


 僕がフルムの隷属印を消している間に、そんなことがあったとは……」


 子鹿の記憶を通して、僕はこの森の厳しさを目の当たりにした。


 それにしても――


 記憶の中で見た、あの真っ黒な熊……のような野生生物。


 先導の巨鹿よりも、さらに大きかったように見えた。


「……いや。


 今はそんなことを考えている場合じゃない。


 ——子鹿の怪我を治す方が先だ」


 子鹿の魂炎には触れられた。


 次にすべきことは、魔法陣の構築だ。


 手順を思い出した僕は、以前料理に使った火によって炭になった木の枝を拾い集めた。


 魔法陣を描くために使えるからだ。


 そして、星典を開き、魔法陣の意匠を確認する。


「ソラリスターコード。


 ——神聖魔法【エルシェフィア】の魔法陣を教えて」


 ソラリスの星典は僕の問いに反応し、まっさらな頁に魔法陣を描き始めた。


 星典に描かれた魔法陣は、以前見た深淵属性魔法陣と少し似ている。


 その魔法陣の中央に刻まれている文字が、神聖文字の『神聖』であることは分かった。


 けれど、その外周に刻まれている文字は、どれも初めて見るものばかりだった。


「意味は分からないけど、魔法陣を正確に描けば問題ないはず――」


 僕は手元に置いていた炭を地面に擦り付け、星典を見ながら神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の魔法陣を模写し始めた。


 子鹿の身体全体を魔法陣の内側に収める必要がある。

 そのため、通常の魔法陣よりもかなり大きく描かなければならなかった。


 線の一本一本を確認しながら描き続け――


 完成するまでに、約三十分もの時間を要した。


「……ふぅ。


 ……出来たっ!!」


 僕は額の汗を拭った。


 まさか、一つの魔法陣を一から描き上げるだけで、これほど時間がかかるとは思わなかった。


 それでも――


「――神聖属性魔法陣!!」


 自分の手で、魔法陣を完成させることができた。


 そのことが、少しだけ嬉しかった。


 魔法陣が完成すると、描かれた線が微かに金色の光を放ち始めた。


 僕は石のテーブルにぐったりと横たわっている子鹿を魔力で浮かせ、そのまま魔法陣の中央へ静かに降ろす。


 そして深く息を吸い、呼吸を整える。


 神聖属性魔力を錬成しながら、魔法陣へと意識を集中させた。


「――それじゃあ、始めるよ」


 


《第四階梯 神聖属性魔法『エルシェフィア』!》


 詠唱と同時に、僕は魔法陣へ右手を触れる。


 すると、魔法陣は黄金色の眩い光を放った。


 そして――


 子鹿の身体に刻まれた傷口から、真っ白な煙のようなものが立ち上り始める。


「……!」


 みるみるうちに、子鹿の身体にあった傷が塞がっていく。


「成功だ……!」


 僕は思わず声を上げた。


「ちゃんと……傷が治ってく……」


 僕は子鹿の身体から煙が出なくなるまで、魔法陣へ手を触れ続けた。


 やがて、しばらくすると子鹿の身体から煙が完全に消える。


 それを確認してから、僕はゆっくりと魔法陣から手を離し、魔力の供給を止めた。


 すると、魔法陣の輝きが徐々に収まっていく。


 その直後――


 僕のそばで、治療を見守っていた二頭の子鹿が、ぐったりと横たわる子鹿へ近づいていった。


 顔を舐めたり、匂いを嗅いだりしている。


「ずっと……心配してたんだね」


 二頭の子鹿は、治療を終えた仲間のそばから離れようとしなかった。


 ちょうどその時だった。


 太陽を雲が覆い、洞窟の前が一瞬にして夕暮れのような暗さに包まれた。


「もうすぐ日が暮れるね……。


 ――僕もお腹空いたし、ご飯食べて、今日はもう寝るとしよう」


 そうして僕はフルムを起こし、肉を解凍して夕食を済ませた。


 その後、怪我は治ったものの、未だ眠り続けている子鹿を魔力で浮かせ、洞窟の中へ運ぶ。


 そして、血の付いていない藁の上へ、そっと寝かせた。


 残る二頭の子鹿も、その隣へ足を折って横たわる。

 三頭とも、互いの身体を寄せ合うようにして眠り始めた。


 僕たちも自分たちの寝床へ戻り、藁の上に身体を預ける。


 あれだけ眠っていたというのに、フルムは藁に身体を預けた途端、すぐに眠ってしまった。


 僕は藁にもたれながら、洞窟の天井を眺める。


 そして――


 子鹿の記憶が流れ込んできた時に見た、巨大な黒い熊の姿を思い出していた。


「……もし、あれと接敵することがあったら……」


 あの巨体。


 あの速度。


 そして、森の中を駆け抜けながらも、逃げる鹿たちとの距離を詰め続けていたあの異常な力。


「僕はあいつを倒せるだろうか……」


 しばらく考えた末、僕は小さく息を吐いた。


「……いや。


 今の僕の実力じゃ、無理だろうな」


 いつか、あの熊と出会うことになるのだろうか。


 そんなことを考えながら――


 僕は、意識が沈んでいくのを感じた。


 そしてそのまま、意識が途切れるように眠りへと落ちていった。

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