第36話『血に染まった藁』
二頭の子鹿の動きをよく観察していると、洞窟の入り口から奥を見つめたまま、動きを止めることが何度もあることに気が付いた。
「洞窟の奥に——何か、あるの……?」
僕は、恐る恐る洞窟へと入った。
洞窟内を一部屋ずつ見て回ったが、特に異常は見当たらなかった。
一応、一番奥の部屋まで確認してからフルムを起こそう――そう考えながら、僕は洞窟の最奥にある部屋を覗き込んだ。
すると、そこには、身体のあちこちに切り傷を負い、血に染まった藁の上で横たわっている一頭の子鹿がいた。
「……酷い怪我だ。 誰かにやられたのか?
——取り敢えず、止血しないと」
僕はすぐさま子鹿を魔力で浮かせて、一先ず洞窟の外へ運び出した。
洞窟の外へ出ると、二頭の子鹿が心配そうにこちらへ駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ——僕が何とかするからね」
二頭の頭を、そっと優しく撫でる。
すると、安心したのか、二頭は僕の隣で立ち止まり、怪我をした子鹿をじっと見つめていた。
怪我をした子鹿を石のテーブルへ運ぼうとしたところ、そこにはまだフルムが丸まって眠っていた。
そこで、やむを得ずフルムを起こし、寝る場所を変えてもらうことにした。
僕はフルムの肩を、とん、とん、と軽く叩いて起こす。
「……んぅ、ん〜〜!」
どうやら、まだ起きたくないらしい。
僕は仕方なく、空いている左手で魔力を操作し、フルムの身体を浮かせて地面へそっと下ろした。
そして、怪我をした子鹿を石のテーブルの上へ、慎重に下ろす。
その後、魔法で水球を生成し、水球で子鹿の頭以外を包み込んだ。
すると、子鹿の身体を包んでいる水球に血が混ざり、透明だった水が次第に薄い赤色へと変わっていく。
二、三分ほど子鹿の身体を水に浸してから、魔法を解除する。
水球が消えると、傷口から流れていた血は、すでに止まっていた。
どうやら、そこまで深い傷ではなかったようだ。
「血はもう止まってるみたい……。
さて、ここから何が僕にできるかだけど……」
僕は、アルコールによる消毒や包帯による処置など、元いた世界で得た医療知識を思い出してみる。
しかし、そもそもアルコールも清潔な包帯も持ち合わせていない。
つまり、元いた世界の医療知識だけでは、十分な処置を行うことができない。
そう判断した僕は、残された手段――魔法による処置や治療方法がないか、星典を調べ始めた。
「ソラリスターコード——
魔法で怪我を治療する方法はある?」
星典はその問いかけに応じ、空白の頁を開く。
そして、まるで透明なペンで書き記しているかのように、文字が次々と綴られていった。
———
魔法による一般的な治療・医療行為として、以下のものが確認されています。
【魔法医療・治療用途一覧】
《原始属性魔法》
◇火属性魔法
▶︎焼灼止血/組織処置
▶︎適性:○(緊急時のみ推奨)
◇水属性魔法
▶︎創傷洗浄
▶︎適性:◎
◇風属性魔法
▶︎患部の乾燥/冷却補助
▶︎適性:○
◇土属性魔法
▶︎骨折・脱臼部位の固定
▶︎適性:◎
《高位属性魔法》
◇氷玦属性魔法
▶︎冷却/腫脹・疼痛の抑制
▶︎適性:◎
◇雷冥属性魔法
▶︎電気ショックによる蘇生処置
▶︎適性:◎
《神代魔法》
◇神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】
▶︎凡ゆる損傷の回復及び治癒
▶︎適性:◎
《星界魔法》
◇歳巡属性魔法【テレジア(廻帰)】
▶︎負傷前の状態への時間遡行
▶︎適性:◎
———
なお、魔導士による治療行為は、施術者が有する医療知識および判断に大きく左右されます。
そのため、専門医療機関以外、または資格を有する医官魔導士以外による医療行為は、原則として違法行為に該当します。
また、無資格者による医療行為を受けた場合、公的な救済措置を受けられない場合があります。
医療行為を受ける際は、必ず正規の医療機関、または資格を有する医官魔導士による処置を受けてください。
———
僕は星典に記述された魔法医療の一覧を眺めながら、この子鹿に必要な処置と、今の僕に使えそうな治療魔法について考える。
「うーん……直接的な治療魔法でない限り、それはこの子の自己治癒能力に任せるのと変わらないから、火とか氷とかの魔法はあまり意味がないな。
——となると、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】か、歳巡属性魔法【テレジア(廻帰)】が選択肢になるけど……。
歳巡属性魔法【テレジア(廻帰)】は、そもそも高次元の話すぎて、よく分からない。
仮に修得できる可能性があったとしても、そのために膨大な時間を費やす余裕はない。
だから、試せる選択肢は神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】だけ。
とはいえ、この魔法についても、修得までにどれだけ時間がかかるのかは分からない。
とにかく、急いだ方がいいのは間違いない。
——それじゃあ、取り掛かろう。
ソラリスターコード、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の修得手順を教えて」
星典は僕の要請に応じ、即座に開いた白紙の頁へ文字を記していった。
———
神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の修得には、以下の段階を既に達成・到達していることが前提条件となります。
《神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の修得前提条件》
・魔力安定値を81MSI以上に維持し、神聖属性魔力を錬成できること。
・対象の魂炎に触れた際、流入する記憶によって生じる精神汚染に耐え得るほどの、精神感応への耐性を有していること。
・対象の魂炎を正確に認識し、魂・精神・肉体の状態を識別できるほど、魂炎への知覚能力を有していること。
これら全ての条件を満たしていない場合、魔力暴走や精神崩壊を引き起こす恐れがあります。
———
次に、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の発動条件について説明します。
まず、神聖属性魔力を錬成した状態で、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】を施す対象の身体に接触します。
そして、対象の精神領域へ侵入し、魂炎が安置されている空間を目指します。
対象が心身のいずれかに負傷または侵蝕を受けている場合、対象の精神領域では、その危機的状況に応じて自動的に防衛機制が発動しています。
これにより、対象の魂炎は擬似アイヒバリオンによる防御障壁を展開します。
これは、対象の自己治癒・再生機構が正常に機能している証拠であるため、異常ではありません。
しかし、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】を発動する上では、魂炎を包囲するように展開された擬似アイヒバリオンは障害となります。
そのため、魂炎を守護している擬似アイヒバリオンを解除・除去しなければなりません。
擬似アイヒバリオンの解除には、対象の魂炎を取り囲んでいる擬似アイヒバリオンと同一形状のアイヒバリオンを生成し、対象由来の擬似アイヒバリオンに対して権限の書き換えを行います。
その後、権限の書き換えが完了したアイヒバリオンを消去することで、対象由来の擬似アイヒバリオンを解除・除去します。
また、魂炎を守護する擬似アイヒバリオンが複数の層によって構成されている場合は、各層の形状に一致するアイヒバリオンを外側から包み込むように生成し、同様に対象由来の擬似アイヒバリオンの権限を書き換えた上で、解除・除去する必要があります。
魂炎の周囲に展開された擬似アイヒバリオンをすべて解除・除去した後は、対象の魂炎に触れ、対象が術者の神聖属性魔力を受け取れるよう、対象と術者との間に相互魔力経路を構築します。
この相互魔力経路が正常に確立されると、術者は対象が負傷した際の記憶を知覚できるようになります。
これが、相互魔力経路が正常に確立されたことを示す証拠となります。
相互魔力経路が確立されたら、最後に現実世界で神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の神代魔法陣を水平面に描き、詠唱を行います。
これによって、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】が発動します。
以上が、神聖属性魔法【エルシェフィア(天療)】の発動手順の概要となります。
———
「……前提条件は——多分、大丈夫だと思うから、気にしなくていいか。
神聖魔法『天療』の発動手順は——神聖属性魔力で精神領域に入り、アイヒバリオンを解除して、魂炎に触れる——
それで、最後に魔法陣を描けば、準備完了ね。
——よしっ、じゃあ早速始めよう」
そう言って僕は、石のテーブルに横たわった子鹿の前に立って、神聖属性魔力の錬成を始めた。




