第34話『深淵文字』
サラサラと木の葉がそよ風に揺れ、穏やかなざわめきが耳に届く。
僕は地面の寝心地の悪さで目を覚ました。
フルムはまだ、石のテーブルの上で丸くなったまま眠っている。
「そろそろ、服も乾いたかな?」
僕は樹に吊るして干していた靴と服を回収し、裸のまま眠っているフルムに服を着せた。
身体を起こされ、服を着せられても、彼女はまったく目を覚ます気配がない。
僕は日が暮れる前に『グラクシア(赫鎖印)』の無効化を終わらせるため、手順の続きを進めることにした。
再び、神聖属性魔力の生成を試みる。
今度は正十二面体アイヒバリオンを、そのまま生成した。
「よしっ! 上手くいった!
——少しだけ、さっきより生成が楽になったような……」
僕の目の前には、黄金に輝くアイヒバリオンが静かに浮かんでいる。
「確か次の手順は——神聖属性魔力で印に触れることだったよね。
――ということは、アイヒバリオンは毎回生成しなくてもいい……?
一回、神聖属性魔力だけを生成してみよう」
僕は目を閉じ、体内に宿る『魂炎』を思い浮かべた。
初めて魂炎を認識してから、この動作を何度も繰り返したことで、魂炎の形や色彩を以前より鮮明に捉えられるようになってきた気がする。
目を閉じて数十秒。
瞼の裏を覆っていた暗闇がゆっくりと晴れ、見覚えのある景色が目の前に広がった。
青々と茂る樹々に囲まれた遺跡の跡地。
僕は再び、その場所へと足を踏み入れていた。
魂炎は、生を讃えるかのように台座の上で銀色の炎を燃やしている。
僕はゆっくりと歩み寄り、その炎へ手をかざした。
そして、炎の色彩が移ろう光景を心の中で思い描く。
正十二面体アイヒバリオンを生成した、あの時の感覚――。
黄金に輝く、神聖なる炎――。
すると、魂炎は光沢のある銀灰色から眩い黄金色へと姿を変え、草木に囲まれた空間を神々しい輝きで満たした。
僕は、その炎へそっと手を伸ばす。
黄金の炎に触れた瞬間――。
これまでとはまったく異なる魔力が、全身を駆け巡った。
穏やかで、生命力に満ち、快晴の空のように澄み渡り、心も身体も軽くなるような、不思議な感覚だった。
僕はゆっくりと目を開く。
そして、違和感を覚えた右手へ視線を向けると、微かな痺れとともに、右手は金色に煌めく靄をまとっていた。
「出来たっ! 神聖属性魔力だけを生成できるようになった!
――よし、それじゃあ始めるか」
そうして僕は、神聖属性魔力をまとった右手で、フルムの背中に刻まれた隷属の印へ触れた。
その瞬間、僕の意識は、以前訪れた地下遺跡のような場所へと引き込まれていた。
気が付くと、僕は無限に続く回廊の中央に立っていた。
左右には無数の部屋が並び、それぞれの入口の間には松明が灯されている。
壁の造りを見る限り、以前訪れた遺跡と同じ場所で間違いない。
だが、どこか構造が違うようにも思えた。
「――ん? 曲がり角が見当たらない……。
違う場所に飛ばされたのか……?
まあ、いっか。
――鎖が巻かれた扉を探そう」
僕は回廊沿いに並ぶ部屋を、一つずつ調べて回った。
数部屋見て回ったところで、どの部屋にも中央には石造りの扉が置かれていることが分かった。
扉には紅色や蒼色の魔法陣が刻まれており、中にはすでに開いた状態のものもある。
しかし、それらの扉は開いていても別の場所へ通じているわけではなく、ただのオブジェのように設置されているだけだった。
部屋の中にも、入口の裏側へ松明が取り付けられており、その明かりが室内を照らしている。
「この部屋の数だけ扉があって、その中から鎖が巻かれた扉を探せってことか……」
僕はしらみつぶしに、一つひとつ部屋へ入り、扉に鎖が巻かれているかを確認して回った。
五十部屋ほど調べたところで、入口の左右に設置された松明の火が消えている部屋を見つけた。
「ここだけ松明の火が消えてる……。
——部屋の中も真っ暗だ」
僕は慎重に部屋の前へ立ち、中を覗き込む。
真っ暗な室内にも、扉が置かれていることだけは確認できた。
だが、鎖が巻かれているかどうかまでは、ここからでは見えない。
《第二階梯 火属性魔法【ロアグ】》
暗い部屋の中を調べるため、僕は火球を生み出し、入り口と室内に設置された松明へ火を灯した。
揺らめく炎が周囲を照らし出すにつれ、暗闇に沈んでいた石造りの扉が、ゆっくりとその姿を現した。
「――見つけたっ!」
その部屋の中央には、紫色に滲んだ魔法陣が刻まれた石の扉が置かれていた。
その扉には、決して開かせまいとするかのように、紫色の文字がびっしりと刻まれた鎖が何重にも巻き付いている。
「……この扉で間違いないな。
――まずは、鎖を解こう」
僕は神聖属性魔力を錬成し、右手へ集束させた。
そして、その神聖属性魔力をまとった手で鎖へ触れる。
すると、鎖全体に金色の亀裂が走り、次の瞬間、粉々に砕け散った。
「――これで鎖は外せた。
次は……何だったっけ。
確か、魔法陣に何かするんだったような——。
……思い出せない。 本に聞くか。
――ソラリスターコード。
隷属印を消す手順で、鎖を解いた次は何をすればいい?」
精神領域の中でも、星典は現実世界と同じように瞬時に姿を現し、空白の頁へ文字を記し始めた。
———
『グラクシア(赫鎖印)』の解除手順の第四段階まで終了したため、次の第五段階について解説します。
『グラクシア(赫鎖印)』の扉には深淵属性魔法陣が刻まれており、その内部には七つの深淵文字が配置されています。
中央主印には『深淵』の一文字、外周副印には『愚鈍』『劣等』『呪縛』『隷属』『剥奪』『虚無』の六文字です。
第五段階では、魔法陣内に刻まれた七つの深淵文字へ、正しい順序――外周副印『愚鈍』▶『劣等』▶『呪縛』▶『隷属』▶『剥奪』▶『虚無』▶中央主印『深淵』――で神聖属性魔力を賦与します。
すると、深淵属性魔法陣は神聖化によって無属性魔法陣へ転化します。
———
「――あ、次は魔法陣に神聖属性魔力を流すんだった。
魔法陣は……あ、あれか。
でも、よく見えないな……」
魔法陣は扉の上部に刻まれている。
扉の半分ほどしか身長のない僕では、その模様の細部まで確認することができなかった。
「……どうしよう。
ゆっくり観察したいけど、この部屋には椅子もない……。
……んー、ないなら作るか」
そう言って僕は詠唱を始めた。
(名前は何にしよう……)
《第三階梯 氷玦属性魔法【氷塊】》
詠唱とともに、青みがかったガラスのような魔法陣が扉の前へ展開される。
次の瞬間、床から透明な氷のブロックがせり上がってきた。
僕はその氷の台へ乗り、深淵属性魔法陣の観察を始めた。
魔法陣の内部には、文字や記号のようなものが複雑に刻まれている。
中央には、直線だけで構成された一つの記号。
それを囲むように大きな円が描かれ、その周囲にはさらに六つの円が等間隔に配置されていた。
六つの円の中にも、それぞれ中央とは異なる記号、あるいは文字のようなものが刻まれている。
「真ん中にあるこれが……『深淵』の深淵文字で、周りの六つは——どれがどの文字に対応しているのか分からないな……。
ソラリスターコード。
——ソラリスアイを起動して」
僕が星典へそう呼びかけると、本はパタンと閉じ、裏表紙からギョロリとした装飾の眼球が姿を現した。
僕は空中に浮かぶ星典の眼球を、深淵属性魔法陣へ向ける。
そして、星典へ指示を出した。
「写真を撮って。
それと、深淵属性魔法陣に刻まれている外周副印の深淵文字の意味を教えて」
すると、以前ソラリスアイを使用した時と同じように、淡い黄色を帯びた白色の魔法陣が眼球の前に展開され、フラッシュとともに魔法陣を撮影した。
ほどなくして、星典は空白の頁を開き、高速で文字を記し始める。
———
光子解析の結果、深淵属性魔法陣を構成する外周副印の深淵文字は、〇時方向を起点として順回転に、⑤『剥奪』、③『呪縛』、①『愚鈍』、④『隷属』、②『劣等』、⑥『虚無』であることを確認しました。
ここから、深淵文字を神聖文字へ反転させる作業へ移行します。
深淵属性魔法陣を神聖属性魔法陣へ転化させるには、外周副印を順序どおりにすべて消去した後、中央主印の深淵文字『深淵』を消去し、神聖文字『神聖』を書き込むことで、魔法陣の属性を神聖属性へ反転させます。
反転作業では、まず深淵文字をすべて消去し、深淵属性魔法陣を神聖属性魔法陣へ転化させた後、対応する神聖文字を書き記します。
深淵文字を消去する順番は①から⑥ですが、神聖文字を書き込む順番は⑥から①となります。
つまり、書き込む順序も反転します。
この作業を、中央主印と外周副印の六箇所、計七箇所すべてに対して行ってください。
各番号に対応する神聖文字の意味は、以下のとおりです。
①『智慧』
②『優越』
③『解放』
④『自律』
⑤『施与』
⑥『存在』
次頁より、神聖文字『神聖』および①から⑥までの神聖文字の意匠を掲載します。ご参照ください。
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星典はそう記すと、一つの神聖文字につき一頁を割き、その意味と意匠を順に描き始めた。




