第30話『氷玦属性魔法』
周囲を見回すと、ふいに石のテーブルの上に置かれた野獣の肉塊が目に入った。
「――そうだ! あの肉を凍らせるために、アイヒバリオンを習得してたんだった……!」
ようやく僕は、魔法によって氷を生成する方法を調べていたことを思い出した。
そこで記憶を頼りに、アイヒバリオンを用いた氷の生成を試みることにする。
「確か……減圧沸騰を利用して、水を凍結させるんだったっけ」
そう考えながら、僕は立方体状に形成していたアイヒバリオンを一度解除し、魔法で直径約1メートルの水球を生成した。
するとフルムは、また新しい魔法を教えてもらえると思ったのか、僕の動きを真似るようにアイヒバリオンを解除し、自分も水球を生成し始める。
「ラザーフ クッビ、トーワ ジクマ タスクネ??」
フルムは前を向いたまま、そう呟いた。
僕には、彼女が何と言っているのか分からない。
それでも、大体の予想はついていた。
おそらく――「次は何をするの?」といった意味だろう。
僕はそう勝手に決めつけ、それに相応しい返答をする。
「今度は、魔法で氷を作る実験だよ」
当然ながら、彼女も僕の言葉を理解できないはずだ。
それでも彼女は、まるで僕と通じ合っているという確信があるかのように、少しも戸惑うことなく、毎回それを自然に受け止める。
僕もまた、そんな彼女の反応を不思議に思うことはなかった。
僕たちは、些細な違和感に囚われず、大まかに物事を受け止める――そんな、互いの四捨五入のような性格が生んだ関係性だった。
だからこそ僕は、フルムの行動には一旦触れず、魔法で氷を生成することだけに意識を向ける。
水球を生成した次は、球状のアイヒバリオンを、水球の内部にすっぽりと収まる大きさで形成する。
球状のアイヒバリオンによって水が完全に密閉されていることを確認すると、僕は外側に浮いていた水との魔力接続を切り、地面へ落とした。
そして、そのアイヒバリオンを徐々に拡大させ、水とアイヒバリオンの間に真空の層を作り出していく。
アイヒバリオンと水球の間に空間が生じると、水球はその底で、ころころと球状を保ったまま転がり始めた。
本来なら、真空を生み出した時点で、水を球状に維持する必要はない。
それでも、球のまま凍ってくれた方が観察しやすいと思い、僕は余分な魔力を消費しながらも、水球の形状を維持し続けた。
球状のアイヒバリオンが、水球の2倍ほどの大きさにまで膨れ上がった時だった。
内部を転がっていた水球の表面が、突然ぼこぼこと泡立ち始める。
無数の気泡を噴き出しながら、水球は沸騰を始めた。
「これが、減圧沸騰……! 初めて見た……!」
水球が沸騰を始めたところで、僕はアイヒバリオンの拡大を止める。
沸騰は、そのまま数分ほど続いた。
やがて水球の表面から泡が消えていくと、今度は別の変化が訪れる。
水球は表面から中心へ向かうように、徐々に白く濁り始めた。
――凍結が始まったのだ。
その瞬間。
突然、魂炎が一瞬で硬直し、凍結していく光景が、脳内へ流れ込んできた。
「――ッ!?」
僕は思わず息を呑む。
「今……火が凍るところが見えたような……」
そこで、ある可能性が脳裏をよぎる。
「――はっ! もしかして……今のが、魔法習得のサインなのか……!?」
僕は勢いよく立ち上がると、アイヒバリオンを解除し、表面だけが凍った水球を取り出した。
掌に乗せた瞬間、凍てつくような冷気が手のひらへ伝わってくる。
しかし、その球を軽く振ると――。
ちゃぷちゃぷ、と内部で水が揺れる音がした。
まだ、すべての水が凍ったわけではないようだ。
僕は目を閉じ、『魂炎』を思い描く。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら肩の力を抜く。
そして、感覚を研ぎ澄ませていった。
この世界で目覚めてから体験してきた出来事の中で、最も不思議なもの。
それは――目覚めたこの世界とは異なる、もう一つの世界の存在を感じ取れることだった。
僕は今、緑が生い茂り、暖かな陽気に包まれた森の中に佇む遺跡を訪れている。
その遺跡の中央に据えられた甕。
その頭上では、白く煌めく炎が、力強く燃え上がっていた。
僕はその炎の前に立ち、暖を取るように手を翳す。
そして、そのまま炎をじっと見つめた。
数秒前に目にした光景――。
炎が形を保ったまま、凍りついていく瞬間。
僕はその記憶を、今まさに燃え盛る眼前の炎へと重ね合わせた。
次の瞬間――。
魂炎は、水晶を削り出したように、揺らぎを残したまま形を変えていく。
燃え盛る炎は静寂を宿す氷塊へと姿を変え、僕の目の前で凍りついていた。
不思議と、その氷塊に触れずとも、冷気が手元へ伝わってくるような感覚がある。
僕はゆっくりと目を開いた。
すると、掌の上には中心まで凍りついた、不透明なガラス玉のようなものが乗っていた。
「これが――氷玦属性魔法か……!」
それは、混線していた脳内の靄がすべて取り払われ、雲一つない澄み切った空のように、恐ろしいほど冴え渡る感覚だった。
僕は、初めて去来するその感覚に浸りながら、その場に立ち尽くしていた。
するとそこへ――。
フルムが勢いよく駆け寄ってくる。
「ラザーフ クッビ! シフタ ヂド!」
彼女は、僕と同じ大きさの氷の玉を手に持ち、誇らしげにこちらへ見せてきた。
「フルムちゃんも、氷玦属性魔法が使えるようになったんだね!」
僕は笑みを浮かべながら、彼女の頭を撫でる。
「——はい、僕のもあげる」
そう言って、手に持っていた氷の玉をフルムへ渡した。
彼女は空いている方の手でそれを受け取ると、すぐに氷の玉へ顔を近付け――。
ぺろぺろと舐め始めた。
「あんまり舐めると、お腹痛くなっちゃうよ?」
「ムー?」
フルムは耳だけをこちらへ向けたまま、僕が渡した氷の玉をひたすら舐め続けている。
その奇妙な振る舞いに呆れながらも、僕は彼女を止めるようなことはしなかった。
僕は、命に関わることでない限り、安易に障壁を取り除くべきではないと、常々考えている。
それは、成功や失敗を経験する機会だけでなく、彼女自身の生きる力まで奪うことになるからだ。
生きる力を失ってしまった人たちを、僕はこれまでに何人も見てきた。
だからこそ、彼女にはそうなってほしくはないし、生きる力を失うような機会だけは、取り除いてあげてもいいだろう。
そんなことを考えながら、僕は立ったまま氷を舐め続けている彼女のそばを離れ、まだ火の通っていない獣の肉が置かれた石のテーブルへ向かった。
「やっとこれを冷凍できる……。
――だいぶ放置しちゃったけど、まだ腐ってないよね……?」
僕は肉塊をじっと見つめる。
「――とにかく、急いで凍らせよう……!」
そう言って、僕が最初に取り掛かったのは、肉塊の洗浄だった。
肉を魔力で宙へ浮かせ、そこへ魔力から生み出した水をまとわせて洗い流していく。
汚れを落とし終えると、水を新しいものへ入れ替え、そのまま肉塊ごと凍結させた。
さらに、食べきれずに残っていた――一度火を通したブロック状の肉も、まとめて凍らせておく。
そうして完成した2つの氷塊を宙へ浮かせ、洞窟の中にある、僕たちが寝泊まりしている部屋まで運んだ。
「これで、よし――」
氷結属性魔法を習得したことで、狩りで得た鮮肉を腐らせることなく保存できるようになった。
これまでは食事のたび、その都度食材を調達しなければならなかった。
しかし、これからは凍らせた肉を解凍するだけで、簡単に食事を用意できる。
これは、僕たちの旅にとって大きな進歩だった。
洞窟の外へ出ると、橙色に染まった陽光が差し込み、樹木の影をより一層引き伸ばしていた。
まるで、今日という1日の終わりを告げるように。
それから僕たちは焚き火を囲みながら夕食を取り、洞窟の一室で眠りについた。




