第11話『目覚ましは水の魔法』
大海は激しくうねり、その波は全てを飲み込まんとしていた。
鈍い灰色の雲へ届かんばかりに、海水と魚を巻き上げる巨大な竜巻が何本も海面から立ち上っている。
僕は、その恐ろしくも異様な光景に愕然とし、為す術もなく荒波に翻弄されていた。
すると、海を漂う僕の身体が、突然海中へ引きずり込まれるような感覚に襲われた。
気づいた時には、僕は巨大な渦の中にいた。
その回転に巻き込まれた僕は、やがて海中深くへと引きずり込まれてしまう。
真っ黒な海の中で呼吸はできず、口からはゴボゴボと空気が漏れ、水面へ向かって気泡が昇っていくだけだった。
息ができないというだけで、これほど苦しいのか。
初めて味わう恐怖と苦痛に、僕は自身の死を悟った。
徐々に意識が遠のいていく。
朦朧とする意識の中で、僕はふと疑問に思った。
――なぜ僕は海を漂っていたのだろう。
その次の瞬間、腹部を強く押されたような痛みが走り、僕は目を覚ました。
「ごぼぁっ!!」
覚醒と同時に、僕は口いっぱいに溜まっていた水を吐き出した。
「はぁっ……はぁっ……! な、何だ……夢か……」
「ア! ラザーフ クッビ プア エコウ!」
目を覚ましたとき、フルムはすぐ目の前で僕の顔を覗き込んでいたらしい。
彼女の頭は、僕が盛大に吐き出した水をまともに浴びてびしょ濡れになっていた。
フルムは僕の身体に馬乗りになったまま、目の前で濡れた頭をぶるぶると左右に振って水を飛ばした。
その飛沫を、僕は顔面でまともに受け止めた。
しかし、不思議なことに濡れていたのは上半身だけだった。
まるで通り雨に降られたかのように、そこだけがびしょ濡れになっている。
起きた時から身体が妙に重いと思っていたが、よく見るとフルムは僕のお腹に両手を置き、体重をかけている。
どうやら僕の腹部を押していたのは、フルムだったらしい。
僕が溺れそうになっていたから助けてくれたのだろうか。
それにしても、なぜ僕は水を吐いたのだろう。
空は快晴で、地面も乾いている。
激しい雨が降った形跡もない。
僕はふと水筒を手に取り、中の水の量を確かめた。しかし、水筒は思った以上に軽く、振ってもチャプチャプという音は聞こえない。
言うまでもなく、水筒は空だった。
「そういえば、昨日寝る前に飲んで空になったんだった」
「ザーフラ クッビ! クルウ クルウ!」
フルムは突然興奮した様子で両手を前へ突き出し、何かを念じ始めた。
僕はその不可思議な行動を半ば呆れながら見守る。
「タウ~……タウ~……」
フルムが謎の呪文を唱え始めると、彼女の瞳は宝石のように赤く輝き、突き出した両手の前に青色の魔法陣が出現した。
「——え!? フルムちゃん! もう魔法使えるようになったの!?」
彼女が展開した魔法陣の前には、徐々に水滴が集まり始める。
やがてそれは直径二十センチほどの水の球体となった。
「――!? これが……水属性の魔法……!!
すごいよ、フルムちゃん!!」
いつの間にか彼女が魔法を使えるようになっていたことに驚きつつも、その光景は僕の疑念をさらに深めることになった。
「……ん? もしかして、寝ている間に僕を溺れさせようとしたのはフルムちゃん?」
「ラザーフ クッビ! タウ トアウ ムイケ!!」
「うんうん。フルムちゃん、もう水属性の魔法が使えるようになったんだね! 天才だよ!!」
僕はすぐに彼女を問い詰めたりはしなかった。
まずは頭を撫でて、魔法を修得したことを大いに祝う。
さて。
彼女の成長を一通り寿いだところで、今朝僕がなぜずぶ濡れだったのか、その真相究明に移ろう。
「ソラリスターコード、翻訳して。
フルムちゃんは、いつ魔法が使えるようになったの?」
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ジクマ ノイチシウカ ネウ
(魔法 修得 何時)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「フルム、ジクマ ノイチシウカ ネウ?(フルムちゃんは、いつ魔法が使えるようになったの?)」
僕が質問をしたその瞬間、フルムは不意に両腕を大きく広げた。
すると、彼女が維持していた大きな水球は支えを失ったかのように崩れ、――パァンッ!という軽快な音を立てて四散した。
魔法を使っている間、彼女の瞳は依然として神々しく輝いている。
「フルム、ツジュ ウナ バーリ イルプ ムタ タウ トーロフ」
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今 川 遊戯 水 浮上(ウナ バーリ イルプ タウ トーロフ)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「今、川で遊んでいたら……水が勝手に浮いた?
どういうこと?」
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トーワ ネアム
(何 意味)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「トーワ ネアム?(どういうこと?)」
「イア トンド ドンタスアダ……トブ! ネウ イア イセ タウ、タウ エナラエパ ナオ スチ ノア!」
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私 否定 理解(イア トンド ドンタスアダ)
逆説 言う 水 水 出現(トブ イセ タウ タウ エナラエパ)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「んー、分からない……でも、水って言ったら水が出てきた……?
無意識のうちに魔法を発動しちゃったってことなのかな。
とにかく、その辺りで魔法が使えるようになったんだね」
「じゃあ、寝ている間に、僕に水を飲ませようとしてくれたのは、フルムちゃん?」
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イア プリス ルイワ タウ トイハロプ
(私 寝る 間 水 提供)
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「イア プリス ルイワ、フルム タウ トイハロプ?(寝ている間に、水をくれたのはフルムちゃん?)」
「セウ! ザーフラ クッビ ルェザトゥ タウ イルプ ノイタチキロス!」
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兄 一緒 水 遊戯 勧誘(ザーフラ ルェザトゥ タウ イルプ ノイタチキロス)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「僕と一緒に……水遊びしようと思ったのね」
「なるほど。翻訳して。
水遊びは全然してあげるけど、寝ている人に水をかけたらダメだよ。 どうしてだと思う?」
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タウ イルプ ケオ
(水 遊戯 同意)
プリス ノスレパ タウ トイハロプ ティビホルプ
(寝る 人間 水 提供 禁止)
ノサエル ドンタスアダ
(理由 理解)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「タウ イルプ ケオ。(水遊びはしてもいいよ)
トブ、プリス ノスレパ タウ トイハロプ ティビホルプ。(でも、寝ている人に水をかけるのはダメ)
フルム、ノサエル ドンタスアダ?(どうしてだと思う?)」
「イア トンド ドンタスアダ(分からない)」
僕はその返答を聞き、少し呆れながらフルムのほっぺたを優しくつまんで横に引っ張った。
フルムは、自分の頬をつまんでいる僕の腕に手を添えながら、きょとんとした顔で上目遣いに僕を見つめている。
「ラザーフ クッビ……タルフー……」
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兄 痛い(ラザーフ タルフ)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「溺れちゃうからダメなんだよ? 分かった?」
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ネオルド オルス ティビホルプ
(溺水 順接 禁止)
ドンタスアダ
(理解)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ネオルド オルス ティビホルプ?(溺れるからダメなんだよ?)
フルム、ドンタスアダ?(分かった?)」
「セウ……」
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肯定――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
フルムの耳と尻尾は、萎れた野菜のように力なく垂れ下がり、見るからにしょんぼりとしていた。
僕が頬から手を離すと、彼女は俯いたままとぼとぼと歩み寄り、そのまま僕のお腹へ顔を埋めるように抱きついてきた。
存分に水遊びをしていたせいか、彼女の服は少し湿っている。
「大丈夫だよ。怒ってるわけじゃないから」
僕は彼女を宥めるように、垂れ下がった耳と尻尾を優しく撫で続けた。
恐らく、機嫌が戻るまではその場から動けないだろう。
「喉乾いたな……水を沸かさなきゃ……」
僕はフルムをそっと引き離し、水筒を持って小川へ向かった。
フルムも慌てて僕の後ろをトコトコと追いかけてくる。
小川へ着くと、僕は水筒で水を汲み、芝生の上に置かれたドラゴンの鱗へ注いだ。
何度か往復して十分な量の水を溜めると、ドラゴンの鱗の熱で煮沸する。
そうしてできた湯を再び水筒へ移し、冷ますために小川へ浸した。
ある程度冷めたところで水筒を引き上げ、一口飲む。
「全然冷めてないな」
フルムは僕の背後で、もじもじしながらこちらの様子を窺っていた。
「フルムちゃんも、水飲むでしょ?」
僕はくるりと振り返り、明るく声をかける。
すると彼女は、自分の尻尾を抱えるようにしてしゃがみ込み、地面へ蹲ってしまった。
「フルムちゃん、何でそんなにご機嫌ななめなのー?」
僕はダンゴムシのように丸まった彼女を抱き上げ、自分も芝生へ寝転がった。
フルムは僕のお腹の上で綺麗に丸く収まっている。
今どんな顔をしているのか見たくなった僕は、彼女の両頬をむにむにと揉んだ。
しかしフルムは、顔をもみくちゃにされても微動だにせず、じっと僕の悪戯に耐えている。
「柔らかーい。——フルムちゃん、固まっちゃった。
……ご飯でも食べたら機嫌直るかなぁ」
僕は再びフルムを抱き上げ、小川の近くまで運んだ。
そしてダンゴムシ状態のまま地面へ下ろす。
そのまま小川へ入り、魚を獲り始めた。
「動きがめちゃくちゃ速いな……。
——石で逃げ道を塞がないと、さすがに獲れそうにないな」
僕は水底の石を集め、小川の中に簡単な石垣を作った。
だが魚は必死に逃げ回り、僕の手を華麗に躱していく。
そこで最終手段として、小川の一区画を石で堰き止め、魚の逃げ道を完全に塞いだ。
その結果――
「よしっ! やっと捕まえた!」
ようやく一匹の魚を捕まえることができた。
僕はその魚を木の枝へ串刺しにし、ドラゴンの鱗の上へ置いた。
さらに皿代わりにするため、木の葉も何枚か取っておく。
フルムは身体を丸めたまま、耳だけをぴょこぴょこと動かしていた。
どうやら周囲の音はしっかり聞いているらしい。
僕は魚をひっくり返しながら、両面にこんがりと焼き色をつけていく。
「よしっ、完成!
塩があれば完璧だけど……まぁ、そのままでも十分美味しいか」
僕はフルムの前へ葉を三枚並べ、それを皿代わりにして焼き魚を置いた。
フルムはまだいじけているのか、身体だけこちらへ向けてアルマジロのように丸まっている。
「フルムちゃん、焼き魚だよー」
フルムは恐る恐る顔を上げた。
——グゥゥゥゥゥ……
その時、彼女の腹の虫が盛大に鳴いた。
しかも彼女は、なぜか口元から涎を垂らしながら、じっと僕を見つめている。
「——いいよ、食べて」
僕は魚の串を持ち、彼女の口元へ運んだ。
すると――
ガシッ!
フルムは僕の両腕を掴み、一心不乱に魚へかぶりついた。
その様子を見て、僕は少し安心した。
「子育てって、本当に大変なんだな……」
子どもの行動に振り回され、右往左往しながら一喜一憂する。
子を持つ親というのは、きっと毎日こんな気持ちなのだろう。
その苦労の一端を、僕は少しだけ理解した気がした。
フルムが魚を食べ終えると、僕は彼女の口元についた汚れを手で拭い、その後、水筒の水で自分の手を洗った。
「ラザーフ クッビ、イロミナ トン リグナ……?」
魚を食べ終えたフルムは、上目遣いでこちらを窺いながら、恐る恐る口を開いた。
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兄 否定 怒り(ラザーフ トン リグナ)――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「トン リグナ(怒ってないよ)」
僕は笑いながらフルムの頭を撫でた。
フルムは目を細め、気持ち良さそうに尻尾をぶんぶんと振っている。
どうやら、彼女の機嫌はすっかり元に戻ったようだった。




