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第93話 帝国の国母




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 帝国への帰還を決意した櫂は、神竜フウカたちに旅立ちを告げる。するとフウカは自分が帝都まで櫂たちを乗せていくと言い出し、更にはもう一人、帝都へと同行を希望する者が現れる。

 その名は紅炎姫こうえんきエルフリード。天女にして銀鷲ぎんしゅう帝国の初代皇后であった。






 神竜フウカが四肢を伸ばしその長い首を天井に向けると、彼女の頭上を天蓋の様に覆っていた大樹の枝葉はこうべを垂れ、雲一つない蒼穹そうきゅうへの道を開く。

 フウカは四枚の翼を一度だけ羽ばたかせて、ふわりと浮き上がった。

 小さな屋敷ほどもある巨体は音もなく地面を離れ、頭上に広がる蒼穹へと吸い込まれるように浮上していく。

 

「さあ——行きましょう」


 白竜山嶺はくりゅうさんれいの峰——そこに穿たれた巨大な穿孔から外に飛び出したフウカはその巨体をゆっくりと傾け、穿孔を下った先にあるソルコブの里の上を通過する。

 その際、自分たちに向けて手を振る無数の人影を櫂の眼は捉えていた。

 滞在日数は七日にも満ちなかったが、豆粒ほどのシルエットに見知った顔を重ねてしまう程度には親交を重ねた人達に向けて、櫂もまた大きく手を振り返していた。

 やがてフウカは遙か南東の帝都に向かって飛行を開始する。それは空を文字通り滑り降りていくかのような、滑らかで優美な動きであった。

 その背中に当たる部分には大きな輿こしが設けられており、櫂を始めとした人間たちはその上に腰を下ろしながら、眼下の絶景に言葉を失っていた。

 普段は見上げるしかない竜骸山脈りゅうがいさんみゃくの峰は自分の足元より遙か下にあり、彼方にはどこまでも転がる陸地が広がっている。

 天におわす神の視座とはきっと、この絶景を指すに違いない。


「信じられません……こんな高々度を飛行しているのに寒くも息苦しくもない。フウカさん、これは大気そのものを操作しているのですか?」


「ええ、流石は“異邦人エトランゼ”ね。あなた達に分かりやすく説明するのであれば、何重もの空気のまゆに覆われて飛んでいるの」


 神竜フウカはその四枚の翼を羽ばたかせて揚力を生み出しているのではない。櫂の指摘通り周囲の大気を操作して、その上を滑空していると言ったほうが実情に近い。

 しかも自分達を何重もの空気の層で覆うことで、高度に合わせて気圧を臨機応変に調整しながら一定の温度を保ち、風圧を大幅に軽減する事に成功していた。

 そのお蔭で亜音速で飛行していても、フウカの全身を覆う白い毛皮や櫂のすみれ色の髪は僅かに揺れる程度であった。


「……今ので理解できた、カイ?」


「ええ、もちろんです」


 一方で物理学にとんとうといミカゲはフウカの説明を受けても理解には及ばず、途中から考えるのを止めていた。


「——さて、それでは嬢ちゃんたち。あたしに事情を聞かせておくれ」


 フウカが白竜山嶺を離れてしばらくすると、同行を申し出た紅玉色の髪の美女——エルフリードが櫂たちを呼び集める。

 超常的な力を持って空を駆けるフウカの背は、凪いだ海を行く帆船よりも平らで安定していた。

 エルフリードの元に集まって腰を下ろした櫂たちは、それぞれが今までの道中について報告し合う。その中には櫂自身も初耳となる話がいくつも含まれていた。


「つまり話をまとめると——櫂とエルナは帝国から何らかの容疑をかけられているが詳細は不明。ロイはオウキとやりあって捕虜になっていたところを逃げだした。そしてミカゲは盟主とやらの命令で櫂を監視するために追いかけてきた——と。

 いやいや、あきれた話だね。特にロイ、あんたはこんな小さいのにあのケダモノに立ち向かったのかい? 可哀そうに、沢山痛い目にあっただろうに……」


 エルフリードは有無を言わさずロイを抱き寄せ、労わるようにその頭を撫でる。

 ロイは同年代の少年と比べても体格に恵まれていたが、エルフリードは更にその上を行く長身の持ち主であり、しかしその胸は目を見張るほどに豊穣であり、ロイの顔は双丘にすっぽりと埋もれてしまう。

 彼が言葉にならない声を漏らしていたのは、決して息苦しさだけが理由ではないだろう。


「他の子たちだって同じさ。たくさん危険な目に合ったってのに、みんな真っすぐな目をして——ああ、本当に良い子たちだね」


 それぞれの境遇を聞かされて感極まったのか、エルフリードは一人ずつ胸に抱きよせてはその頭を撫でてくる。誰もが気恥ずかしそうに声を挙げるが、その抱擁を嫌がるものは一人もいなかった。

 エルナに至っては抱擁されると、気持ちよさそうに目を細めてエルフリードに身を任せる始末だった。


「な、何ですかこの圧倒的なママみ……もとい包容力は」


 見た目は女王か気飾った女傑の如く優美なのに、相手に全く警戒を抱かせない声色と慈愛に満ちたまなざしの前では、思春期の羞恥心など春の淡雪にも等しい。

 豊満な胸に抱かれて身も心も幼児退行しかけた櫂がその恐ろしさ(?)に戦慄していると、


「仕方ありません~エルフリード様は~国母にして~子どもたちの守り神ですし~」


 同じく抱擁されて我を忘れかけたベルタが、火照った顔のまま櫂に説明する。

 紅炎姫エルフリードは銀鷲帝国の始祖ディアルス帝の皇后にして、その後も何百年に渡り、帝室や帝国に生を受けた子供たちを見守ってきた生ける守護者——神話の英雄にして実在する国家の象徴的神性とでも呼ぶべき存在であった。

 母親の胎内から生まれ出でても鳴き声一つ上げられなかった赤子、戦火に焼かれ家族はおろか生きる糧すら奪われた孤児たち、愛を知ることなく罪を重ねた子供たちの前に顕現してはその魂を救い上げたという説話は、帝国のどの地域どの時代においても残されている。


「なるほど、よく分かりました。——時にベルタさん、この御方は今の帝国においても崇拝されていらっしゃるのですか?」


「そ、それはもちろん~です~。実際に拝見したわけではないですが~歴代の皇帝陛下が戴冠なされる時も~降臨されたと~記録にはあります~」


「うん? ああ、それは本当の話だよ。流石に全員とはいかないけれど、手が空いてる時には見届けに行ってるし」


 まさかの本人から証言を受けて、望まずして帝国史の証人となってしまった櫂とベルタ。事の重大さに「はわわわわわ~」と狼狽するベルタに対し、櫂は顎に手を当てて思案に耽る。


「——となれば、()()()かもしれませんね」


「行けるって何が? カイのことだからまたロクでもない事を思いついたんでしょうけど」


「そんな、私はただ降って湧いたコネと権威を借り受けるだけですよ。エルフリード様、実はひとつお願いしたい事があるのですけど——」


「あたしにできる事なら構わないよ。その為に付いてきたようなものだしね」


 エルフリードは一も二もなく快諾かいだくし、その厚情に櫂は後ろめたさを覚えながらも口を開いた。


「ありがとうございます。それでは——現在の皇帝陛下にを私を取りなしてもらえないでしょうか?」


 誰もがその要求の厚かましさに絶句するなか、エルフリードだけはにこりと微笑み


「お安いもんさね。それじゃあフウカ——行先は帝都の離宮だ。直接、あの子たちのもとに連れて行ってあげておくれ」


「……カイ、何をする気?」


 いつもなら黙って成り行きに身を任せるエルナが。この時ばかりは櫂に真意を問いてきた。

 皇帝との対面——それはエルナですら躊躇ためらわずにはいられないほどの不遜な願いであったとも言える。


「そうですね、勿体ぶっても仕方ないので皆さんにはお話ししますね? 私が帝国に戻る理由はただひとつ——この戦争を終わらせるためです」


「戦争を終わらせる? ——カイ、あなたが変なこと言い出すのにはもう慣れたし、一応は本心だと思って聞くけれど、どうやって? 帝国の皇帝とやらにそれを要求するの?」


 呆れ顔のミカゲにカイは「まさか」と手を横に振る。


「完全には移行していないとは言え、今の帝国は議会制ですからね。いくら皇帝陛下が崇敬されていると言っても直ちに戦争を止められはしないでしょう」


「なら、どうやって……」


「ミカゲさん、前にも私に話してくれましたよね? この戦争はラキ——連合の盟主の一存から始まったと」


 白竜山嶺での再会の直後、そしてエルフリードに現状を説明した際も、ミカゲは櫂を含めた一行にその事を明かしていた。

 諸国連合の代行者として軽率であるとは自覚している。しかし連合側の人間にとっては公然の秘密でもあり、明かしたところで問題はないだろうとミカゲは判断してたのである。


「だから話は簡単です。皇帝陛下に直訴し、私を特使として連合に派遣してもらう。そして——本当はすっっっっっっっっっごく嫌なのですが、ラキに直接交渉します。しばらく休戦にしてもらえないかと」


「た、確かにそれなら不可能ではないでしょうけど——そもそも、盟主様がその要件を呑むとは——」


「いいえ、呑みますよ」


 ミカゲの懸念は至極常識的なものであったが、櫂はラキが再び自分に逢ってくれる筈だと断言した。


「何故なら此度の帝国と連合の戦争——これはラキから私への()()()()です。

 止めてほしくば顔を見せに来いと言う——はた迷惑極まりない()()でしょうから」






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