第92話 決意(後編)
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
ソルコブの里に滞在しながらかつての大英雄と親交を深める櫂たち。しかし彼(女)はこの地を離れ、帝国に戻ることを決意するのであった。
鈍い音と共に、赤土色の髪の少年は後方へと吹き飛ばされる。
背中から床に打ち付けられると肺が圧迫されて、少年は蛙のような声を漏らす。
「防御がなっていません。攻撃も回避も受けも全て体捌きの一環です。予測し、見極め、その上で次手へと繋げるのです」
赤土色の髪の少年ロイを吹き飛ばしたのは、赤銅色の肌をした長身の女性だった。額から延びる二本の角が彼女の正体を物語っている。神喰悪鬼トモエ——神竜フウカの同居人である彼女は今、ロイに稽古を付けている最中であった。
「は、はい……も、もう一度お願いします!」
ロイは全身に走る痛みに歯を食いしばりつつ、立ち上がって木剣を拾う。
こうしてトモエに打ち据えられるのは何度目だろう。彼女から稽古を打診され他にやる事もないからと引き受けたロイであったが、トモエの実力はロイの予想を遥かに超えていた。
一度目は振り下ろされた一撃に、構えた木剣ごと頭部を強打されて失神。
二度目は斬りつける前に木剣を叩き落とされ、直後に長い脚で蹴り飛ばされた。
そして十七回目となる今は五月雨のような連撃を凌いだところで、肉薄したトモエに掴まれて投げ飛ばされたのである。
傍から見れば膂力と技量に劣るロイが一方的にトモエに揉まれているように見えるが、当の本人達はこの一方的な取り組みに確かな手応えを感じていた。
「良い返事です。では次——うちの一撃を凌いでみなさい。ただし死んではいけませんよ」
「わ、わかった——!!」
物騒な宣言の後、トモエは自身の左から右へと木剣を振りぬく。だがその間合いの内にロイの姿はなかった。
だがロイは木剣を縦に構え、自分の体幹——脳、顔面、心臓、水月といった弱点を一本の線で結ぶような姿勢を取る。これは木剣と人体の硬い部分で弱点を守りながら、相手の攻撃が及ぶ面積を極限まで減らす騎士剣法の基本だ。
そこにトモエが振りかぶった一閃が迫る。
実体を伴わない斬撃——それは剣を振るった事で生じた衝撃波だった。激突の瞬間、空気は爆ぜて少年の全身を打ち据える。木剣は圧し折れ、ロイは膝を着いて血反吐を吐いた。骨には罅が入り、ダメージを受けた臓腑は内出血を起こしている。
しかしその重傷も、ロイが息を整える間に治癒してしまう。
彼の人ならざる回復力は「神威」と呼ばれる神秘の力による奇跡であり、 その「神威」を生み出す存在しない心臓——それこそがロイが持つ契約神能『義心の臓』であった。
「も、もう……限界かも」
ロイはそのまま崩れ落ち、冷たい床に身を投げたまま気を失ってしまう。
それを見届けたトモエは木剣を置いて彼に歩み寄ると、気絶したロイをひょいと担ぎあげた。
「良い構えでした。その怯えをどうか大事になさい——くれぐれも英雄補正に頼ってはいけませんよ」
『英雄補正』。それは因果を操作し、英雄の行動全てに「成功する」という補正を加える超能である。
ロイはその超能のおかげでこれまでも格上の相手や窮地を退けてきたが、それ故に彼は「致命傷を避ける」という経験を積まないまま戦士として育ってしまった。それを見抜いたトモエはロイに稽古をつける事を提案し、その身に「死なない程度の痛みとダメージ」を与え続けたのである。
かつて——ロイのそれとは比べ物にならないほどの英雄補正を我が身に科した先達として。
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「また手酷く可愛がられましたね。おや――まだ熱が引いてませんか?」
トモエの稽古が始まって二日目の午後。ロイが目覚めたのは畳の上に敷かれた布団の上だった。気を失って運ばれてきたロイを看病していた櫂は、痣だらけの彼の体を拭いていた手を止め、目覚めた彼に労いの言葉を送る。
その言葉を受け取った少年は状況を把握すると同時に、耳まで赤くなった顔を枕に埋めてしまった。
「ロイくん、その姿勢は息苦しいだけですよ。顔も赤いですし熱が籠ってしまいます」
「だ、だだだだ、大丈夫だから!」
「——そうですか。じゃあ汗をかいても良いように肌着だけ替えておきましょう。手伝いますね」
「や、やめてーーーーー!!」
少年の初心な自意識を翻弄する乙女(元32歳男性)心の暴走。それを生暖かく見守るのは、王虎の民の少女ミカゲだった。
その口元は愉悦を称え、視界の先で繰り広げられる思春期のすれ違いに目を細めている。
「ぬふふふふふふふ、カイったら割と大胆じゃない? あの子も早くその気になっちゃえば良いのに」
「え~~私はちょっと解釈違いと言いますか~。ロイさんにはもっと良い人が~ほら~銀髪の彼とか~」
服を脱がせようとする少女と脱がすまいと抵抗する少年の意地の張り合いを眺めながら、他人の色恋沙汰(捏造)で盛り上がる二人の少女。
ミカゲとベルタの妄想の餌食にされている事にも気づかず、櫂とロイはしばらく厚意のすれ違いを繰り広げるのであった。
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そして——四日が過ぎた。
神竜フウカの前には旅支度を整えた櫂と仲間達の姿があった。
「今までありがとうございました、フウカさん」
一行を代表して櫂が頭を下げると、エルナもミカゲもロイもベルタもそれに倣う。
この大陸において神竜と崇められる上位存在に対する礼儀としては、不遜に思えるほど気安い謝礼であったが、当のフウカたちはそれを見て惜別の念を抱くほどには櫂たちを気に入っていた。
帝国に戻ると決意した櫂に対してエルナは当然の様に護衛として付いていくと頷き、ミカゲも任務を口実に共に帝国に向かうと言い出した。ベルタは元々そのつもりであると微笑み、ロイは少しだけ照れくさそうに友人の下に戻るとフウカに伝える。
「分かりました。寂しいけれど、いってらっしゃい——今生の勇者たち」
「お弁当も用意しましたから、帰り道にでも食べていってくださいね」
「——レポート、これで」
旅立ちを告げた若者たちを送り出す三人の英雄たち。一人は空気を読まずに研究成果を送れと数代後の子孫にスマホを押し付けていたがそれはさて置き、彼女たちに再度礼を述べ、櫂はその場を後にしようとする。
フウカが一行を呼び止めたのはその時であった。
「櫂さん、皆さん——こんな僻地まで来てくれたあなた達に私達から贈り物があるの。遠慮せず受け取ってちょうだいね」
最初からそのつもりだったのだろう。フウカは四肢を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。白い毛皮に覆われた竜の巨体。全長は櫂の目測で20メートルほどはあろうか。 この大陸において最も優美で最も完成された体を持つ存在が、その四枚の翼を広げた。
「帝都までだいたい四時間弱、私に乗っていきなさい」
そして——
「話は聞いたぞ。帝国に戻るってんなら、あたしも連れていきな。何、損だけはさせないよ」
櫂たちの背後から聞こえてきたのは、太く艶のある女性の声だった。決して大きくはないが、一言一句が威厳を持って響く鐘のような声音。
振り返った櫂の目に映るのは、燃え盛る炎よりも鮮やかに輝く紅玉色の髪。
その色に櫂はかつて見知った少女の面影を見ていた。しかし嫣然と漂う色香と慈しむような暖かな眼差しは、まだ15歳のマリアリガルには備わっていないものであった。
「御柱の遣い第二柱、紅火姫エルフリード。あんたら帝国じゃお尋ね者なんだって? なら余計にあたしに任せとけ。
銀鷲帝国初代皇后の客人に無礼を働くほど、今の帝室にも“わるいこ”はいないはずさ——」




