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『聖女の影』はやり直す ~破滅の運命を越えて、最愛の騎士と共に生きます~  作者: 彼岸茸
第一章

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6 ユリウス 1 ユリウスとスリ

 騎士の役目の一つは王都の瘴気に引き寄せられてくる魔獣を討伐することだ。

 ゆえに彼らはここ最近、魔獣被害が減っていることを実感している。


 カタリナ=アルクエルが聖女に就任してからのことなので、新たな聖女が浄化を進めているともっぱらの噂だ。

 噂の中に、リアナの名前は出てこない。


 連夜、リアナが聖具に血を捧げていることを知っているのは、彼だけだ。

 彼女自身に吹聴しないでほしいと言われているので、黙っているが、全てがカタリナのおかげとされる空気に、彼は歯痒い思いを抱いていた。


 ユリウスは溜め息を漏らし、現在の任務に意識を戻す。

 今は、町を巡回しているところだ。


 魔獣被害がなくとも、人間同士のいさかいや犯罪はある。

 それらを取り締まるのも騎士の役目だ。


「ユリウス分隊長、ぼーっとしてどうしたんですか? ひょっとして婚約者様のことを考えたりしてません?」


 部下の一人が笑いながら尋ねた。

 リアナが初めて騎士の訓練場を訪れたときの女性騎士ではない。彼女は別の分隊に所属している。


「うるさい。任務に集中しろ」


 もっとも、リアナのことを考えていたのは事実だ。

 婚約者でありながら、以前は接点がほとんどなく、会話をしたことも少なかった。


 カタリナの指示で動いていた節があり、彼女には悪いが意志の弱そうな令嬢だと思っていた。


 そんな彼女が突然、騎士団の訓練場に顔を出した時は驚いた。

 しかも自らサンドイッチを作ってきたという。


 素直に嬉しかったし、美味しかった。

 思えば、この時点で、リアナの健気さに惹かれていたのだろう。


 そして、その夜、アルクエル邸で見た彼女の儀式だ。

 自己を犠牲にしてまで、国に仕えようとする彼女の確固たる意志に気づいた。


 騎士たる自分と同じものを感じた。

 方法は違えど、国を守る意志に変わりはない。


 ただ、貧血を起こすほど連夜血を捧げる彼女の身体が心配だ。


 だから、『封印の儀』を毎晩ではなく、休日を挟むよう伝えた。

 彼女は「でも浄化しないと……破滅が……」と悩みつつも、「分かりました」と応じてくれた。


 ユリウスが聖具を見せてほしいというと、リアナは快く貸してくれた。

 聖具の裏の大きな傷について尋ねると、「幼い頃に落として傷つけてしまったのです」とはにかんだ笑顔はユリウスの心をぐっと掴んだ。

 あれから数日経ったが、思い出すたびに可憐だと思う。


 彼女を守らなければ、と決意を新たにする。

 そんなユリウスを苦笑しつつ見ていた部下が表情を引き締めて、ユリウスに声をかけた。


「ユリウス分隊長。あの男……」


 部下の声にハッとしたユリウスは、彼が指さした男に目を向ける。

 貧民街にいそうなボロを着た男だ。向こうはこちらに気づいていない。


 その男がすれ違いざまに通行人の財布を抜き取ったのが見えた。


「よく分かったな」

「常習犯なんですよ」

「なるほど。追うぞ」


 ユリウスはスリの男に向かって走る。

 鎧の金属音が鳴り、ユリウスをはじめ数人の騎士が迫るのに、男が気づいた。


 慌てて逃げ出す男に、ユリウスが手を伸ばす。


「く、来るな!」


 しかし、男がナイフを振るった。

 ユリウスが腕甲で弾くと、キィンと甲高い音が響く。


「ちっ、クソ!」


 路地裏に逃げ込んだ男を、重たい鎧を着こんでいるとは思えない速さで追いかけるユリウス。


「逃がすか!」

「――ぐぁ!」


 すぐに追いついて、男を地面に組み伏せた。


「放せ! 放せよ!」


 男は暴れるが、びくともしない。

 部下の騎士も到着して、ようやく男は観念したように大人しくなった。


 だが、口だけは元気だ。


「頼む、見逃してくれ……薬を買わなきゃなんねぇんだよ!」


 男の口調は真剣そのもので、なりふり構わぬ必死さが滲む。表情にも隠しようのない焦りが浮かんでいる。

 彼を解放し、立たせるが、逃げる素振りは見せない。


 周囲を騎士に囲まれていては逃げることなどできないだろう。


 男は服についた土を気にすることなく、ユリウスを睨む。


「薬がねえと、娘が……娘が死んじまう!」

「何の薬だ?」

「あんたら、騎士サマは知らねえのか? 貧民街で黒斑病が流行ってんだ」


 黒斑病。

 瘴気に中てられることで、身体に黒い斑点が浮かぶことから名づけられた病気だ。

 発症すると、高熱を伴い、徐々に衰弱していく。


 特効薬は開発されておらず、聖女の浄化の力に頼るしかないのが現状だ。


 ユリウスの説得により、毎晩でなくなったとはいえ、リアナは頻繁に浄化の儀式を行っている。

 当代の聖女であるカタリナも『封印の儀』をしているはずだ。


 魔獣被害は減っていたが、それでもなお十分な浄化が行われていないのかもしれない。


「娘が黒斑病なんだ……」

「薬は効かんぞ」


 それが現実だ。

 リアナかカタリナに頼らなければ、救うことはできない。


「だからって、熱があるのに放っとけるわけねぇだろ! せめて、熱くらい下げてやりてぇんだよ!」


 必死の形相だ。

 彼が嘘をついているとは、ユリウスには思えなかった。


 騎士として王国が定める法を無視するわけにはいかない。

 だが、ここでこの男を捕らえれば、その娘はどうなる?


 誰にも看取られずに、孤独に死ぬのではないか?


 ユリウスの中に葛藤が生じる。


 彼の両親もまた、黒斑病で亡くなっているのだ。

 だから、スリの男の気持ちも分かる。


「分隊長、どうしますか?」


 部下がユリウスの顔を覗き込む。


 乾いた風が吹き抜ける。

 彼は深く息を吐いてから、苦渋の決断を下した。


「……見逃してやる」

「いいんですか、ユリウス分隊長?」

「ああ。このスリ師のためじゃない。こいつの娘のためだ。最期に一人は寂しいだろう」


 男がどこへなりと行けるよう、騎士は道を開けた。

 ユリウスは男に目を向ける。


「今回だけは許してやる。だが、次はないと思え」

「く、薬はどうしたら……?」

「お前の気持ちは理解できるが、金を渡すわけにはいかん。お前だけを特別扱いはできんからな」


 一人だけに温情をかけるわけにはいかない。

 いや、犯罪を見逃してやるだけでも十分な温情だ。


「行け」


 できるだけ感情を込めずに告げた。

 男はキッとユリウスを睨みつける。


「くそ! 貧乏人は野垂れ死ねってか! 娘が死んだら、お前らのせいだ……絶対に許さねぇ!」

「それ以上はやめておけ。捕まえないといけなくなる。娘のそばにいてやることだ」

「畜生が!」


 男はそう吐き捨てて、走り去った。

 ユリウスは苦い表情でその背中を見送った。


「これで良かったんでしょうか?」


 部下の呟きに答えることはできなかった。

 再び吹いた風は生温く、不快に頬を撫でていった。


 根本的な解決ではない。

 熱を下げる薬を買えたところで、黒斑病は治らない。


 この病気を断つためには、聖女一族の力が必要なのだ。


 自らの身を削ってでも、王国を守りたいと言ったリアナなら、どうしただろうか。

 いや、考えても仕方のないことだ。


 ユリウスは苦い思いを胸に、巡回に戻った。

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