29 リアナ 15 最後の半分こ
なんとも嫌な予感がリアナの頭から消えない。
姉は無事なのだろうか。賊の中で唯一捕まっていないゲイルがまだ何かしかけてくるのではないか。
そんな不安で胸がいっぱいになる。
いつもそばにいるユリウスがいない心細さもあるかもしれない。
「リアナ様、信じて待ちましょう」
「……はい」
イリスが優しく微笑みかける。
分かっている。分かってはいるのだが、胸の内がざわざわとするのだ。
心配でいっぱいの表情で、窓から『祭壇の間』を見下ろす。
視界が悪いうえに遠目なのでよく見えないが、何かが漏れてきた気がする。
「あれは……瘴気?」
最大の呪具ともいえる「初代聖女の遺体」がある場所から漏れ出てくる瘴気。
何か尋常ではないことが起こっているに違いない。ユリウスと約束をした。ここでイリスとともに待つ、と。
だが、そんなことも言っていられない。
リアナの中の警鐘がけたたましく鳴っている。
「助けに行かないと……!」
そう呟いたときには既に体が動いていた。早くあの場に行かないと取り返しのつかないことになる。
きっとこの直観に従った方がいい。
失ったものは取り戻せないと、一周目の世界で思い知った。
「リアナ様!?」
リアナの突然の行動に驚くイリスに返事をすることなく、彼女の私室を飛び出した。自分自身の新しい聖具はちゃんと持っている。
『祭壇の間』に向かう途中で、騎士団長のヴァルドに会った。
「ヴァルド様!」
「聖女様?」
「お願いです。力をお貸しください! ユリウス様が……お姉様が危ないのかもしれないのです!」
鬼気迫るリアナに、騎士団長は一瞬気圧される。彼女が何を言っているのか理解できなかったのだろう。
だが、ヴァルドはリアナが無意味に騒ぎ立てる人物ではないと知っている。昼に起きた瘴気事件のことも、リアナが教えてくれなければ騎士団の対応が遅れて、もっと凄惨なことになっていたかもしれない。
「分かりました。どこに向かえば?」
「『祭壇の間』の地下です」
「地下……急ぎましょう」
ヴァルドがついてきてくれるなら心強い。リアナにとっては少し怖い人でもある。なんせ、彼女を地下の独房に連行した人物でもあるのだから。
道すがらヴァルドが声掛けして、王宮の守護をしている騎士も同行することになった。全員が出向けば王宮の守護が手薄になるので数名ではあるが、それだけでもありがたい。
外に出ると、雨がリアナの体を打った。妊婦が体を冷やすのは良くないと分かっている。意を決して『祭壇の間』に向かった。
ゲイルの捜索をしていた女性騎士のレオナが帰ってきていたので、事情を説明して彼女とその部下数名も仲間に加わった。
そこそこの人数になっているのではないだろうか。
『祭壇の間』に着いたリアナはすぐに台座がずらされていて、そこに地下への入り口があることに気づいた。
「行きましょう、ヴァルド様」
「お待ちを。危険があるので騎士を先に行かせます。レオナ」
「はっ」
聖女という立場にある今のリアナは国の重鎮だ。彼女が傷を負うことは騎士の威信にも関わる。
レオナを先頭に、リアナと他の騎士が順番に地下に足を踏み入れる。
一段下りるごとに瘴気が少しずつ濃度を増す。気持ち悪い感覚が肌を撫でた。
何かが戦っている音が聞こえる。地響きのような重たい足音も振動として響いてくる。
この場に先に来て戦える者はユリウスしかいない。
唾をごくりと飲み込み、先を急ぐ。
やがて辿り着いた広間で絶句する。
「なぜ、竜がいるんだ……」
そう呟いたのは騎士の誰かだ。
その竜は大きく息を吸い込んでいる。あれは高濃度の瘴気を撒き散らす前兆だ。
「竜を抑えろ!」
ヴァルドの号令で騎士が一斉に動く。
リアナは竜よりもさらに奥にいるカタリナが視界に入った。
「お姉様!」
その声が届いたのか、カタリナと視線が合う。
「リアナ!? なぜ来たの!?」
騎士が竜の相手をしている間に、リアナはカタリナに向かって駆ける。そのカタリナが泣きそうな顔でユリウスに視線を向けた。
つられてそちらを見たリアナが息を呑んだ。
見えている肌を埋め尽くす黒い斑点。それでもなお剣を構えている満身創痍の夫だ。
「ユリ、ウス様……今、お助けします!」
瘴気に侵されたユリウスを癒やしたことはこれまでにもある。
リアナは口の中を噛み切って、血を口に溜める。そしてそのままユリウスに口づけをした。
リアナの血を飲んだユリウスの呼吸が少しだけ楽になったようだ。
もう一度、二度と血を飲んでもらい、万全ではないものの動ける程度にはユリウスは回復した。
「リアナ……なぜ、来た? いや、助かったと礼を言うべきか」
ユリウスが竜と戦う騎士に気づいた。
「ユリウス! お前は聖女様の護衛に徹しろ!」
ヴァルドから指示が飛んでくる。
今のユリウスはさすがに戦える状態ではないが、愛する妻を死に物狂いで守るつもりだ。
リアナは回復した夫に安堵しつつ、気を引き締めてカタリナの元に急ぐ。
「よう、聖女サマ……俺のことは治しちゃ、くれねえのか?」
床に座り込んで脂汗を流すレイヴンが冗談めかして言う。
「後で必ず癒やします」
「はっ、つれねぇな」
ユリウスの癒やしを優先したのは、彼が極めて危険な状態だったからだ。後は、愛する夫だからという私情もあったかもしれない。
レイヴンの治療よりも優先すべきなのは、カタリナと協力して「初代聖女の遺体」を浄化することだ。
「お姉様、ご無事ですか?」
その言葉にカタリナがハッと我に返る。
「なぜ来たの? あなたは妊婦なのよ」
顔を青くするカタリナに、リアナは答える。
「嫌な予感がしたのです。だからこうして騎士の方々をお連れしました。それに……お姉様だけに負担を強いるなどできません!」
「だめ……」
「やっと仲直りできると思ったのです。イリス様から聞きました。私のせいで、お姉様は苦しい思いをしてきたのでしょう?」
リアナの力に嫉妬したカタリナが少しずつおかしくなっていった。そうイリスは語った。
リアナが悪いわけではない。それでももっと話をしていれば、姉が嫉妬に燃えることもなかったはずだ。あるいはリアナが姉の苦悩に気づいていれば、これほど複雑な関係にもならなかっただろう。
「違う……リアナは悪くないわ。全部わたくしが悪いの。だから……あなたは早く安全なところに行きなさい」
背後からは騎士と竜が戦う音が響いてくる。
聖女一族が二人もいて、竜にとってはリアナとカタリナを最優先で排除したいだろうが、騎士たちがそれを許さない。
リアナはじっとカタリナの瞳を見つめて告げる。
「お姉様は昔からよく仰っていました。『嫌なことは半分こ』って。だから、初代聖女様の浄化も『半分こ』です」
カタリナはリアナの提案に言葉を失った。
ややあってから、カタリナはリアナに微笑んだ。
「分かったわ、リアナ。ありがとう」
そして、リアナの頬を撫でた。
「おい、カタリナ、何を言っているんだ! リアナは――」
リアナを害されると判断したユリウスが抗議しようとしたが、次の瞬間――
トン、と。
カタリナがリアナをユリウスに向かって押した。
「お姉、様……?」
一瞬、姉に何をされたか理解できず、倒れそうになる。すぐにユリウスが支えてくれた。
「リアナ、あなたは魔獣に殺されそうになったわたくしを――いえ、王都を救ってくれたわ。あなたはまさしく命をかけた。だったら、今回はわたくしに任せなさい。苦労も苦痛も『半分こ』よ」
カタリナは遺体のほうに向きなおり、持っていたナイフを手首に当てる。
「ユリウス様、妹をよろしくお願いいたします」
「……言われずとも」
「だめ、お姉様!」
元聖女は勢いよく手首を切った。
溢れ出る血液はカタリナの聖具を濡らし、「初代聖女の遺体」を染めていく。
大量の血を吸った聖具から眩い光が迸り、地下の空間を埋め尽くした。
「ギャオオォォォ……」
竜の断末魔が響き渡り、やがて静かになる。
リアナは真っ白な世界の中、カタリナが最後に「ごめんなさい」と言って微笑む顔が見えた気がした。
◆
どれくらいの間、浄化の光が放たれていただろうか。
光が収まった後、『祭壇の間』の地下の空気は清浄なものへと変わっていた。
ユリウス、レイヴン、ついでに転がっているゲイルを蝕んでいた黒斑病も完全に癒えている。
禍々しい瘴気を発していた「初代聖女の遺体」は跡形もない。
百年以上に渡り地下に捕らわれていた初代聖女はようやく解放された。
残されたのは、倒れ伏したまま微動だにしないカタリナと――
「お姉様、お姉様! なんで……!」
リアナの泣き叫ぶ声だけだった。




