28 カタリナ 14 死闘
ゲイルは床に倒れ込んでいる。「初代聖女の遺体」から溢れる高濃度の瘴気に一瞬にして蝕まれたのだ。
体中に黒い斑点が浮かび、苦しそうに息をしている。
カタリナたちは咄嗟に手前の広間に逃げていた。
ゲイルが「初代聖女の遺体」を呪具として発動する直前、レイヴンがカタリナの腕を思い切り引っ張って広間に戻ったのだ。あれだけの瘴気であれば、耐性があるカタリナでも黒斑病を発症する可能性がある。
「これだけ濃い瘴気だ。危険な魔獣が生まれるかもしれん」
同じく広間に退避したユリウスが、初代聖女を閉じ込めていた部屋を憎々しげに睨む。入り口からは瘴気がこちらに流れ込んできている。
「カタリナ、浄化しろ」
レイヴンが荒い口調でカタリナを促す。魔獣が発生する前に瘴気を消し去る必要があるからだ。
この場でまともに戦えるのはユリウスしかいない。
「分かっているわ」
カタリナは聖具を胸に抱えて、意を決する。浄化が間に合えば、黒斑病にもならない。急がなければ空気はどんどん汚染されるだけだ。
彼女が足を踏み出した時だった。
不意に瘴気が薄まった。
カタリナが浄化をしたのではない。
「ちっ、間に合わなかったか」
舌打ちをするレイヴンの額には汗が滲んでいる。
「何が出てきてもやることは変わらん。俺が抑える間に、カタリナは浄化をしてくれ。レイヴンはカタリナを守るんだ」
一方のユリウスは深く息を吐き、剣を抜いた。
「騎士サマに命令されるのは癪だが、しょうがねぇな」
ズン、と。
重たい足音が向こうの部屋から響く。
「ギャオオオオォォォォ!」
それは部屋を繋ぐ出入り口の周辺を破壊して、雄叫びとともにこちらに向かって来た。
「竜か! これは厄介だな」
ユリウスが目を見開く。魔獣は既存の動物を形どるが、伝説級の竜が出るとはさすがに予想していなかった。
天井が高い部屋ではないので、飛ばれることはないが、強力で面倒な魔獣には違いない。
「カタリナ、レイヴン、行け!」
二人は頷いて「初代聖女の遺体」の元に駆け寄る。
しかし、どの魔獣にも共通することだが、魔獣は聖女一族を優先して狙う。
竜は迷わずカタリナに向かって突進していく。レイヴンが彼女の腕を引いたことで、竜は壁に激突した。
その直後に長い尾が薙ぎ払われる。
「させるか!」
そこにユリウスが割って入り、尾の先端を斬り落とす。切断された尾は靄となって消えた。
「聖具が……!」
レイヴンの急な制止によって、カタリナが握っていた聖具が床に転がっている。ちょうど竜の向こう側だ。
なおもカタリナを狙う竜をユリウスが牽制することで隙を作る。
竜の前脚での攻撃や噛みつきを剣でいなすユリウスはさすがの一言だ。
余波に巻き込まれないようにカタリナは聖具のもとに急ぐ。やっと届きそうというところで、竜が急に力強く羽ばたいた。
「きゃあ! ――ごほっ、ごほっ」
風圧に飛ばされたカタリナが瘴気でむせる。レイヴンは倒れそうになるカタリナを支えながらも、口と鼻を塞いでいた。
ユリウスは即座に竜に斬りかかりながら、カタリナに叫ぶ。
「お前の血を剣に塗れば楽になる!」
魔獣に対して、聖女一族の血液は毒になることは分かっている。
「駄目だ!」
だが、レイヴンが拒否した。
「カタリナの血を無駄遣いするわけにはいかねぇ! 『初代聖女の遺体』の浄化をしないといけねぇからな!」
今もなお瘴気を発し続ける遺体を浄化しなければ、目の前にいる竜を倒したところで、別の魔獣が現れるだけだ。
それが分かるだけにユリウスも反論できない。少しでもカタリナの血を温存する必要がある。
「くそ……だったら急いでくれ!」
ユリウスが猛攻をしかける。常にカタリナと竜の間に入るように位置を取り、彼女への注意を逸らそうと試みる。
カタリナは妹の夫がいかに頼りになるかを実感した。
並の騎士では既に竜にやられているだろう。だが、彼とて無尽蔵の体力があるわけではない。
その一方で、遺体から溢れ続ける瘴気のせいで竜の動きは衰えを見せない。
早く浄化しなければ、ユリウスの体力が尽きるのが先だ。
レイヴンの援護で、落ちていた聖具を拾いあげる。そのまま遺体のある部屋に向かう。
背後からはユリウスと魔獣の激しい戦闘音が響いてくる。ユリウスの苦しげな声も混じっている。
時間がない。
ユリウスに何かあれば、リアナに会わせる顔がない。
出入り口だったところに差し掛かった時だった。
「くそ、避けろ!」
ユリウスの怒声だ。背後を振り向いたカタリナが見たのは、大きく息を吸い込んだ竜の姿だった。
直後、大量の瘴気を含んだ息吹が放たれた。
息吹はユリウスを飲みこみ、さらにカタリナまで迫ってくる。
「ちっ」
レイヴンが舌打ちをしたかと思うと、カタリナを遺体のある部屋に突き飛ばした。
「レイヴン!」
「いいからさっさとお前の仕事をしろ!」
レイヴンが襲い来る瘴気の前に立ちはだかった。それでもないカタリナまで瘴気が漏れてくるが、彼がいなければ直撃していた。
だが、それが意味するのはユリウスとレイヴンがもろに高濃度の瘴気を浴びたということだ。
「ぐぅぅ……」
「うぅ、クッソ……」
瘴気が薄まり、剣を杖代わりにして立つユリウスと片膝を床につけたレイヴンが見えた。二人とも皮膚に黒い斑点が浮かんでいる。
もう一度、今の攻撃をされたら終わりだ。
「早く……早く、浄化しないと!」
ズン、と響く足音がカタリナに迫る。黒斑病に侵されたユリウスはそれでもなお剣を振るって竜に相対している。
カタリナは震える体に鞭を打って、「初代聖女の遺体」のもとに来た。
自分の聖具をそっと遺体の胸に置く。
生半可な血の量ではこの遺体を浄化することは適わないだろう。
ふと背後を見る。
憎いはずのカタリナを守るためにユリウスは満身創痍の中、竜の相手をしている。
悪態をつきながらもなんだかんだカタリナを助けてくれたレイヴンは床に座り込んで肩で息をしている。
カタリナも命をかけなければならない。
竜が再び息を大きく吸い込むのが見えた。
あれはまずい。急いでナイフを取り出すが、うまく掴めずに落としてしまった。
息吹が放たれる、その寸前――
「お姉様!」
大切な妹の声とともに、大勢の騎士が広間に流れ込んできた。




