30 リアナ 16 姉妹
カタリナはずっと眠ったままだ。
大量の血を聖具に捧げて「初代聖女の遺体」と浄化した結果、彼女は昏睡状態に陥った。命が助かったことがせめてもの救いか。
目を覚まさないだけで、呼吸は安定しているし、口に食べ物を運べば飲み込むことくらいはする。その役目はリアナが買って出た。
イリスも公務の合間にカタリナの様子を見に来ていた。
あれから何か月も経った。
リアナの妊娠が判明するまで、彼女は何度も『封印の儀』をしたり、新しい聖具を作ったりするために血を流してきた。
妊娠の継続も心配されていた。
「お姉様……」
ベッド横の椅子に腰掛けたリアナがカタリナの頬を優しく撫でる。彼女の反対の腕には赤ん坊――フィオナが抱かれている。
危ぶまれた妊娠は問題なく経過し、ひと月ほど前に出産したのだ。宮廷医から一か月は外出は控えるよう言われたたため、カタリナが寝かされているこの部屋に来るのは随分と久しぶりだ。
「お姉様のおかげでこの子に会うことができました」
リアナはフィオナに視線を移す。
どこか目鼻立ちがユリウスに似ている。将来は整った顔立ちになりそうだ。
青銀色の髪はリアナよりもカタリナのそれに色味が近い。
今はリアナの腕の中ですやすやと眠っている。
「リアナ、そろそろ帰ろうか」
リアナの後ろに立っているリウスが声をかける。
「はい」
頷いてから、もう一度カタリナの顔を見る。今にも起きそうな穏やかな寝顔だ。
いろいろと話したいことがある。
幼い頃の思い出話がいい。
姉が自分を憎んでいた時のことも少し怖いが聞いてみたい。
姉の修道院での話や、王都まで逃げてきた話も聞かせてくれたら嬉しい。
そして、妊娠してどんどん体が変わることや出産に対する喜びと不安、子育ての大変さなんかを話したい。
姉は「帰ってきたらいっぱいお話ししましょう」と言ったのだ。
だから、絶対にカタリナの目は覚めると信じている。
こぼれた涙を拭って椅子から立ち上がる。
「また来ますね、お姉様」
その衝撃でフィオナが目を覚まして、「ふぇぇぇ」と力なく泣いた。
体をゆすってあやしていると、ふと掠れた声が聞こえた。
「……う……」
「え……お姉様?」
姉に視線を落とすと、カタリナの目がうっすらと開いている。まるでフィオナの声が呼び水となったみたいだった。
彼女の瞳が右に動き、左に動く。そして、リアナの姿を捉えた。
「リア……ナ……?」
「はい、リアナです! ユリウス様、お医者様をお願いします!」
「ああ!」
ユリウスは部屋の外で待機していたマーサに宮廷医を呼んでくるよう頼んだ。頼まれたマーサはすぐに駆けていった。
「お姉様、動けますか?」
リアナはフィオナをしっかりと抱きながら、カタリナの顔を覗き込む。
「……リアナ、良かった……」
カタリナが安堵の表情を浮かべ、体を起こそうとするが、うまく力が入らないようだ。
何か月にもわたって眠ったままだったのだ。筋力が落ちているのは当然である。
リアナはフィオナをユリウスに預けると、ユリウスがぎこちなく抱く。首が座っていないのがなんとも怖いらしい。だがしっかりと抱きかかえられたフィオナは居心地が良いのか、再び眠った。
カタリナの上体を起こすのを手伝ったリアナは、続けて水の入ったコップを差し出した。
「飲めますか?」
「ええ……」
だがコップを持つカタリナの手は震えている。彼女の腕は以前と比べてだいぶ細くなっていた。
リアナがそっと支えて、カタリナが喉を潤した。
「ありがとうね、リアナ」
声の掠れが良くなった。
まもなくやってきた宮廷医は、衰弱はあるものの大きな問題はないと診断した。
「お姉様……目が覚めて、良かったです」
「いったい、何が……?」
カタリナの記憶は混乱しているようだ。
リアナが説明する。
ゲイルが呪具として発動した「初代聖女の遺体」をカタリナがまさに命をかけて浄化して、王都を危機から救ったこと。
その後、何か月も目を覚まさなかったこと。
「わたくしが……救った?」
「そうです! お姉様が私たちと王都……それにこの子を救ってくれたのです」
リアナが夫からフィオナを返してもらって、カタリナに見せる。
「その子はまさか……」
「私とユリウス様の大切なフィオナ……お姉様の姪です」
「わたくしはそんなに長く眠っていたのね……撫でてもいいかしら?」
リアナはもちろん、とカタリナにフィオナを近づける。
姉は恐る恐る赤ん坊に振るえる手を伸ばし、その頭を優しく撫でた。フィオナは気持ちよさそうだ。
「目元と口元がリアナに似ているわ」
「そうでしょうか。ユリウス様に似ていると思うのですけれど……ね、ユリウス様?」
「え? 俺に訊かれても……」
急に話を振られたユリウスはどう答えたら正解なのか分からないようだ。
そんな夫婦のやり取りにカタリナの口元が綻ぶ。
「相変わらず仲睦まじい様子で安心したわ……リアナ、ユリウス様、本当にごめんなさい。わたくしの愚かな行いのせいで、あなたたちには多大な迷惑を――」
「お姉様がとても反省していることは私もユリウス様も存じています」
カタリナが改めて過去の過ちの謝罪をしようとしたが、リアナが遮った。
「さっきも言いましたけれど、お姉様は命をかけて私たちを守ってくれたのです。フィオナの将来まで守ってくれたお姉様に、どんな文句がありましょうか」
「そうだ。俺たちはお前に感謝しているんだ。ものすごくな」
あれだけカタリナを憎んでいたユリウスからまさかの「感謝」という言葉が出てきて、カタリナはきょとんとした。
「どういうこと、ですか?」
「カタリナ――義姉さんが『初代聖女の遺体』を浄化したことで、王都の地面から滲み出る瘴気がなくなったんだ」
「だから、フィオナが『封印の儀』をする必要がなくなりました」
リアナの声が小さく震える。子どもができたことは嬉しかったが、自分と同じ運命を背負わせるのは心苦しかったのだ。
「お姉様のおかげで、この子が血を流す必要がなくなったのです。本当に、感謝しています」
大粒の涙がぽろぽろとこぼれる。
「それに、お姉様も目覚めてくださいました。本当に……本当に良かったです。直接お礼を言うことができて良かったです。ありがとうございました」
「命をかけて良かったわ……」
カタリナの目にも涙が滲む。
そこに場違いな声が割り込んでくる。
「あん? いつの間にか起きてんじゃねぇか」
窓から顔を出すのは褐色肌の男、レイヴンだ。鋭い視線は前と同じで、口も相変わらず悪い。
カタリナは最後の戦いのことを思い出した妖にレイヴンに言う。
「レイヴン、わたくしを守ってくれてありがとう。おかげで、リアナと仲直りできたわ。あなたは『大義のため』と言うのでしょうけれど」
「はっ、よく分かってんじゃねぇか」
リアナがそっとカタリナに耳打ちする。
「あんな口調ですけれど、毎日お姉様の様子を見に来ていたみたいですよ」
「おい聖女サマ、余計なこと言うんじゃねぇ。カタリナが死んじまったら夢見が悪いから来てただけだ」
そうは言いつつも、どこか安堵した雰囲気がある。
なんだかんだでカタリナと旅をしたわけで、多少の情が移ったのかもしれない。
だが、リアナに凄んだことで反応するものがいた。
「レイヴン、リアナを怖がらせたらただでは済まさんぞ」
彼女の愛する夫だ。フィオナが生まれても、変わらずの溺愛っぷりである。
その様子にカタリナは思わずといった様子で苦笑した。
ユリウスも本気ではなかったのだろう、ふっと口角を上げた。
リアナとレイヴンにも小さな笑いが伝播する。
和やかな空気が漂う中、カタリナがリアナに言う。
「ねえリアナ。いっぱいお話ししましょうね」
「はい。私もたくさん話したいことがあります」
どちらからともなく、窓の外を眺める。
瘴気など微塵も感じさせない青空が広がっていた。
これにて本作品は完結です。
皆様のおかげで無事完走することができました。
ありがとうございました!




