23 リアナ 11 新たな聖具
リアナがレイヴンとともに訪れた鍛冶工房は無人だった。
瘴気が王都を覆ってすぐに逃げ出したのかもしれない。勝手に工房を使わせてもらうのは躊躇われるリアナだったが、レイヴンはお構いなしだ。
「工房の方に許可を……」
「んなことしてる場合かよ。さすが聖女サマだな。品行方正なのは構わねぇが、時と場所は選べよ」
彼の言葉も一理ある。
緊急事態なのだから、使えるものは使うべきだ。
「そうですね。ここにある道具で聖具を完成させられますか?」
リアナの問いに、レイヴンはざっと工房内を見回す。並んでいる工具を手に取って確認した彼は首を縦に振った。
「ま、問題ねぇだろ。聖具を寄越しな」
怪しく口角を上げるレイヴンに、聖具を握るリアナの手がほんの僅かだけ止まった。
この男が本当に信用できるか分からない。ひょっとしたらゲイルの手下で、未完成の聖具を渡したら壊される可能性も否定できない。
だが、リアナは首を横に振ってその考えを否定した。
彼は怪しいが、それでも姉カタリナの恩人だ。現在起こっている瘴気事件の首謀者の手下だとしたら、わざわざこんな回りくどいことはしないはず。
短く息を吐いてから、レイヴンに未完成の聖具を渡した。
「よろしくお願いします」
言動が粗野なレイヴンだが、意外にも丁寧に聖具を受け取る。
「任せろ。ほう、こいつは立派だ。作ったのはベルクラン工房のオヤジだな」
聖具の溝を確認していたレイヴンが呟く。
「分かるのですか?」
「当然だ。新しく作ったんだろ? 何を素材にしたんだ?」
レイヴンが加工に必要な工具を集めながら、尋ねてくる。特段隠すようなことでもないので、素直に教えた。
「私の血です。指を一本か二本提供しようとしたのですけれど、ユリウス様にも工房長様にも止められて」
その答えにレイヴンが目を丸くした。そんなつもりはなかったのだが、彼を驚かせたようだ。
「指? お前、そうとうぶっ飛んでんな。そりゃ止められるだろうよ。あの騎士サマの溺愛ぶりは噂にもなってるくらいだからな。まあそれはどうでもいいんだが、指じゃなくて血を使ったのは正解だぜ」
「正解?」
「ああ。聖女の力の源はその血にあるからな。さて、お喋りはここまでだ。集中するから、もう話しかけるな」
レイヴンは加工台に未完成の聖具を設置し、溝を彫るための工具を手に取った。
慎重に溝を彫っていく姿は、職人のそれだ。手元が狂ってもいけないので、リアナは少しその場から離れる。
工房から出ないようにして、王都を眺める。
赤紫の瘴気は少しだけ薄くなっている気がする。
(お姉様が呪具を壊して回っているのね)
本当に以前のカタリナとは別人だ。
彼女に「死ね」と言われたことは忘れていない。決別して、見限ることもできただろうが、結局はこうして助けてくれるのだから、姉のことを信じて良かったと思う。
遠くの方で白い光が広がった。カタリナがまた一つ呪具を破壊したのだろう。
それでも王都を覆う瘴気は漂っているし、魔獣の咆哮も響いてくる。
「グルルルルル……」
不意に近くから魔獣の唸り声が聞こえた。はっとして声の方を見ると、大きな猫のような魔獣がリアナを標的に定めていた。
リアナは背後を確認したが、まだ聖具は完成していない。
ベルクランを襲った鷲型魔獣の時のように、リアナの血を武器に塗って戦おうにも、その武器がない。
武器があったところで、リアナには振るうことができないが。
魔獣が地を蹴って、リアナに迫ってくる。しなやかな体躯から繰り出される動きはかなり速い。
あっという間に距離が縮まり、魔獣の爪がリアナを裂こうとした瞬間だった。
「躾のなっていない猫ちゃんですね」
横合いから現れたマーサが魔獣を蹴り飛ばした。
「マーサさん!」
「ご主人様の命令で、こっそり奥様をお守りしてました」
「なぜ、こっそり?」
リアナが激しく鼓動する胸を押さえながら、ユリウスのメイドに問う。マーサは親指を立てて、にっこりと笑った。
「その方が格好いいでしょう?」
その感覚はリアナには分からないが、助かったのは本当だ。
体勢を整えた魔獣が再びリアナに向かって駆けだしたが、気づけば魔獣の眉間に短剣が刺さっている。
「マーサさん! その程度では魔獣は――」
「知ってますよ」
いつの間にか、マーサは魔獣の首を短剣で斬り落としていた。リアナには彼女が何をしたのか見えなかった。
ただ、魔獣が黒い靄となって消えたのだけは分かる。
マーサが持っていたはずの短剣が消えているのは謎だが。メイド服のスカートの内側に隠しているのだろうか。
何にせよ、万能メイドのおかげで命が繋がった。
「ありがとう、マーサさん」
「いえいえ、これもメイドの嗜みですから」
何事もなかったかのようにメイド服を整えるマーサ。
そこに、レイヴンが声をかける。
「そんなモンがあってたまるか。まあいい。できたぜ、聖女サマ」
彼は円盤状の聖具をリアナに渡した。受け取ったリアナが聖具を確認すると、さっきまで平らだったところに溝が彫られている。
「は、早いですね」
「ベルクラン工房のオヤジがほとんど終わらせていたからな。とっととゲイルの企みをぶっ潰すぞ」
リアナは力強く頷く。
『祭壇の間』まで行く時間も惜しい。カタリナの負担を減らすためにも、この場で聖具に血を注ぐことにする。
聖具を作業台に置いたリアナは、一切の迷いもなくナイフで自らの掌を切った。
「はっ、カタリナよりも躊躇がねぇな」
レイヴンの感想が聞こえたが、気にしない。
一滴の血も無駄にしないように、流れ出る血を聖具に捧げる。
リアナの血を素材に使った聖具なので、当然彼女の血との親和性は高い。前の聖具は少しずつリアナの血に馴染ませる必要があったが、これはその必要がない。
同じ血液量でも浄化の力が強いのが分かる。
これなら、限界まで血を捧げる必要はない。
工房からあふれ出た浄化の光は王都を包み込み、瘴気を消し去った。
「はぁ、はぁ……」
「奥様、大丈夫ですか?」
肩で息をするリアナを、マーサが心配する。リアナは「大丈夫」と微笑んで見せた。
魔獣の咆哮はもう聞こえない。
だが、発動したまま放置されている呪具がある以上、瘴気が再び溜まるのも時間の問題だ。
「さっきの浄化である程度、呪具も力が弱まっているだろうよ。騎士どもがゲイルの手下を捕らえて、呪具の場所を吐かせりゃそれで呪具に関しちゃ解決だ」
呪具に詳しいレイヴンが言うなら、そうなのだろう。
レイヴンは言葉を紡ぐ。
「だが、終わりじゃねぇ」
ほっと安堵しかけたリアナだったが、怪訝な表情に変わる。
「どういうことですか?」
「根本的な解決にはなってねぇってことだ。聖女一族のくせに何も知らねぇのか?」
レイヴンの試すような冷たい視線に、背筋がぞくっとした。
「えと……」
「はぁ……ゲイルのクソ野郎が使った呪具なんか、正直どうでもいい。問題は最大の呪具だ。そいつをどうにかしないことには、瘴気は溜まり続ける一方だ」
理由は不明だが、瘴気は王都の地面から少しずつ、だが確実に滲み出てきている。レイヴンが言っていることは正しいのだが、どこか引っかかる。
「最大の呪具とは何なのですか?」
リアナの問いに、レイヴンは表情を歪め、憎しみすらこもった声で答える。
「初代聖女の遺体だよ」




