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『聖女の影』はやり直す ~破滅の運命を越えて、最愛の騎士と共に生きます~  作者: 彼岸茸
第二章

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17 カタリナ 10 元聖女

 うっすらと赤紫に染まった空気が町を満たしている。

 このまま放置すれば、黒斑病が広がってしまうだろう。

 幼い子どもや老人など体力の低い者は既に発症の兆しが出ているかもしれない。


「先を急ぎたいんだが」


 レイヴンが冷たい視線を向ける。彼の言う大義がどれほどのものか教えてもらっていないが、よほど重要なことのようだ。

 だが、カタリナは首を横に振った。


「見捨てることはできないわ。せめて瘴気を祓わないと」


 彼女の聖具がない以上、一気に浄化することはできない。


「今さら聖女の真似事か?」


 レイヴンはただ訊いただけかもしれないが、カタリナには自分を責めているように聞こえた。

 罪悪感を飲みこんで彼女は答える。


「真似事でも偽善でもなんでもいいわ。わたくしはもう聖女一族の使命から逃げたくないの」


 覚悟は既に決めた。

 問題はどうやって浄化をするかだ。


 黒斑病を発症した者に対しては、かつてリアナがユリウスに行ったように、カタリナの血を飲ませればよい。薄めても十分効果があるだろう。

 王都のようにじわじわと大地から瘴気が滲み出るのであれば、直接地面に血を吸わせてもいいかもしれない。効率は極めて悪いだろうが。


 今回は呪具による突発的な瘴気だ。放っておいてもそのうち自然と消えていくのは確かだ。

 だから方法としては、黒斑病を発症した人の治療を根気強くしていくのが一番確実である。倒壊した小屋の庭にあった薬草は蛇型魔獣のせいでめちゃくちゃになった。仮に残っていたとしても、カタリナには使い方が分からない。


 自分の無知に嫌気が差しながらも、続いて空中の瘴気を浄化する方法を考える。


「わたくしの血を水で薄めて、散布するのはどうかしら?」

「俺に訊かれても知らねぇよ。少なくとも正気じゃねぇことだけは分かるがな」


 カタリナの問いに、レイヴンはぶっきらぼうに答える。「急ぐ」と言った割には、カタリナに付き合う気があるようだ。

 どこか試すような雰囲気もある。


「とにかく、発症者がいないか町を回りましょう」

「……仕方ねぇな」


 外に出ている人はいない。突如現れた魔獣を見て、家の中に避難したようだ。

 家々を回り、問題がないか確認していく。


 人相の悪いレイヴンは前には出ず、少々頬がこけてはいるものの十分に美しさを保っているカタリナが黒斑病を発症した人がいないか聞いて回る。

 大半の町民は問題なかった。


 だが、やはり幼い子どもに初期症状が出ていた。皮膚の一部にほくろのような黒い点が浮き出ている。

 これが進行すれば、斑状になっていく。


「わたくしの血で癒やすことができますわ」


 カタリナはそう説明したが、当然親は胡散臭がる。どこの誰とも知らない人の血など飲ませられない。

 レイヴンが「そりゃそうだろ」と意地悪く笑った。


 空中の瘴気と違い、黒斑病が進行すれば自然治癒が難しい。そして、浄化以外に治療方法がない。

 なんとか説得したカタリナは妹の名前を使うことにした。


「数か月前までこの町に流れの薬師がいたと聞きましたわ。彼女はわたくしの妹です」


 そう伝えると、子どもの親はじっとカタリナの顔を見つめて、「ああ」と呟いた。


「なんとなく面影があるね。あの薬師さんにはとても世話になった。薬師さんは今、何を?」


 少しだけ警戒が解けたようだ。カタリナは質問に正直に答える。


「妹――リアナは今、王都で聖女をしています。この町で皆さんのお役に立ったように、王都を守っていますわ」

「はぁ、そんな立派な人だったんだね。それで、あんたは?」


 リアナに対する尊敬の念を感じ、カタリナもどこかほっとした。昔だったら激しく嫉妬していただろう。

 反面、自分自身が恥ずかしく思う。


「わたくしは……元聖女です。リアナほど浄化の力はありませんけれど、それでも癒やすことはできますわ」


 自分で口に出して、「リアナよりも劣っている」ということをすんなりと受け入れることができた。

 黒斑病の子どもを癒やしたいという気持ちも本物だ。


「分かった。薬師さんの身内だってんなら、あんたを信じるよ」

「ありがとうございます」


 思わず礼の言葉が口を突いて出て、子どもの親が苦笑する。


「なんで、あんたが礼を言うんだ? 感謝するのはこっちだよ」

「これは贖罪でもありますので……」


 呟いた言葉は相手に聞こえなかったようだ。

 カタリナはレイヴンに振り返る。


「レイヴン、ナイフを貸してちょうだい」

「……本気か?」


 試すようなレイヴンの目。


「ええ。放っておけば、この子は亡くなるわ。今、治さないと」

「……」


 彼は黙って肉厚のナイフを差し出した。重みのあるナイフで切れば、思いのほか深く切ってしまうかもしれない。

 だが、それで子どもが助かるのなら安いものだと、今なら思える。


 カタリナは深呼吸を一つしてから、ずっしりとするナイフを手にあてがう。

 ナイフをスッと引こうとして――


「ったく。覚悟は本物のようだな」


 レイヴンがカタリナの手を止めて、ナイフを奪い取った。

 いきなり邪魔をされたカタリナはレイヴンに食ってかかる。


「レイヴン、何をするの? 治療ができないじゃない!」

「落ち着けって。こんなガキのために動脈を切ったらどうするんだ。血がもったいねぇ」

「でもわたくしの血でなければ黒斑病は……」


 治療すらさせてもらえないのか、と肩を落とすカタリナに、レイヴンは荷物から四角い板を取り出して彼女に渡した。


「ほらよ」

「これは……なんで、あなたが持っているの?」


 王宮の宝物殿に保管されているはずの、カタリナの聖具だ。


「必要になるから盗んでおいただけだ」

「宝物殿から盗んだ……? ……いえ、今はそれよりも子どもの治療をしましょう」


 レイヴンがしでかしたことは後で追及すればいい。優先事項を誤ってはいけない。

 それに聖具があるなら、黒斑病だけでなく空気に漂う瘴気も全て浄化することができる。


「俺が切ってやる。優しくな。ほら、聖具の準備をしろ」


 他人に切られるなど恐ろしいが、確かに彼の言う通り、扱い慣れていない肉厚の重たいナイフだと切りすぎる可能性がある。

 ナイフを貸してくれそうにないので、レイヴンに任せるしかない。


 何にせよ、既に覚悟を決めているので、あとは実行するだけだ。


 聖具を床に置き、レイヴンに左手を差し出す。

 目をぎゅっとつぶっていると、左掌にチカッとした痛みが走る。恐々と目を開けると、ほんの少しだけ傷があり、血が玉になっていた。


「ほら、聖具に吸わせろ」

「え、ええ」


 聖具に血を捧げると、淡い浄化の光が聖具から放たれた。

 浄化の光は子どもを包み、残りの光が町に広がっていく。


 外に出てみると、正常な空気に変わっていた。

 その変化に、自分がやったことだというのに驚く。


「ありがとうございました、聖女様」


 子どもの親が背後からカタリナにあらためて礼を言った。


「いえ、わたくしは聖女では――」


 慌てて否定しようとしたが、レイヴンが遮った。


「やったことは聖女そのものだから、感謝の言葉くらい受け取っておけ」


 ぶっきらぼうで冷たい口調ではない。表情もどこか柔らかい。

 いつもとの違いに、ドキッとしてしまった。


 親は子どもの容態を見るために、家の中に戻っていった。

 見なくとも分かる。きっと子どもは大丈夫だ。


 気が付くと、カタリナは頬を濡らしていた。

 こんな愚かで卑劣だった自分でも、聖女一族としての役割を果たすことができた。

 感謝されたくてしたのではないが、助かった人からの礼の言葉が心に染み渡った。


「わたくしは……変われたのかしら」


 ぽろっとこぼした言葉にレイヴンが反応する。


「さあな。だが、今のカタリナなら信用できる」


 初めて名前を呼ばれた。

 レイヴンがカタリナの頭を優しく撫でる。なぜだか、それを振り払おうとは思わなかった。


 カタリナの涙が止まったところで、人気のないところに移動する。

 そして、褐色肌の男は元聖女の瞳をまっすぐ見つめて問う。


「重要な話をしよう。お前らがありがたがってる聖具と、忌み嫌ってる呪具の作り方を知っているか?」

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