16 カタリナ 9 魔獣と騎士
蛇型魔獣の口から先の割れた舌がチロチロと出入りする。
カタリナはごくりと生唾を飲みこんだ。
「レイヴン、ナイフをわたくしに」
あれから逃げきることは不可能だ。対魔獣戦に特化した騎士――ユリウスのような騎士――がいれば話は変わるが、レイヴンにそこまでの腕は期待できない。
ならば、カタリナがその身を削って魔獣に自分の血を使うしかない。
「ちっ……もったいねぇが、仕方ねぇ。お前に死なれちゃ困るからな」
レイヴンがナイフをカタリナに渡そうとした時だった。
数人の足音が金属の擦れる音とともに近づいてきた。
「なぜこんなところに魔獣がいるんだ? いや、まずは討たないと。矢を放て!」
号令の直後、複数の矢が蛇型魔獣に直撃し、魔獣の意識がカタリナから騎士に移った。
声のした方を見ると、カタリナにとって見慣れた姿があった。
エルグランド王国の騎士だ。数名だけの小隊で、リーダーは女性のようだ。
騎士が来たなら、魔獣一体程度、すぐに片付けてくれるだろう。
ふとその女性騎士と目が合った。彼女の目は見開かれている。
レイヴンがそっと耳打ちしてきた。
「信用できるのか? こんな田舎に何の用だ?」
「彼女たちは王国の騎士よ。信用できるに決まってるじゃない」
王国の民を守るのが騎士の役目であり、聖女だった頃のカタリナは常に騎士に護衛されていた。
だから、これで安心だと女性騎士のもとに行こうとしたのだが、彼女の驚いた瞳はすぐに剣呑なものに変わった。
「カタリナ=アルクエル! この魔獣は貴様の仕業だな!」
怒りの混じった声音に、カタリナはたじろぐ。
「え……? 違う、わたくしでは……」
自分ではないと言いかけてやめる。蛇型魔獣はレイヴンが使った呪具の瘴気から発生したものだが、大元を辿るとカタリナのためだ。
カタリナのせいだと言われても、受け入れるしかない。
女性騎士は部下に号令を飛ばしながら、自らも魔獣討伐に加わる。さらに、カタリナに怒号を飛ばす。
「否定しないのだな。ここで会えるとは私も運がいい。カタリナ=アルクエル、決して逃げるな! ちっ、魔獣を挟みこめ!」
蛇型魔獣がいなければ、すぐにでもカタリナを捕らえに来そうな勢いだ。
かつては自分を守っていた騎士から向けられる敵意はカタリナの胸を締め付ける。
「おい、逃げるぞ」
レイヴンは女性騎士の言葉を無視して、カタリナの腕を引っ張っていく。
「待て! くそ、早く魔獣を倒さなければ……!」
騎士たちが魔獣に苦戦している間に、レイヴンとカタリナはその場を後にする。
去り際にレイヴンが挑発するように叫んだ。
「誰が待つかよ! 王都に急ぐぞ!」
そして、森の中に入ったところで木の陰に身を隠した。
「逃げるんじゃないの? 行き先まで言ったけれど、本当に王都に向かうの?」
問いかけるカタリナに、レイヴンは口の前で人差し指を立てて黙るように指示する。
倒壊した小屋の付近から、騎士と蛇型魔獣が戦闘をする音が響いてくる。木の陰から覗きたい衝動に駆られるが、レイヴンが制止した。
彼が何をしたいのか分からないまま、両手で口を覆って息を潜める。
やがてズシンと地面が振動し、戦闘が終わったようだ。
だが騎士たちは緊張を解くことはなかった。
「カタリナ=アルクエルは何を企んでいる?」
女性騎士の声が聞こえてくる。
「レオナ小隊長、元聖女様の後を追いましょう」
小隊長の女性騎士の名前はレオナというらしい。
「あのような者に『様』など不要だ。修道院に行ったのはやはり反省したフリだったようだな。修道院を逃げ出し、再び魔獣騒ぎを起こすとは」
「急ぎましょう、小隊長」
「ああ。カタリナを探してここまで来たが、王都にとんぼ返りだな。急げ!」
その言葉を最後に、レオナ率いる騎士の小隊は姿を消した。
「はっ、脳筋で助かるぜ」
騎士がいなくなったのを確認したレイヴンが呟く。
カタリナも口から手を離し、深呼吸をする。激しく鳴っていた心臓が少しずつ落ち着いていく。
「あの騎士たちはわたくしを探していたみたいね……」
「お前が修道院からいなくなったことが王都にも伝わったんだろうよ。実際にはゲイルのクソ野郎に誘拐されたわけだが……お前、元聖女だってのにまったく信用されてねぇんだな」
面白がるふうに言うレイヴンだが、カタリナは笑うことなどできない。
彼女のせいで一度、王都が危機に陥ったことは変えられない過去だ。騎士から敵意を向けられるのも当然だと再認識した。
「それだけのことをしてきたし……重要なことは何一つしてこなかったから」
「俺にとっちゃどうでもいいがな。信用できねぇのは王家も同じか、お前以上だからな」
レイヴンがそう吐き捨てる。
「……どういう意味?」
「おいおい教えてやる。まずはこの町を出ねぇとな。小屋も壊しちまったし、住民に詰められたら面倒だ」
そうだった。
せっかく住民の好意で貸してくれた小屋を駄目にしてしまった。それも、リアナの思い出の場所を。
いつかなんらかの形で弁償しなければならない。
壊すだけ壊して、その事実から逃げるように別の場所に行く。
王都から修道院に行った時と何も変わっていないのではないか。そんな自分に反吐が出る。
「……これからどうするの?」
「あ? さっきも言ったろ? 王都に行くんだよ」
カタリナは息を呑んだ。
今の自分が王都に戻って、無事で済むだろうか。レオナの様子から、カタリナはお尋ね者になっている様子だった。
奇しくも、彼女のせいで一時はお尋ね者になっていたリアナと同じ状況だ。
かつて自分がリアナに対して行ってきた非道がすべて自分に返ってきているようだ。
甘んじて受け入れるしかない。
「王都で何を……?」
「大したことじゃねぇ。過ちの尻拭いに行くだけだ」
肝心の内容はまだ教えてくれないらしい。
カタリナを利用しようとしているだけで、レイヴンもまだ彼女を信用しているわけではないのだろう。
カタリナは倒壊した小屋に目を向ける。
心の中で、町の住民とリアナに謝った。
続いて町に視線を移し、ハッとする。
「瘴気が……!」
小屋が破壊されたときに、溢れ出た瘴気がいまだに町に漂っていた。新たに魔獣が発生するほどではなさそうだ。
「行くぞ」
先を急ごうとするレイヴンを、カタリナは引き留めた。
「待って、レイヴン。放っておいたら、黒斑病が広がるわ」
カタリナは自分自身、保身という本質は変わっていないと思っている。
それでもかつての過ちを省みて、変わりたいという気持ちも本物だと信じたい。
黒斑病が流行するかもしれないこの田舎町を放っておいたら、一生変わることができないような気がした。




