13 カタリナ 6 川辺のひととき
乗馬などしたことがないカタリナは必死にレイヴンにしがみついた。
追っ手から逃げるためだと分かってはいるが、カタリナのことをまったく考慮しない褐色肌の男に腹が立つ。
時折背後をちらりと覗き見て、誰もついてきていないことを確かめる。
そうやって安堵の息を漏らしたのも一度や二度ではない。
「これだけ離れれば大丈夫だろう」
もうすぐ夕暮れだが、森の中は既に薄暗くなっている。川に差し掛かったところで、レイヴンは馬を駆るのをやめた。
「本当に大丈夫なの?」
「夜の森は視界が悪い。無理に進む方が危険だ」
馬から降りたレイヴンが馬の首筋をポンポンと叩き、優しく撫でる。
カタリナは馬上に残されてしまった。乗馬の経験がないのに、降り方なんて知るはずがない。
「どうやって降りたらいいの?」
「ちっ」
レイヴンは舌打ちをしてから、恭しく右手を差し出した。
「お嬢様、どうぞお手を」
演技じみた物言いにムッとしてしまうが、ここに放っておかれても困るので素直に彼の手を取った。
グイッと引っ張られ、体勢を崩す。
「きゃっ」
だが、一応レイヴンが受け止めてくれた。
「手間のかかるお嬢様だな」
「あ、ありがとう」
つまらなそうにカタリナを一瞥すると、レイヴンは水が飲める位置に馬を繋ぎ、野営の準備を始めた。
森の中から枯れ枝を拾ってきたり、河原の石を並べて簡易の竈を作ったりする。
何も手伝うことができないカタリナは見ているだけだ。
最初のうちは追っ手が来るかもしれないと思い、気が抜けなかった。だが、時間が経ってもゲイルの手下は来ない。
せっせと手と足を動かすレイヴンの言う通り、逃げおおせたのだろう。
だがそれは、彼がベルクランで呪具を使ったからだ。
魔獣まで発生していた。時間経過で瘴気が薄れれば、魔獣も徐々に弱体化していくだろうが、それまでの被害は計り知れない。
リアナたちが解決したことなど知る由もないカタリナは、ただ胸が痛んだ。
自分以外がどうなろうと知ったことではなかったが、以前の自分とは違う……と思いたい。
ただ、ベルクランの心配より先に自分の安堵が来たのを考えると、変わったつもりなだけかもしれない。
「はぁ……」
妹ならどうしただろうか。
王都を救うために命すら投げ打とうとした、過剰ともいえるほど献身的な妹なら。
とにかく、ベルクランの住民の無事を祈るしかない。
それはそれとして、レイヴンへの怒りもある。近くで作業をしている彼に声をかける。
「レイヴン」
「なんだ?」
「あなた、正気なの?」
町中で呪具を使ったことだ。彼は呪具の扱いに長けていそうだった。あんなことをすれば、何が起こるか分からないわけがない。
「俺よりお前を使い潰そうとするゲイルの方が狂ってるぜ」
彼は返事をしながら、川の一角に石を並べて袋小路を作っている。何をしているのかと見ていると、ざぶざぶと川に入って魚を追い立て始めた。
数匹の魚が袋小路に迷い込んだところで退路を塞ぐ。
レイヴンが勢いよく魚を掬い、河原に打ち上げた。
なんとも野性味の強い男だ。カタリナには到底できることではないし、妹の夫ユリウスでさえできないだろう。ユリウスなら普通に剣で泳いでいる魚を突き刺しそうだが。
「晩飯が手に入ったな」
ビチビチと跳ねる魚を放っておいて、彼は竈にやってきた。火打石を使って落ち葉を火種にして、枯れ枝に火をつける。
「……手際がいいわね」
「何回もやってりゃ慣れる」
レイヴンは比較的まっすぐな枝を選び、腰から短剣を取り出す。
ベルクランでの瘴気を再び思い出し、ぎょっとするカタリナだったが、
「安心しろ。呪具じゃねぇよ」
彼が持っているのは肉厚のナイフだった。禍々しい雰囲気は欠片もない。
それを使って枝を尖らせる。
「こんなもんでいいだろ」
続いて、彼は河原の上ですっかり静かになった魚を拾ってきて、尖らせた枝を尾ひれから頭にかけて刺した。
それを数本作り、竈の火から少し離れた場所に突き立てた。
「で、何だったか?」
一仕事終えたレイヴンがじろりとカタリナに視線を向ける。
「……町中で呪具を使ったことよ。怪我人が出たかもしれないのに……いえ、きっと亡くなった人だって……」
「はっ。お前がそれを言うのか? 王都の下町でお前がやったことは、俺も知ってるぜ」
それを指摘されると返す言葉もない。
だが、だからこそ二度と同じことはしたくない。
カタリナはキッとレイヴンを睨んだ。
「ま、終わったことはもういいだろ。逃げ切るのが最優先だったしな。重要なのはこれからのことだ」
彼は時折、魚の刺さった枝をくるくると回して火が均等に当たるようにしている。
「あなたは何がしたいの? 大義と言っていたけれど」
レイヴンはカタリナに意味深な視線を向けると、フッと笑った。
「いつか気が向いたら教えてやる。どうせお前は知っておかないといけないことだからな」
「今でもいいじゃない」
「悪いが、俺はお前を信用しているわけじゃねぇ」
それはお互い様だ。
しかしそうなると、信用していないのにカタリナを連れていく理由が分からない。おそらく聖女一族の血が必要なのだろうと予測はできるが、それ以上のことは不明だ。
そして、カタリナはレイヴンについていけなければ、待っているのは破滅だ。四肢と視覚の一部を失い、妹まで失うことになる。
今の彼女には、この男とともに行く以外の選択肢がないのだ。
「わたくしに何をさせようとしているの?」
「いずれ分かる……ほら、いい感じに焼けたぞ。食え」
火が通って脂がたれる魚の串焼きを一本渡される。
ベルクランを抜け出してから、食事を摂っていない。串焼きを見た途端、そのことを思い出したのか、お腹がキュウと鳴った。
少し恥ずかしくなったが、レイヴンに目を向けると、彼は既に自分の魚に貪りついていた。
カタリナも思い切って魚のお腹にかぶりつく。
枝に刺して焼いただけの、味付けも何もない魚。
王都で聖女をしていた頃はもちろん、修道院に行ってからもここまで簡素な食事はしたことがない。
だが、その身はほくほくとして柔らかくて美味しい。
目の前の男が何を考えているのか分からない。
ゲイルの魔の手から救い出してくれたことは感謝している。
町中で呪具を発動したことには反感を覚える。
カタリナのことをぞんざいに扱うかと思えば、こうして妙に気を遣ってくれることもある。
彼の目的は不明だが、ひょっとしたらゲイルの工房で幻視した「破滅の未来」に関わることかもしれない。
何にせよ、彼についていくしかない。
周囲はすっかり暗くなり、空気も冷たくなっている。
パチパチと爆ぜる焚き火の揺らめく炎の温もりを感じながら、カタリナはそんなことを考えた。




