12 リアナ 7 魔獣討伐
「お姉様! お姉様!」
土煙の中から飛び出してきたカタリナに向けて何度も声を張り上げたが、リアナに気づいた様子はない。
姉の手を引いている褐色肌の男が何者か気になる。彼が姉を誘拐した可能性もある。
「ユリウス様、追いましょう!」
「待て、様子がおかしい」
カタリナの元に向かおうとしたが、ユリウスに止められた。
ベルクランの住民の中から、カタリナたちに向かっていく者が何人もいた。皆一様に緊張した面持ちで、敵意に満ちた表情を浮かべている。
褐色肌の男は立ち止まると、周囲を一瞥した。
直後、鞘から禍々しい短剣を取り出した。
「あれは……呪具?」
嫌な予感が頭をよぎる。
「レイヴン、駄目!」
カタリナの声が響いたが、レイヴンと呼ばれた男は無視して呪具を発動させた。
赤紫の瘴気に包まれる大通り。
「お姉様、待って!」
リアナはすぐに追いかけようとしたが、濃密な瘴気で視界が悪くなり、見失った。
伸ばしていた手をだらりと下ろす。
「リアナ、しっかりしろ」
「そ、そうですね……お姉様が生きていたことが分かっただけでも良かったです」
「そうじゃない。魔獣が発生する恐れがある」
ユリウスに指摘されてハッとした。
姉のことで頭がいっぱいになり、そんな重要なことも忘れていた。現聖女として恥ずかしく思う。
レイヴンが発生させた瘴気は一時的なものだったので、放っておけば霧散するだろう。
魔獣が生まれる前に瘴気が消え去るのを期待したが、現実はそれほど甘くはなかった。
「ギャアアァァァ!」
赤紫が少し薄まってきたところで、魔獣の咆哮が空気を震わせた。
続いて、ベルクランの住民の悲鳴が響き渡る。
蜘蛛の子を散らすように住民たちは魔獣から逃げ出す。
「落ち着け!」
ユリウスが声を張り上げるが、パニックに陥った群衆は止まらない。
我先にと逃げる大人に押された子どもが転んだ。
鷲のような大型の魔獣はその子どもを標的にして、鋭い鉤爪で掴もうとする。
刹那、キィンとユリウスの剣が鉤爪を防いだ。
その隙にリアナが子どもを立たせて逃がす。魔獣の視線がリアナを捉えた。
「ギャアアァァァ!」
魔獣にとって聖女の血が危険なことを本能的に察知したのだろう。彼女を排除すべく、魔獣が襲い掛かる。
「させるか!」
ユリウスが両者の間に割って入った。
聖具が手元にないことを、リアナは歯痒く思う。今の自分には何もできることがない。
せいぜい囮になることくらいだ。
(何かできることはない?)
必死に頭を回転させる。
ユリウスは守ってくれているが、空を飛ぶ魔獣相手に苦戦している。地を駆ける獣型に対しては圧倒的な力を誇るユリウスだが、どうも勝手が違うようだ。
魔獣がリアナを執拗に狙うため、退散した住民への被害が軽微だったことは幸いかもしれない。
だが、魔獣を倒すための手が足りない。
急降下してきた魔獣の一撃を、ユリウスが剣で受け止める。
「ぐ……重いな」
魔獣はさらに翼を横に振るい、ユリウスを体ごと吹き飛ばした。
そのままリアナを尖った嘴で抉ろうとする。
「リアナ! 逃げろ!」
咄嗟に腕で顔をかばい、後ろに跳んだが、腕を裂かれた。
痛みとともに鮮血が飛び散る。
「痛っ……」
怯んだ彼女に魔獣の追撃が迫り――
「うちの奥様に何をしている?」
ものすごい勢いで飛び出してきたマーサが魔獣の頭部を蹴り飛ばした。
「奥様、大丈夫ですか?」
「助かりました、マーサ……ありがとう」
できるメイドのおかげで命が繋がった。そのメイドはいつの間にか、両手に短剣を握っている。
「ご主人様、不甲斐ないですよ」
「まったくだ。だが、お前が来てくれたら何とかなるだろう」
マーサの皮肉にユリウスは同意して、再びリアナを守る位置に立つ。
リアナの腕からはまだ血が流れているが、それを見て彼女は思い出した。
(ユリウス様が呪具に斬られた時、私の血を飲ませて瘴気を祓うことができた。だったら、私の血で魔獣を倒すこともできるかもしれない)
そもそも聖女一族の血には瘴気を祓う力がある。だからこそ、魔獣がしつこくリアナに向かってくるのだ。
「ユリウス様、マーサ。剣に私の血を塗ってください」
「奥様、何を仰っているのですか?」
「……なるほど、やってみる価値はあるな」
疑問に思うマーサと、リアナの意図を察したユリウスは対照的だった。
「すまない、リアナ。少し血を貰う」
ユリウスは謝りながら、リアナの腕から流れる血を優しく拭い、自分の剣に塗った。
マーサはよく分からないまま、主がやることを真似る。
「よし、反撃の時間だ」
ユリウスは切っ先を魔獣に向けた。
魔獣が耳をつんざくような咆哮を上げ、リアナに襲いかかる。
ユリウスとマーサがそれに応戦する。
ユリウス一人だと空からの攻撃に防戦一方だったが、マーサがいれば話は変わる。
マーサが華麗に魔獣の攻撃を受け流し、ユリウスが片方の翼を斬り落とした。落ちた翼はすぐに霧散した。
「これでもう飛べるまい」
飛べない鷲型の魔獣など、地を駆ける魔獣と変わりない。
そこからは呆気なかった。ユリウス一人でも十分なのに、マーサの力量はユリウスに匹敵するようだった。
魔獣は尾を斬られ、足を削がれ、もう片方の翼を失い、最後に首を落とされた。
魔獣の体が空気に溶ける。
「マーサ、怪我はないか?」
「ご主人様こそ。それよりも奥様の手当をしませんと」
「そうだな」
ユリウスがリアナの出血部位を押さえている間に、マーサがきれいな水を汲んでくる。
「とても息が合っていますね。少し妬けてしまいます」
魔獣が消えた安堵からか、リアナがそんなことを口にした。
「ただの腐れ縁だ。俺が愛しているのはリアナだけだからな」
「ユリウス様……」
今にも口づけをしそうな雰囲気に、マーサが横槍を入れる。
「お二人とも、そういうのは夜に取っておいてください。ちゃんと手当をしないと」
「あ、ああ……」
「はい、すみません……」
リアナの出血はもう収まっている。
マーサがリアナの傷ついた腕を水で洗い、ユリウスが常備している軟膏をそこに塗る。
包帯を巻きながら、ユリウスが口を開く。
「しかし、やはりあの女は逃げたみたいだな。彼女が騒ぎを起こしたのだろう」
彼が言っているのはカタリナのことだ。
だが、リアナは首を横に振った。
「一緒にいた男の人に無理やり連れていかれたのだと思います。きっと何か事情があるはず……」
彼女は姉のことを信じたいと思っている。修道院に行ってから、心を入れ替えたのだと。
いや、心を入れ替えたから修道院に向かったとも考えられる。
そんな姉が自ら逃げ出したとは信じたくない。
「……どちらにせよ、捕まえれば問題ないな」
「そう、ですね……早くお姉様を追いかけないと……あ」
リアナは立ち上がろうとしてふらついた。ユリウスが支えてくれたので転倒はしなかったが、少し目が回る。
「奥様、まずは安静にしてください。さっきの怪我でまた貧血が悪化したのでしょう」
マーサの言葉にリアナは頷いた。彼女は続けて、ユリウスに言った。
「ご主人様、しばらく夜の営みは禁止です」
「それは……」
「禁止です。本当に奥様を愛しているのなら、奥様の体調を考えてください」
有無を言わさぬメイドに、主は首を縦に振るしかなかった。
「マーサ、私は平気ですから」
リアナが助け船を出そうとしたのだが、
「奥様、カタリナ様を探すのでしょう? ならば体調を整えるのが先決です」
「は、はい……」
マーサにぴしゃりと言われ、こちらも頷くしかない。
馬車での移動も疲労するので、もうしばらくベルクランで過ごすことになった。
その間に、カタリナがここで何をしていたのか、あるいは何をされていたのかを探ることになった。




