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『聖女の影』はやり直す ~破滅の運命を越えて、最愛の騎士と共に生きます~  作者: 彼岸茸
第二章

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8 カタリナ 4 危険な男

 ゴクリと唾を飲み込んだ。カタリナは手枷を見上げ、決心する。


「リアナの痛みに比べれば大したこと……ないわ!」


 微かに床についていた爪先を浮かせ、全体重を手枷にかける。


「ぐぅぅぅ……ああぁぁぁぁ!」


 歯を食いしばり、さらに右手を思い切り引っ張る。

 痛い。

 皮膚が裂け、流れる血が増える。

 それが潤滑油となり、右手がスポッと手枷から抜けた。床に鮮血が飛び散る。


「ふぅ、ふぅ……もう、一回……!」


 同じ要領で左手を引き抜いた。

 両手が血塗れになる。握ったり開いたりして動きを確かめる。

 痛みでぎこちないが、骨に異常はなさそうだ。


「……早くここから逃げないと」


 ここで諦めたら、妹が命懸けで避けた「破滅」の未来が再来する。まずはゲイルから逃げ延びる必要がある。


 工房を飛び出て、迷路のような坑道を進む。どちらに向かえば出口になるかなど分からない。

 両手がジンジンと痛むのを無視して、分かれ道を適当に進む。


「どこ? 出口はどこなの?」


 坑道はどこも同じような景色だ。今いる場所もさっき通った場所かもしれない。

 ふと、男たちの会話が聞こえた。ゲイルの手下だろう。


「あの女、勿体ねぇよな。見てくれは上玉だぜ?」

「だが、王都を混乱に陥れたっつー話じゃねぇか」


 カタリナのことを話している。彼女は気づかれないように、壁にぴたりと体を寄せて息を潜めた。

 心臓が早鐘を打つ。

 手で口を押さえたとき、血の臭いが鼻をついた。


「いっそ成功させてくれたら良かったのにな」

「だな。ま、言っても仕方ねぇ。後で味見くらいできるだろう」


 男たちは下卑た笑いを浮かべ、そのまま別の方向に消えた。

 ふぅ、と息を吐くカタリナ。


 逃げ出さなかったら、体を切り刻まれたうえに辱めを受けていただろう。

 だが、逃げ切れなければ、結果は同じだ。


 両手の痛みに耐えながら、気を引き締める。

 その時だった。


「女が逃げたぞ! 探せ!」


 怒号が坑道に響き渡り、カタリナの心臓が跳ねた。

 カタリナと違い、ゲイルとその手下は坑道の地図を把握しているだろう。

 さらに、カタリナの通ってきた道には点々と血痕が落ちている。


 捕まるのは時間の問題だ。


(急がないと!)


 捕まれば、先ほど見た幻視が現実のものとなる。

 リアナとユリウスの幸せを壊したくない。それがカタリナのできる贖罪だ。


 出口を求めて坑道内を彷徨う。

 曲がり角に差し掛かった瞬間、ドンと誰かにぶつかって、尻もちをついた。


「いってぇな……って、お前、逃げた女だろう。ったく手間ぁかけさせやがって」


 ゲイルの手下だ。彼はカタリナの青銀色の髪を掴んで、持ち上げる。


「痛……やめて、引っ張らないで」

「ほう、少しやつれちゃいるが、綺麗な顔じゃねぇか。歪むところを見てみてぇな。おら、ついてこい」


 髪を引っ張られ、無理やり歩かされる。

 着いたのは先ほどの工房ではなく、別の小部屋だった。


「ぐ――」


 男が乱暴にカタリナを放ったせいで、壁で背中を強く打った。


「ここなら、あまり人も来ねぇ」


 にやりと嫌らしく笑う男が、カタリナの体を舐めるように見る。

 その視線に嫌悪感を抱いていると、男はズボンを脱ぎ始めた。


「な、何を……」

「楽しいことだよ。工房に戻すのはその後だ」


 カタリナの体が強張る。

 怖い。

 これもリアナにしてきた仕打ちに対する因果応報なのかもしれない。


 だが、「破滅」を回避するためには、なんとかしてここから逃げ出す必要がある。

 震えながらも周囲に身を守れるものがないか探すが、何もない。


 最悪、辱めを受けている間に、男に反撃して隙を突くことができれば――


「まったく、反吐が出るぜ」


 不意に第三者の声が聞こえた。男の声だ。


「誰だ!」


 ゲイルの手下が声の方を向こうとしたが、下ろしかけたズボンのせいでもたついた。


「さあな。クソ野郎は寝てろ」

「ぶっ――」


 声の主は持っていた角材でゲイルの手下の頭を強く打った。坑道の補強のための木枠の予備だろうか。

 ゲイルの手下は床に倒れ、ピクともしない。乱入者は倒れた男をとどめとばかりに蹴った。


「あ、あなたは……?」


 カタリナは乱入者――褐色肌の、鋭く乾いた目つきの男を見上げた。

 正直、助かったとは思えない。ゲイルの手下も危険だったが、それと同じくらい……あるいはそれ以上に危ない気がする。

 そうでなければ、人を角材で殴るなどできないだろう。


「俺はレイヴン。助けに来たぜ、お姫サマ」


 レイヴンが手を差し出す。

 もちろん、信用などできるはずがない。一瞬、カタリナは彼の手を取りかけたが、すぐに引っ込めた。


 カタリナの血塗れの手を見たレイヴンが呟く。


「無茶しやがるな……血がもったいねぇ」

「え……?」

「まあ、いい。ゲイルのクソから逃げるんだろ? 行くぜ」


 彼は強引にカタリナの手を取り、お姫様抱っこをした。


「何をするつもり?」

「まずはその手の治療だな」


 危険な人物ではあるが、カタリナに対して危害を加える気はなさそうだ。

 今はこの男についていくのもいいかもしれない。


 レイヴンに連れていかれたのは坑道内にある医務室だった。壁の棚には干した薬草や薬瓶が並んでいる。

 彼はカタリナを立たせた。


「手を洗え」


 カタリナの両手は血と泥にまみれている。放っておけばばい菌が入るかもしれない。

 ありがたく水を使わせてもらう。

 冷たい水は傷を刺激して痛みが走った。


 手を洗いながら、横目でレイヴンを見る。彼は部屋の外を気にしているようだ。


「もういいか? そこに座れ」


 言われた通り、椅子に座る。レイヴンは薬瓶を持ってきて、中身を乱暴にカタリナの傷にかけた。


「――!」


 かなり沁みる。鼻をつく匂いは消毒液のようだ。

 その後、軟膏を塗られ、包帯を巻かれた。


「あ、ありが――」

「礼は不要だ。俺にとって必要だからやっただけだ。さて、本題だ」


 カタリナが頭を下げようとするのを、レイヴンは手で制した。

 彼は不敵に笑うと、もう一度カタリナに向けて手を差し出す。


「助かりたければ俺の手を取れ」

「どういうことなの?」


 カタリナは巻かれた包帯を撫でながら、問う。


「俺と来るなら、おいおい教えてやる。嫌ならここで死ね」


 そう言われても、何が何やら理解が追いついていない。少なくとも、ゲイルよりはましだと思うが。

 迷うカタリナに、レイヴンはさらに告げる。


「別にお前でなくともいい。妹の方を利用するだけだからな。強ぇ騎士がいつも隣にいるのが厄介だが、何とかなるだろう」

「リアナに手を出すつもり?」

「必要ならな。お前次第だ」


 レイヴンが一歩近づき、鋭い視線でカタリナを見下ろす。


 自分が彼の手を取らなければ、自分自身もリアナも何かに利用されることになる。

 それなら、利用されるのは自分だけでいい。


 レイヴンを信用できるかはまだ分からないが、少なくとも今すぐにカタリナを傷つけるつもりがないのは確かだ。


 カタリナは迷いを振り払い、男の手を取った。何を企んでいるのか知らないが、今のカタリナには彼の助けが必要だ。


「はっ、いい子だ」


 レイヴンの口角が上がる。


「……わたくしを助けてくれるのよね?」

「もちろん。まずはこのクソみたいな場所から逃げるぞ」


 彼の言葉に、カタリナは強く頷いた。

 この選択がきっと、妹の平穏を守ることに繋がると信じて。

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