7 カタリナ 3 新たな破滅の未来
カタリナが独房に囚われてから数日が経った。
その間、硬いパンと僅かなスープだけが一日に二回だけ与えられた。誰と会話をするでもなく、ただひたすら胸元のお守りを握り締めて懺悔と後悔を繰り返すだけだ。
心はすり減り、体に力も入らない。
ただ、不安と恐怖と孤独に支配されそうになったとき、独房が開いた。
誰かが助けに来たのだろうかと考え、頭を振った。
家族を裏切り、国を騙していた自分に助けられる価値などない。
「出ろ」
ゲイルの声だった。いよいよ、彼に何かをされる時が来た。
痛いのは嫌だし、死ぬのは本当に怖い。だが受け入れるしかない。
木製の手枷を嵌められた。
よろよろと立ち上がって独房を出る。ふらつきながらゲイルについていく。背後には別の男がいて逃げることはできない。
そもそも逃げる気力もない。
迷路のような坑道を進み、着いたのは工房だった。
「ここは……?」
カタリナの問いには答えず、ゲイルは部下らしき男に指示を出す。
「吊るしておけ」
男は鎖を持ってきて、カタリナの手枷に付ける。鎖の端を天井にある金属製の輪に通し、ジャラジャラと引っ張った。
手枷が引っ張られ、カタリナの両腕が高く持ち上がる。
そのまま吊り上げられ、爪先が床につくかどうかというところで止まった。
手枷が肉に食い込んで痛みが走る。思わず顔を歪めてしまった。
ゲイルは苦痛の表情を浮かべるカタリナを満足そうに眺めると、部下の男に命令する。
「あとは俺がする。お前は例の件の準備を進めておいてくれ」
「分かりました」
部下が立ち去ると、カタリナに向かって口を開いた。
「独房生活は楽しめたか?」
「……そんなわけないわ。わたくしを傷つけるのが、楽しいのかしら?」
痛みに耐えながら、カタリナは部屋を見渡す。
ノコギリや万力、見ただけでは用途が分からない工具らしきものが大量に置いてある。
「必要なことだからな」
ゲイルはどうでもよさそうに返事をした。
「……どういうこと?」
「お前が知る必要はない。知ったところで何もできるまい」
ゲイルがじっと見つめてくる。
これまでにカタリナは様々な視線を受けてきた。
聖女だったころは、称賛と期待のこもった視線。
彼女の悪事が露見したときは、侮蔑と怒りの混じった視線。
修道院に行ったときは、好奇と嘲りの視線。
最近では、読み書きを教えている人たちから尊敬の眼差しもあった。
そのどれとも、ゲイルの視線は異なった。
人間に対するものではなく、道具あるいは素材を見る目。
ぞっとする。
「ここで、わたくしに何をするつもり……?」
「俺が説明する意味はない。どうせ、これから存分に堪能するんだからな」
ゲイルが台に並ぶ工具をちらりと見る。つまりあれらの工具はカタリナに対して使われるということだ。
「まさか……? やめて、嫌!」
そこに思い至り、カタリナの体が震える。
彼は気にせずにノコギリを手に取り、カタリナに向かってくる。
「止血もしてやるし、強力な痛み止めも飲ませてやる」
生きたまま解体し、その様子をカタリナ自身に見せつける。
ゲイルは暗にそう告げた。
「なんで、そんな……! 嫌よ!」
なぜそのような拷問を受けないといけないのか。
王都を危機に陥れた罪は大きいが、ゲイルに拷問される謂れはない。
必死に身をよじるが、爪先は満足に踏ん張れず、ジャラジャラと鎖の音を立てて体が揺れるだけだ。
「国を正しい姿に戻すためには必要なことだ。元聖女なら国を救うことの意味が分かるだろう? お前はそのための礎になるんだ。光栄に思え」
ゲイルのノコギリの刃がカタリナの腕に添えられる。
彼女は青ざめた顔でぎゅっと目を閉じ、痛みに備えて歯を食いしばることしかできない。
だが、いつまで経っても痛みはない。
薄く目を開けると、ゲイルがニヤニヤと笑っていた。
「まずは刃を研がないといけないな。痛めつけたいわけではない。苦しんで、俺を恨んでもらう必要があるからな」
そう言い残して、ゲイルは持っていたノコギリの他、刃物を集めて別の部屋に姿を消した。
じっとりとした嫌な汗がカタリナの額を伝う。
心臓が痛いくらいに速く鼓動し、歯の根が合わない。
逃げ出したい。
だが、どうやって?
逃げられないなら、ここで死ぬしかない。
「痛っ――」
何度も身をよじったせいで、手枷とすれて皮膚を破ってしまった。トロリと流れた血が滴り落ちる。
そして、たまたま血の雫がお守りに垂れた。
その瞬間、カタリナは幻視を見ることになる。
王都にいた頃、リアナの聖具に血を捧げたときと同じだ。
あの時はカタリナが魔物に食い殺される映像だった。
だが、今回は別の幻視だった。
◆
カタリナは車輪のついた椅子に座っている。
左腕は二の腕から先がない。右脚も太腿の半ばで切断されている。
視界の右側が欠けているのは、右眼がないことを意味しているのだろう。
カタリナがいるのは王宮の『祭壇の間』だ。
その空を覆うのは赤紫の瘴気。
周囲から聞こえてくるのは、魔獣の雄叫びと人々の悲鳴。
そして、祭壇の台座に横たわっているのは妹のリアナだ。
その夫のユリウスが剣を構えて立っている。
(何をしているの!?)
叫ぼうとして、声が出なかった。
リアナが微笑みをカタリナに向け、口が動いた。
『お姉様、わたくしがお守りしますから』
そして、愛する夫に視線を向けて、覚悟を決めた顔で告げる。
『ユリウス様、時間がありません。どうか、私を……』
できるわけがない、とユリウスが首を振る。リアナは彼の顔を優しく撫でた。
『たとえ、この身が滅んだとしても、貴方を愛しています』
ユリウスは逆手に持った剣を高く掲げる。
(だめ! リアナ! 命を捧げるなら、わたくしが……!)
声は出ず、片手片足しかないカタリナでは振り下ろされる剣に間に合わない。
涙を流し、獣のように叫びながらユリウスはリアナの胸に剣を突き立てた。
直後、浄化の光が全てを包み込む。
◆
「はぁ、はぁ……」
カタリナの意識が現実に戻る。
左腕も右脚もあるし、視界は欠損していない。声だってちゃんと出る。
全身から嫌な汗が噴き出て、体はガクガクと震える。
「なん、で……? リアナが救ってくれた、はずじゃ……?」
いや、違う。幻視の中のカタリナは体を欠損していた。
現状を鑑みるに、あれはゲイルがやったことだろう。カタリナは殺される前に助けられるということだ。
そこで、二度目の幻視が意味するものを直感した。
あれはこれから起こり得る未来だ。近い将来、王都が再び瘴気に飲み込まれる。
その王都を救うために、リアナが愛する夫に殺されることになる。
「だめ……あの二人がこれ以上辛い思いをするなんて……」
さんざん迷惑をかけてきた自分に言える義理がないことなど分かっている。
それでも、二人の幸せを願うくらいいいはずだ。
放っておけば、さっきの幻視は現実のものとなるだろう。
「なんとか阻止、しないと……」
一瞬、ゲイルが消えていった扉を見る。いつ彼が戻ってくるか分からない。
分からないからこそ、行動するなら早くしなければならない。
カタリナは己の手首に嵌められた手枷をじっと見つめた。




