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『聖女の影』はやり直す ~破滅の運命を越えて、最愛の騎士と共に生きます~  作者: 彼岸茸
第二章

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5 リアナ 4 カタリナの行方

 修道院のある町には雪が積もっていた。

 馬車から降りると、厚着をしていても肌を刺すような寒さだ。リアナは吐いた息が白くなることを初めて知った。


 カタリナはこんな環境で何か月も過ごして、体を壊しているのではないかと心配になる。

 だから、手紙の返信も来ないのではないか?


 頭を振って嫌な予感を振り払う。

 ふと前方に顔を向けると、王家の紋章が刺繍された外套を羽織った者がいた。イリスが送り込んだ使いだ。


 彼はこちらに気づいて駆け寄ってくる。


「聖女様、なぜこのような場所にいらっしゃったのですか?」


 片膝をついて、恭しく尋ねるイリスの使いにリアナは狼狽えてしまう。

 聖女として何か月も経っているが、こういうことにはまったく慣れない。国を守る要として忠誠を捧げられているのだろうが、リアナとしては恐縮するばかりだ。


「あの、どうか立ってください」

「それでは失礼いたします」


 立ち上がった使いを見上げて、リアナは修道院に来た理由を教え、最後に訊く。


「お姉様について何か分かったことはありますか?」


 使いの者は一瞬目を逸らし、答えるのを逡巡した。その様子から、カタリナに何かあったのだと察する。


「あの……何を言われても平気ですから、どうか教えていただけませんか?」

「……数日前までは確かに修道院にいたようですが、忽然と姿を消してしまったらしいのです。現在は行方不明だそうで……」

「お姉様が……?」


 病気や死亡の話ではなかったことに、ひとまず安堵する。だが、どこに姿を消したのか、新たな疑問が生じる。


「逃げたんだろう」


 眉を寄せたユリウスがぽつりと呟いて、吐き捨てるように続けた。


「ここは過酷な環境だ。あのカタリナが耐えられるとは思えない。嫌になってどこかに逃げたに決まっている」

「ユリウス様……」


 夫が姉を嫌っていることは重々承知している。それだけのことをカタリナはしてきたのだから、仕方がないとも思う。

 いまだに姉のことを心のどこかで信じたいと思う、お人好しのリアナは何も言えずに俯いてしまった。

 その様子に言い過ぎたと思ったのか、ユリウスが提案する。


「俺たちも修道院長から話を聞いてみよう。判断するのはそれからだ」

「はい……!」


 イリスの使いに礼を言ってから、別れる。彼は取り急ぎ、主の元に報告に戻るそうだ。

 リアナとユリウスは手を繋いで修道院に向かい、マーサは宿の手配に行った。


     ◆


 修道院は石造りながら簡素な建物で、冷気が入り放題の内部を暖炉とロウソクが仄かに照らす。

 急な訪問にも関わらず修道院長はすぐにリアナたちの対応をしてくれた。彼女は柔和な顔つきの高齢の女性だった。


 温かいお茶が注がれたカップがかじかんだ指先をじんわりと温める。その香りで、少しだけ緊張がほぐれた気もした。


 リアナがユリウスに視線を向けると、彼はリアナに任せるというふうに一つ頷いた。


「お姉様――カタリナはここではどのように過ごしていたのですか?」

「カタリナ様はとても熱心に贖罪の日々を送っておりました。最初、元聖女様がいらっしゃると聞いた時は大変驚きましたし、ここでの生活を送れるとは正直なところ思っていませんでした」


 きっと姉の所業のことも、この修道院長は耳にしていたはずだ。そのことを妹であるリアナの前で口に出さない分別はある。

 彼女は先を続けた。


「文句や不満を何一つ言わず、貧しい者への食事の分配や読み書きの教育などに真面目に取り組んでいました」

「お姉様がそのようなことを……」


 修道院長が嘘を言っているようには見えない。姉は本当に変わったに違いない。


「それなのに先日、忽然と姿を消してしまったのです」


 残念そうに溜め息を漏らす修道院長。


「よろしければお姉様が使っていた部屋を見せていただけませんか?」

「もちろんです」


 修道院長が先導し、カタリナの私室に向かう。暖炉が遠ざかるにつれ、漂う冷気も濃くなった。

 石がむき出しの内壁に触れるとひんやりと冷たい。


「こちらです」


 修道院長が木製の扉を開けると、キィと軋む音がした。


 内部はアルクエル邸のカタリナの私室とはかけ離れていた。柔らかな絨毯も、豪華な調度品も何一つない。小さなテーブルと簡易のベッド、身だしなみを整えるための姿見くらいだ。


 防寒具もハンガーにかかったままで、少ない荷物もそのまま残されている。

 リアナには姉がここから逃亡したとは思えない。


「争った形跡はないな」


 ユリウスが騎士の視点で言った。そこだけ見れば、自発的に出ていったとも考えられる。

 なんとも不可解だ。


「お姉様、いったいどこに……?」


 リアナの呟きは冷たい空気に溶けていった。


     ◆


 修道院長に礼を述べてから、修道院を後にした二人はマーサと合流した。


「宿に行く前に少しいいですか?」


 彼女に連れていかれたのは修道院の裏手だった。人気はなく、向こうに続くのはただの森だ。誰も立ち入らないのか、ふかふかの雪が積もっている。


「どうしたんだ? こんなところに連れてきて」

「宿の手配をしていたら、気になることを小耳にはさみまして」

「気になること、ですか?」


 マーサは頷いてから、話を続ける。


「はい。数日前の夜更けに怪しい集団が目撃されたそうです。その集団は表通りを通らずに――」

「ここを通ったということか」


 ユリウスが言葉を継いだ。


「あの……どういうことですか?」

「カタリナが何者かと一緒にここを去った可能性があるということだ」


 小首を傾げるリアナに、ユリウスが簡潔に説明した。


「え……?」

「逃げる算段を立てていたのか、連れ去られたのかは分からんが。ひとまずはこの辺りを調べてみよう」


 雪が深く、足を取られる危険もあるため、リアナは待つことになった。

 ユリウスとマーサが手分けして周囲の調査を行う。ユリウスはともかく、マーサはよくメイド服のまま積もった雪の中を移動できるものだ。


「ある程度の高さより下にある枝が折れていた」

「木の幹にもこすったような跡がたくさんついていましたね」

「森といっても木は疎らにしか生えていないし、小型の馬車であれば通れなくはないか」


 待っているリアナを尻目に主従が話をしている。

 何も手伝えることがない彼女はなんだか申し訳ない気持ちになった。それを伝えたところで、二人とも「気にするな」と言うだろう。


「前聖女様はここからどこかに行ったのでしょう」

「あんな女に『様』など不要だ。しかし、この方角となると……」

「腐っても貴族様ですよ。平民のあたしからすると、ちゃんと敬称をつけないといけません。真っ直ぐ進めばですが、ベルクラン方面じゃないですかね?」


 ユリウスと気さくに話すマーサに、リアナは少しだけもやもやとしたものを感じるが、それだけの付き合いがあるということなのだろう。

 あんなふうにユリウスを手伝うことができたら良かったのに。

 そう思ってしまう自分が情けない。


 溜め息を漏らしたリアナのもとに二人が戻ってくる。


「どうした?」


 尋ねてくるユリウスに、リアナは素直に考えていたことを口にする。


「マーサと仲がいいなと思っただけです」

「腐れ縁だからな」

「そうですよ、奥様。もしかして妬いちゃいましたか? 奥様、可愛らしいですね!」


 マーサがリアナに抱きつき、二人してバランスを崩した。


「きゃっ」


 ユリウスはリアナをさっと支え、マーサは軽やかに雪の上で受け身を取ってそのまま立ち上がった。


「おい、リアナが怪我をしたらどうするんだ」

「ご主人様がいるから大丈夫でしょ。それより、次の目的地ですね」


 マーサが服に付いた雪を払いながら、しれっと話題を元に戻す。


「お前な……まあ、いい。リアナ、ここで一晩泊まったら、予定通りベルクランに向かう」

「……お姉様もそこに?」


 リアナの問いに、ユリウスは頷いた。


「なぜそこに向かったのかは分からんが、どうせ行くつもりだったんだ。もう何日かここに滞在してもいいが……」

「いえ、明日行きましょう」


 カタリナの身に何が起こったのか疑問もあるし、不安が募る。

 本当なら今すぐにでも向かいたいところだが、休憩は必要だ。逸る気持ちはあれど、焦っても仕方ない。

 馬の体力だって無尽蔵ではなく、酷使はできない。


 まずはマーサが手配した宿に向かう。

 そして、明日ベルクランを目指す。きっとそこにはカタリナがいるはずだ。

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