3 リアナ 3 旅の始まり
修道院、そしてベルクランに向かうに当たって、懸念されることがあった。
以前ほどではないにしろ、『封印の儀』を行っているリアナの貧血だ。
もっともリアナは、良いかどうかは別として、貧血には慣れている。だから問題ないと主張した。
ユリウスが過剰に心配するのだ。
「ユリウス様、私は平気ですよ」
「何かあったときのために、あたしもついていきますし、大丈夫ですって」
リアナとマーサはそう言ってユリウスをなだめた。
「ご主人様が奥様に負担をかけるからです。仲良しなのは分かりますが、ほどほどにしてください」
「うるさい」
呆れ顔のマーサを、ローヴェルト家の主は黙らせようとする。だが、その程度で口を閉じるほどマーサは殊勝な性格をしていない。
ユリウスは「準備をしてくる」と逃げるように私室に向かった。
「マーサ、一緒に来てくれてありがとう。準備までしてもらって」
夜の営みについてつつかれて顔を赤くしながらも、リアナはローヴェルト邸唯一のメイドに礼を言う。
これまでほとんど王都を出たことがない彼女は、旅の準備など当然したことがなかった。数か月前にユリウスと逃避行をしたのが、初めての遠出だ。
なので、完全にマーサにお任せだ。
リアナは悪いなと思いつつ、マーサが淹れてくれた紅茶の香りを楽しんでいる。
「いいんですよ、奥様。それに同じ女がいた方がいろいろと便利でしょうし」
マーサは話しながら、荷物を鞄に詰めていく。それでいて、リアナの紅茶のお代わりを注いだりもするので、実に有能なメイドだ。
「ご主人様が隣にいない時はあたしが奥様をお守りしますので」
そう言って、力こぶを作って見せる。太く逞しいユリウスの二の腕とは違ってほっそりとしているが、リアナのそれよりは鍛えられているのが分かる。
「ふふふ、よろしくお願いします」
「任せてください」
「ところで、そんなに防寒具は必要なのですか?」
リアナが準備されていく荷物を見ながら尋ねる。
「もちろんです、奥様。王都は一年中穏やかな気候ですが、修道院のある場所はいつ行っても寒いところですから」
カタリナがそんなところに何か月もいて、体調を崩していないか心配になった。自分でもお人好しだとは思うが、これは性分だろう。
そこに外套を羽織って、荷物を抱えたユリウスが戻ってきた。
「俺の方は準備はできた。リアナはどうだ? ついでにマーサも」
「マーサがしてくれますから」
「あたしはついでですか。準備はばっちりですよ。それでは、馬車を持ってきますので、門の前に行ってください」
マーサはそう言うと、リアナと自分の荷物をひょいと持って、姿を消した。
用意のいい彼女はすでに馬車も借りているらしい。御者も彼女がするというのだから、有能が過ぎる。
「俺たちも行こう」
「はい、ユリウス様」
チュ、と軽い口づけを交わしてから、屋敷を出る。
少しだけ待ち、マーサが馬車を門の前に寄せた。二人が乗り込んで、着席したのを見計らい、すーっと馬車が出発した。
◆
途中の町で宿を取りながら、北へ北へと向かっていく。
逃避行の際に身を寄せていた田舎町を通り過ぎる時は、懐かしい気持ちになった。黙って出ていくことになったが、その後魔獣の被害もなさそうで一安心する。
大きなトラブルなく、旅は進む。
肌寒さを感じたかと思ったら、すぐに防寒着の出番になった。
「本当に寒いのですね」
リアナが体をぶるっと震わせて呟いた。
馬車の窓から外を覗くと、雪がちらついていた。彼女にとっては初めての雪で、少しだけ楽しい気分になった。
「これからもっと寒くなる」
ユリウスはそう言って、リアナの荷物から厚手の外套、手袋、マフラー、帽子などを取り出す。
全てを着込んだリアナはもこもことして、いつもと違った雰囲気になる。
同じように厚着をしたユリウスの肩に頭を預けるリアナ。
いつものように直接彼の体温を感じられないのは少々残念だが、それでも十分幸せだ。
ふと見上げると、ユリウスがじっとリアナを見つめていて、視線が合った。
「今の格好も可愛いな、リアナ」
「あ、ありがとうございます……その、ユリウス様も、素敵です――ん……んぅ……はぁ……」
何かあればすぐキスをしてくるユリウスだが、リアナも嫌ではない。むしろもっとしてほしいくらいだ。
唇が離れ、少し熱っぽさを帯びた瞳をユリウスに向ける。
その時、御者台側の小窓が開いた。
「ユリウス様、奥様、吹雪いてきました。少し早いですが、今日は次の町で休みます」
「あ、ああ。分かった」
「イチャイチャするのは構いませんが、お風邪を召されても困るので、続きは宿を取ってからにしてください」
にやりと笑ったマーサに、リアナの顔は真っ赤になった。
ユリウスと触れ合うだけで、周囲のことが目に入らなくなってしまうのは、悪い癖かもしれない。
一周目の世界で、彼に見放されて最終的に殺された反動だろう。
それでも、はしたないし、恥ずかしいと思う。それだけユリウスのことを愛していることの証でもあり、やめられそうにないが。
努めて意識を外に向けると、風の音が強くなっていた。
窓からの景色も、白く染まってきている。
ずっと御者台にいるマーサが心配だが、彼女はすこぶる元気そうだ。
町に到着するまでそうかからなかった。
マーサはすぐに町民に馬車を停められる場所や宿について尋ねる。
リアナとしては簡素な宿で十分だと思っていたのだが、仮にも聖女だ。マーサは町一番の大きな宿を紹介してもらってきた。
馬車もその宿に停められるとのことなので、このまま向かう。
「ふぅ、生き返りますねぇ」
宿に入るなり、マーサは言った。
火の入った暖炉は暖かく、リアナも肌に血流が戻ってくるのを感じる。
ユリウスとマーサが荷物を部屋に運び入れ、一息つく。
さすがにローヴェルト邸のような広さはないが、マーサが控えるための部屋もあって申し分ない。
「持ってきた食材が傷みますので、厨房を借りてきます。ご主人様と奥様はゆっくり休んでいてください」
「お前もちゃんと休めよ、マーサ」
この旅で、いつ休んでいるのかというくらい、マーサは働いている。
いくら元気があっても、心身の疲労は溜まっているはずだ。
「あたしは大丈夫です。夜はぐっすり眠っていますからね。お二人と違って」
「いちいち余計なことを言うな」
ユリウスが毎度のように注意するが、マーサは気にしない。
「それでは行ってまいります。時間がかかりますので、どうぞご自由に過ごしてください」
マーサがリアナにウィンクして、親指を立てた。
女主人の顔がぼっと熱くなるのを楽しそうに眺めてから、メイドは部屋を出ていった。
「あ、あの、ユリウス様……」
潤ませた瞳でユリウスを見上げると、彼はリアナをひょいと抱きかかえた。
「きゃ……せ、せめて汗を流して」
そういうことを期待しているとはいえ、体を清めるくらいはしておきたい。
だが、ユリウスはお構いなしにリアナをベッドに連れていった。
◆
「ご主人様。皺になりますので、脱ぎ散らかさないでください。脱がせた服をその辺に投げ捨てるのも駄目です」
愛を確かめ合い、くたくたになって休んでいるところに戻ってきたマーサの言葉だ。
「す、すまない。リアナが可愛らしくてつい……」
「そ、そんな、可愛いだなんて……ユリウス様こそ素敵でした」
見つめ合う二人に、マーサは呆れたような視線を向けた。
「あたしは何を見せられているんですかね……仲睦まじいことは結構ですが。食事の準備をしますので、服を着てください」
軽く息を吐いた彼女は、てきぱきとテーブルに皿を並べ始めた。
夕食が始まり、マーサが今後の予定を話す。
「天気次第ですが、吹雪がやめば明日には修道院に着きます。ですので、今夜は本当にお休みになってください」
「分かっている」
「本当に分かっているのならいいです」
リアナはユリウスとマーサの話し合いを聞きながら、つい別のことを考える。
マーサの料理は美味しい。
リアナがアルクエル邸で食べていた料理にも劣らない。
そして、ふと思い出す。
いつから姉がおかしくなったのかは分からないが、少なくとも幼い頃はなんでも「半分こ」にしあうほど仲が良かった。
互いに苦手な食べ物をこっそりと交換しあったこともあった。
今、カタリナはちゃんと食事を摂れているのだろうか。
極寒の地で凍えてはいないだろうか。
生きているのだろうか。
「リアナ、どうした?」
ぼーっとするリアナを心配して覗き込んできたユリウスに、ハッと我に返る。
今しがた考えた不吉なことを頭から追い出して、あらためて決意を口にする。
「お姉様はきっと生きています。必ず探し出しましょう」




