1 リアナ 1 壊れた聖具
リアナの心の片隅に、拭いきれない不安が残っている。
一周目の世界の結末を大きく塗り替えることに成功した彼女は、愛するユリウスと結婚することができた。
結婚式からはもう何か月も過ぎたが、新婚夫婦のような甘い生活が続いている。
カタリナは北の修道院に行くと同時に聖女の役職を辞任した。
このため、リアナが新しい聖女になった。姉のように大々的なパレードはしなかったが。
騎士団の分隊長に復職したユリウスと幸せな日々を過ごしているのは確かだ。
今も暖かな朝の光を受けながら、彼とテラスで朝食――リアナとマーサが作った――を摂っている。
そこに不満はない。
現在、彼女が抱える不安は主に二つある。
一つは次代の聖女を産むこと。
子をなすこと自体は問題ない。夫婦の営みはきちんとしている。
「浮かない顔をしてどうした、リアナ? ひょっとして、疲れが……だとしたら、その、すまない」
尋ねるユリウスに思わず苦笑する。
「ふふふ、そうではありません……その、私がちゃんと母になれるのか、と心配になって」
妊娠する前から悩んでも意味はないかもしれないと分かっている。
「リアナならよい母親になるだろう」
そう言われ、少し心は軽くなった。
それに、それを言うならユリウスだってよい父親になるに違いない。
「母と言えば、君の母君の墓に参ってないな」
事後報告にはなったが、結婚してすぐにリアナの父の墓参りは済ませた。
「……母の遺体は王家が回収したので、お墓はないのです」
国を守護する聖女の遺体は国が管理することになっている。初代聖女からそうした慣習らしい。
「そうだったな……」
「その気持ちだけで、母も喜んでくれると思います」
リアナは微笑んだが、どこか弱々しい。
自分が母親になる覚悟はおいおい決めていくだろうし、母の遺体についてはそういうものだと割り切っている。
「他にも心配事があるんじゃないのか?」
問題はもう一つの不安の方だ。
「……聖具のことです」
リアナとユリウス、二人の血を吸って限界以上の力を発揮した彼女の聖具は、「破滅」の回避と引き換えに大きくひび割れてしまっていた。
使うことはできる。
現在、瘴気はほぼ溜まっていない。下町や貧民街の空気も清浄だ。
だが、放っておけば瘴気は再び溜まっていくので、定期的に『封印の儀』をしている。
その際の聖具からの浄化の光が以前よりも弱まっているのだ。
「このままではまた瘴気が……」
「今まで責務を怠ってきたカタリナにさせればいい」
何か月経っても、ユリウスのカタリナへの怒りは収まっていないようだ。
「お姉様の聖具は王家預かりになっていますから……宝物殿に保管されていると思います」
「はぁ……あの女は本当にリアナに迷惑ばかりをかけて。リアナ、絶対に無理をするんじゃないぞ」
リアナは彼の言葉に頷いた。
「分かっています。けれど、新しい聖具が必要です。瘴気が溜まってしまう前に、新しく作らないと」
いざという時に浄化ができなければ、せっかく「破滅」を回避した意味がない。
手に入れた幸せを手放したくはない。
いずれ生まれてくるだろう子どものためにも、できるだけ瘴気を減らしておきたい気持ちもある。
リアナが死んだら、次はその子が聖女となるのだから。
「聖具はそんな簡単に作られるものではないのだろう?」
「詳しい作り方は私も知りませんけれど……聖具を作ることを生業とした職人がいるそうです」
幼い頃に与えられて少しずつ血を馴染ませてきたのだが、そもそもどこからやってきたのか疑問に思ったこともなかった。
「聖具職人か……国王陛下かイリス王女殿下ならご存知かもしれないな」
「はい。王都から北西の町にいるそうですが、具体的な場所までは……」
「なら、聞いてみるしかないな」
ユリウスの提案に、リアナは驚いた。
てっきり止められると思っていたのだ。
「あの、よいのですか?」
「君は意見を主張することは少ないが、頑固なところがあるからな。それに行動的でもある」
「頑固だなんて」
リアナが可愛らしく頬を膨らませると、ユリウスは穏やかに笑った。
「そういうところも愛おしいんだがな」
ユリウスが言いながら、リアナの頬に付いた卵を指で取って舐めた。
「あ、申し訳ありま――んむ……ん……」
頬を赤らめたリアナの唇を、ユリウスの唇が塞いだ。口の中に、彼がさっきまで飲んでいた紅茶の香りが広がる。
「も、もう……いきなりはやめてください。心臓に悪いです」
「つい、な。嫌だったか?」
「いえ、その……嫌ではありませんけれど……」
職務中の彼を知っている部下の騎士が見ると、目を丸くする光景だろう。
彼らの知るユリウスは表情がほとんど動かない。それが、リアナに対してだけは一変する。
彼のメイドであるマーサでさえ、その変化に目を疑っていた。「ご主人様、気持ち悪いです」と呟いて、ユリウスに怒られていたが、当の本人は気にしている素振りはなかった。
もう一度、チュッと軽くキスをしてから、ユリウスは真面目な表情に戻る。
「君は行くと決めたんだろう?」
リアナもまだ顔は熱いが、真剣な面持ちで応じた。
「はい。今後に関わることですから」
「分かった。団長に長期休暇を申請しよう」
彼から「長期休暇」という言葉が出てきたことに驚く。いつも騎士の訓練場や王都の見回りに行き、下手をしたら休みの日でも仕事に行くことがある。
「ユリウス様も来てくださるのですか?」
「当然だ。リアナ一人に行かせるわけないだろう」
それはリアナとしても非常に心強く、何より嬉しい。
初めての旅行だ。
「ありがとうございます、ユリウス様。愛しています!」
「俺も愛している」
本日三回目の口づけをしようとしたときだった。
「朝からイチャイチャしているところ申し訳ありませんが――」
マーサの声がそれを邪魔した。
ぱっと離れた二人ににやにやとした視線を向けたマーサは、表情を引き締めて続ける。
「王宮よりイリス王女殿下の使いの者が来ました。簡潔に言うと、緊急の呼び出しです」




