3 聖女の手伝い
カタリナの聖女就任パレードは無事に終了し、華やかな晩餐会が催された。
シャンデリアから降り注ぐ明かりはキラキラと輝き、色とりどりの花の香りが鼻腔をくすぐる。
楽団の奏でる音色は耳に優しく、順に運ばれてくる料理は舌を喜ばせる。
「カタリナ様、大変お美しかったです」
カタリナの隣に座っているイリスが、艶やかなゴールドの髪を揺らして、うっとりとした表情を浮かべた。
彼女の言う通り、リアナから見てもカタリナは見目麗しい。長時間のパレードでも疲れを見せず、笑顔を絶やすことはなかった。
「ありがとうございます、イリス王女殿下」
優雅に微笑み、カタリナが答える。
「もう、カタリナ様。そんな堅苦しい呼び方はおやめください」
「そう仰いましても、公式の場ですから」
頬を膨らますイリスは年相応の少女のようだが、立派な王女だ。
いくら親友と呼べる間柄のカタリナでも大勢の目がある前で馴れ馴れしく呼ぶわけにはいかず、苦笑した。
そんな姉に、イリスとは反対隣に着席したリアナが目を向ける。
魔獣から王国を守る要である聖女は大役だ。
カタリナは無理をしているようには見えなくとも、プレッシャーにはなっているに違いない。
聖女には魔獣を弱らせ、消し去る役目がある。
だが、それよりも重要なのは、魔獣を発生させない、あるいは引き寄せないことだ。
そのためには、常に大地から染み出てくる瘴気を浄化する必要がある。これを怠れば、魔獣が現れ、強化されてしまう。
カタリナ一人が瘴気を封印するための儀式をするのは、現実的ではない。
儀式は出血を伴うからだ。血を聖具に捧げることで、浄化の力が強まる。
いざというとき、彼女が疲弊していては、本来の力を発揮できない。
彼女一人に負担が偏るのが間違っている。
(だったら、私がその負担を少しでも軽くできたら)
リアナも聖女の一族であることに変わりはない。
実際にこれまでも瘴気の浄化をしてきたし、今はシルクの長手袋で隠している両手には傷がたくさんある。
この作業をリアナがもっと頻回にすれば、姉の負担の軽減に繋がるはずだ。
カタリナとイリスの会話が途切れた瞬間を狙って、カタリナに話しかける。
「あの、お姉様……」
彼女の気品のある顔がこちらを向いた。
「どうしたの、リアナ? そんなにあらたまった顔をして。大事な話かしら?」
「はい、その……」
いざ提案しようとすると、口がうまく回らない。
しかし、カタリナは急かさずに待ってくれた。
「あ、まずは聖女就任、おめでとうございます」
「ふふふ、あなたにそう言われるとなんだか照れるわね」
「それで、その……聖女のお役目はとても大変だと思うのです」
緊張してしまう。
これまで姉に頼み事をされることはあっても、自分から何かをお願いすることはなかったのだ。
それでも、破滅の未来を回避するために、口に出す必要がある。
リアナはグラスに注がれていたバラの香りのする水を一口飲んだ。
「……もし許していただけるなら、『封印の儀』――瘴気の浄化を私にもさせていただけたらと……」
表に出ることのない地味な作業だが、だからこそ裏方仕事としてリアナに向いていると考えた。
おそるおそるカタリナの顔を窺う。
彼女は困ったように眉を寄せていた。
「……突然どうしたの?」
「その……万が一の事態に備えて、お姉様は血を温存しておいた方が良いかと思ったのです」
破滅のことはとてもではないが、言えない。
カタリナは真剣な表情でじっとリアナをしばらく見つめてから、ふっと顔を綻ばせた。
「リアナの意志は固そうだし、分かったわ。わたくしたちはなんでも『半分こ』ですものね」
楽しいことも辛いことも姉妹で分かち合う『半分こ』。カタリナが子どもの頃からときどき使う言葉だ。
「あ、ありがとうございます、お姉様」
「ふふふ、礼を言うのはわたくしの方よ。あなたは手伝ってくれるんだから。それに――」
カタリナがウィンクした。そんな何気ない仕草まで洗練されているようだ。
「――今まで通りじゃない」
「あ……」
姉に伝えなきゃという思いばかりが先行して失念していたが、彼女の言う通りだ。
だからこそ、リアナの両手には傷がたくさんついている。
「でもあらためて、リアナにそう言ってもらえて嬉しかったわ。よろしくね、リアナ」
「は、はい。よろしくお願いします、お姉様」
話が一段落したところで、リアナのお腹がかわいらしく鳴る。
緊張と不安で、食事が喉を通らなかったのだ。
しかし、心が軽くなった今は、ようやく料理を口に運べる。
宮廷料理人が作る料理の数々はとても美味だった。
◆
晩餐会が終わり、アルクエル邸の自室に戻った時には夜も更けていた。
胸を貫かれて死んだと思ったら、時間を遡っていた。
さらに日中はパレード、夕方以降は晩餐会と続き、疲労が溜まっている。
眠気もあるが、リアナにはすべきことが残っている。
カタリナとも約束した『封印の儀』だ。
破滅の未来を避けるために、少しでも瘴気を浄化しておいた方がよい。
リアナは机の引き出しに保管している聖具とナイフを取り出した。
聖具は掌より少し大きい円盤状で、複雑な模様の溝が彫られている。
聖具を机に置き、ナイフを左手の人差し指にあてがう。
ナイフを引けば指の腹は容易に切れる。もちろん、痛みを伴う。
痛いのは嫌いだ。
しかし、これは愛する人たちの未来を守るための尊い痛みだ。
リアナは軽く息を吐いてから、すっとナイフを滑らせた。
「っ!」
チカッとした痛みが指先に走り、傷口から出た血がぷっくりと玉になる。
この程度、心臓を貫かれた痛みに比べれば大したことはない。
右手で、額に滲んだ汗を拭ってから、聖具に左の人差し指を押し当てた。
血を吸った聖具が仄かに光を発する。
一周目の最期に見た浄化の光からすると、微々たるものだ。
それでもしばらく血を与え続けた。
淡い光はリアナの私室に留まらず、王都中に広がった。
もともと弱い光がさらに拡散したので、誰も気づかないだろう。
だが、僅かに、しかし確かに瘴気を減らした。
一度に全てを浄化できるとは思っていない。だから、できる限り、毎晩することに決めた。
この痛みは、リアナが愛する人たちの未来の平穏に繋がっているのだ。
誰かに称賛されることはない。
褒められたくて始めたことではないので、それで構わない。
聖具から指を離す。
少し深く切ってしまったのか、まだじわじわと出血は続いている。
傷口をハンカチでしばらくぐっと押さえて止血した。
ちゃんと血が出なくなったことを確認してから、ベッドに横になる。
疲れた。
だがどこか心地よい疲労感だ。
仰向けになって、カタリナにちゃんとお願いができたことを思い出す。
きっと破滅からは一歩遠ざかったはずだ。
受け身で控えめな性格であることは自覚しているが、やればできることが分かった。
ユリウスとも距離を縮められたら、もう一歩破滅から離れられるに違いない。
『封印の儀』に慣れたら、ユリウスに会いに行ってみよう。
そんなことを考えているうちに、リアナはいつの間にか眠りに落ちていた。




