29 再封印の儀
リアナとユリウスは『祭壇の間』に足を踏み入れた。
王都のどこよりも濃い瘴気が渦巻いている。まるで、瘴気の発生源がこの場所であるかのようだ。
聖具を抱えたリアナは石造りの台座を目前にして、足が竦んでしまう。
一周目の世界で彼女が命を落とした場所だ。
二周目では勇気を出して、「破滅」を回避しようと頑張ってきた。
だが、結果は一周目とそう変わりない。王都は赤紫の瘴気に覆われ、魔獣の雄叫びや人々の悲鳴が木霊する。
それに一周目よりも展開が早い。
別れ際にカタリナから言われた「生贄になれ」という言葉が耳に残っている。
今回も命を賭さなければ、王国を救うことができないのではないだろうか。
隣にいるユリウスに心臓を貫かれることになるかもしれない。
怖い。
リアナの恐怖を感じ取ったのか、ユリウスが彼女を抱きしめた。
「絶対に死なせはしない。俺の剣は君を守るためにあるんだ」
耳元で聞こえるのは低く、落ち着いた声だ。
それだけでリアナの恐怖は薄れていく。彼女もユリウスの背中に腕を回す。体が密着し、彼の鼓動を感じる。
「ん……んむ……ぁ……」
荒々しくも優しい口づけで、リアナの恐怖は消え去った。
「もう、大丈夫です。ありがとうございます」
頬を上気させて礼を言う。
直後――
「ウオォォォォン!」
狼型の魔獣が一体、『祭壇の間』に侵入してきた。
ユリウスが剣を構える。
「さあ、本番だ。リアナ、浄化を頼んだぞ」
「任せてください! ユリウス様、どうか私を守ってください!」
「言われるまでもない!」
愛する人が魔獣に向かって駆けていく音が聞こえる。リアナは振り返ることなく、なすべきことをやる。
聖具を台座に設置する。
一周目では台座の穴の下に置いたが、今回は死ぬつもりはないので穴の上に置いた。
取り出したナイフで勢いよく掌を切って、血を流す。
痛みはある。
だが、この痛みの先に「破滅」の回避があるのなら、厭うことなどない。
大量の血を吸った聖具が浄化の光を発し始める。
それが引き金となったのか、無数の魔獣が押し寄せてきた。本能的に浄化の光が危険だと分かっているのだろう。
背後では魔獣とユリウスが戦う音が聞こえてくる。いかにユリウスが強くとも、魔獣は次々とやってくる。
聖具から手を離すわけにはいかず、振り返ることもできない。
リアナにできることはただ、ユリウスを信じることだけだ。
「ぐっ……やられて、たまるか!」
彼の懸命な声が聞こえた。
きっと大丈夫だ。浄化の光があれば、魔獣の力は弱まり、瘴気による怪我も癒やされる。
だから、リアナはふらついても決して倒れず、聖具に血を捧げ続ける。
不意にヒステリックな声が割り込んできた。
「あの子を、リアナを殺しなさい! そうすれば瘴気は収まりますわ!」
カタリナだ。
どれだけ自分のことが嫌いなのだろうか、とリアナは思い、考え直す。姉は何よりも保身のことだけ考えているのだろう。
優しくしてくれた姉を覚えているだけに、そのことが悲しかった。本心ではないと信じたい。
「早く……早くリアナを殺しなさい!」
カタリナは護衛としてついてきた騎士に叫んでいる。
騎士は迷っていたようだが、聖女の言うことは絶対だ。戸惑いながらも剣を抜いて、リアナに迫ってくる。
ユリウスは魔獣を相手にしているため、こちらには来られない。
リアナ自身もここを離れられず、懇願するしかない。
「やめてください! お願いです!」
だが、カタリナに命令された騎士が無慈悲にも剣を振りかぶる。
振り下ろされる直前だった。
「やめよ!」
今度はヴァルドの声だ。
彼とともに来た騎士は押し寄せる魔獣の相手をしている。
「魔獣の相手をせずに、リアナ嬢を斬ろうとするなど言語道断だ」
威圧のこもった声だ。ヴァルドに睨まれた騎士は「も、申し訳ありません!」と魔獣退治に向かった。
これで納得しないのがカタリナだ。
「ヴァルド様、リアナの命を捧げれば、王都は救われますわ。聖女として命令――」
「申し訳ないがそれは聞けませんな」
騎士団長は聖女の言葉を遮った。
命令系統でいえば、聖女は騎士団長よりも上になる。だから、これまではカタリナの言うことを聞いていたのだろう。
リアナはそう予想した。
だが、今回ヴァルドはきっぱりと断った。
「イリス殿下からリアナ嬢を守るよう仰せつかっています」
「なんですって?」
それなら安心だとリアナは思う。傷だらけの手を見せたおかげでイリスが自分を信じてくれたのなら、そんな醜い手も少しだけ誇らしい。
そうしている間にも、彼女は血を聖具に吸わせる。
血の勢いが弱まれば、新たな傷を作る。
どれだけの血が失われたかは分からない。
頭がふらふらするし、視界もちかちかする。
だが魔獣は変わらず押し寄せてくる。ユリウスも騎士もなんとか抑え込んでいるが、このままでは難しいかもしれない。
「破滅」を避けたかった。
ユリウスと幸せな未来を築きたかった。
それが叶わないなら、せめて愛する人には生き残ってほしい。
結局、行きつく先は一周目の世界と同じ結末なのか。
ぐらりと体が傾くのをヴァルドが支えてくれた。
どうせ死ぬのなら、隣にいてほしいのはユリウスだ。
「ヴァルド、様……できれば、ユリウス様を……」
血の気を失っているリアナを見て、ヴァルドも察したのだろう。
「ユリウス! 俺と交代だ!」
彼はすぐにユリウスを呼んでくれた。
「リアナ! 大丈夫か!」
「ユリ、ウス様……やっぱり、無理かも、しれません。できれば、貴方の手で」
ユリウスが首を横に振る。
「ユリウス様! 早くリアナを殺して! え……キャアアアア!?」
カタリナが騒いでいたかと思うと、突然叫んだ。
明滅する視界の中、一体の魔獣がカタリナに向かっているのが見えた。
護衛の騎士が応戦している。だが、劣勢のようだ。
一周目の世界でカタリナは魔獣に食い殺されたのかもしれない。
生贄になるのとどちらがいいかは分からない。ただ、自分を殺す相手が魔獣ではなくて愛する人で良かったと思う。
「ユリウス様……早く、私を……」
自分と姉の両方がここで死ねば、聖女の血筋が絶えることになる。
王国は終焉を迎えてしまう。
姉には生き残ってもらわないといけない。
ユリウスは苦い顔をしている。「守る」と誓った相手を「殺す」ことになるので、それも当然だ。
時間がないことは彼も分かっている。
だから、彼の決断は早かった。
剣を握り直した彼は迷うことなく切った。
「え……?」
「なるほど。自分で自分を切ることがこんなに恐ろしいことだとはな」
ユリウスが斬ったのは自身の左掌だった。その唐突な行動に、リアナの朦朧としていた意識が現実に引き戻される。
「ユリウス様、何をしているのですか!」
「こうするんだ」
そう言うと、彼はリアナの聖具に左手を伸ばした。
「む、無理です! この聖具は私にしか……」
「やってみないと分からないだろう?」
リアナの制止を無視してユリウスは自らの血を聖具に捧げる。
何も起きない。
リアナがそう思った瞬間――
眩いばかりの光が溢れた。
「な、なんでユリウス様の血に反応が……?」
「理由などどうでもいい。リアナ一人では足りないのなら、俺が不足分を補う。絶対に君を死なせはしない!」
何が起こったのかは分からない。
だが、隣でユリウスが支えてくれる。
彼とともに王国を救い、どちらも欠けることなく未来を紡げる希望が湧いた。
眩い光が『祭壇の間』を包み込む。
視界の隅に、魔獣にのしかかられているカタリナの姿が映った。
騎士もヴァルドも白く染まっていく。
これだけの浄化の力があれば、瘴気も魔獣も、既に民を蝕んでいる黒斑病も消え去るだろう。
一度は諦めかけたが、ユリウスを信じて良かった。
リアナはこみ上げてくる想いを口にした。
「ユリウス様、愛しています」
「俺も愛している」
浄化の光は『祭壇の間』を越え、王都全域を、そしてその先まで広がった。
限界まで血を捧げた二人は熱いキスを交わしてから、意識を手放した。




