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『聖女の影』はやり直す ~破滅の運命を越えて、最愛の騎士と共に生きます~  作者: 彼岸茸
第一章

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26 戻る決意

 いつもと同じ朝だと思っていた。

 だがその日、平穏な田舎の町に悲鳴が響き渡った。


 リアナとユリウスは飛び起きて、一瞬顔を見合わせる。

 二人で家の外に出る。


「これは……瘴気が漂っています」


 空気が僅かに赤紫に染まっていた。


「うわぁぁぁ! 逃げろ!」


 再び叫び声が上がった。声がしたのは畑が並ぶ一角だ。そこで採れた作物をリアナも貰ったことがある。


 だが、異質な姿がある。

 狼のような姿だが、通常よりも大きい。すべてを飲み込むような漆黒の体は魔獣のそれだ。


 なぜそんなものが急に現れたのか分からないが、まずは魔獣を討たないといけない。


「ユリウス様!」

「分かっている」


 ユリウスはすぐに家に戻ると、愛用の剣を持ってきた。


「一人では危険です!」

「あれくらいであれば問題ない」


 リアナが止める間もなく、ユリウスは駆けだす。

 彼に気づいた魔獣がその巨大な顎を開いて襲いかかった。


 ガチン! と閉じられた時には、ユリウスは既に魔獣の横に位置取っており、剣を大上段に構えている。


 振り下ろされた剣は、一刀のもとに魔獣の首を斬り落とした。

 直後、魔獣は黒い靄となって消えた。血を流すことも、肉片が残ることもない。


 ほんの一瞬のできごとだった。


 リアナは初めてユリウスの本気を見たが、これほどとは思っていなかった。

 滝壺に落ちる前、刺客と戦った時は相手を殺さないために本気を出せなかったのだろう。

 元騎士として、対人戦よりも対魔獣戦のほうが得意なのかもしれない。


 彼の剣技に見惚れている場合ではない。

 ひとまずの脅威は去ったが、それで終わりではないのだ。


 瘴気を祓わなければ、魔獣は何度でも現れるだろう。

 そして、この瘴気はおそらく王都からあふれてきたものだ。


 剣を鞘に戻したユリウスがリアナのもとに戻ってくる。


「どう思う?」

「王都が心配です」


 リアナは率直な意見を述べた。


「君ならそう言うだろうな」


 ユリウスは溜め息を漏らした。そして、逃げていた農夫に「しばらくは安全だ」と伝え、リアナと家に戻る。


 突然の事態に緊張感が漂う。

 リアナは二人分のお茶を淹れ、テーブルについた。


 対面に座ったユリウスと今後のことについて話し合わなければならない。

 王都から瘴気が流れてきた以上、今後もさっきのような魔獣騒ぎが起こる。


 もう平穏のままではいられない。

 この町だけのことではない。王国全体が無事ではなくなる。


「リアナはどうしたい? この前は隣国に行くことは却下になったが、再考してもいいかもしれない」

「それは駄目です」


 リアナは即答した。瘴気はエルグランド王国の問題だ。これを放置することは、他国にも瘴気の影響が及ぶことに繋がる。

 聖女のいない他国は魔獣と黒斑病に蹂躙されてしまう。


 結局のところ、逃げたところで問題の先延ばしになるだけだ。

 だから、被害が国内に収まっているうちに解決しないといけない。


 リアナはまっすぐユリウスの目を見た。


「王都に戻りましょう」


 カタリナだけで瘴気を浄化しきれないのであれば、『聖女の影』がその手伝いをすればいい。

 王都から逃亡する前と同じことをするだけだ。


「あのカタリナがいるんだぞ。君を嵌めて投獄した女だ。次はどんな罠があるか分かったものじゃない」


 ユリウスの言う通りだ。

 リアナは困ったように笑う。


「はい。けれど、あんな人でも私のたった一人の肉親なのです」

「お人好しだな」

「分かっています」


 カップのお茶をじっと見つめる。


「分かっているなら――」

「それでも、見捨てることなんてできません。姉との思い出も嫌なものばかりではありませんから」

「危険はカタリナだけじゃない」


 表情を険しくしたユリウスが言った。

 王都から離れたこんな田舎にも魔獣は現れた。王都に近づくほど、魔獣の数は増えていくだろう。


 王都に着いてからは魔獣以外の問題がある。カタリナの手によって、騎士がリアナを探しまわっているのだ。

 王家直属の部隊も動いているだろう。


 それらをなんとかかいくぐったとして、リアナの聖具を回収する必要もある。

 前途多難だ。


「命がいくらあっても足りんぞ」

「ユリウス様が守ってくださるのですよね?」


 その絶対的な信頼を受け、ユリウスは力強く頷く。


「無論だ」

「私を止めるようなことを言っていますけれど、ユリウス様も本当は王都に戻るおつもりなのでしょう?」


 今度はリアナが尋ねる番だった。


「……なぜ、そう思う?」

「ふふ、顔に書いてありますよ」


 ユリウスが頭をぽりぽりとかく。


「無愛想だとよく言われるんだがな」

「でしたら、私にだけいろいろな表情を見せてくれているのですね。嬉しいです」


 冗談めかして言っているが、本音だ。リアナはさらに言葉を紡ぐ。


「元部下の方々が心配なのですよね? 私も何度かお話しした方がいます。騎士だけではありません。貧民街の皆さんやニコさんもです。ユリウス様の屋敷でお世話になったマーサさんのことも気がかりです」

「君には敵わんな。王都に戻る覚悟がちゃんとあるか、楽観的に考えていないか、そういう確認がしたかっただけだ。君が戻らないと言ったら、俺だけでも戻るつもりだった」


 肩を竦めるユリウスだったが、リアナは眦を吊り上げた。


「なぜ、そのようなことを仰るのですか! ユリウス様だけに行かせるわけないでしょう!」

「す、すまん……覚悟が足りてなかったのは俺の方かもしれんな」


 これまで声を荒げたことなどないリアナの剣幕に、歴戦の猛者であるユリウスが圧倒されてしまった。


「すみません、大声を出してしまって……」


 ユリウスはぐいっとお茶を飲み干す。


「いや……そうと決まれば準備をしなければ」

「そうですね」


 大した準備があるわけではない。

 この町に来たときだって、荷物など服くらいだった。


 ただ、ここにはお世話になった人が多い。リアナの薬やユリウスの害獣退治を当てにしている人も少なくない。

 そんな人たちに黙ってここを去ることになる。

 だから、書き置きだけ残すことにした。


 これまで良くしてくれたお礼と、簡単な薬の作り方を書いた。

 髪を染めていた染料はもう必要ない。


 ユリウスを見ると、剣を腰に差していた。彼の準備もその程度だ。

 リアナの視線に気づいたユリウスが尋ねる。


「最後に一つ訊いておきたい」

「なんでしょうか?」


 真意を探るように瞳を覗き込んでくる。


「死ぬつもりじゃないだろうな? 俺はあんな未来は嫌だぞ」


 なぜかユリウスにも見えた「破滅」のことだ。


「まさか。私はユリウス様と共に生きていきたいです。だから、決して死に急ぐようなことはしません」

「それならいいんだ」


 ふっと顔を綻ばせたユリウスが、リアナに口づけた。


「ん……はむ……んぁ……も、もう、いきなりはやめてください」

「つい、な」


 表情を引き締めて、彼は言った。


「共に未来を掴もう」

「はい」


 顔を赤くしながらも、リアナは力強く頷いた。

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