21 カタリナ 3 行方不明の妹
ガシャン!
美しい色彩のいかにも高級そうな花瓶が床に叩きつけられ、粉々になる。
生けられていた花も床に散らばり、水が絨毯を濡らした。
カタリナは荒れていた。
鼻息を荒くして、窓の外を睨みつける。
彼女はリアナが脱獄したと聞き、すぐにイリスに「お願い」して刺客を差し向けた。
すぐに捕まえることができるだろうと思っていた。何せ、王宮が抱える戦闘に特化した者が向かったのだから。
だが、返ってきた報告は「行方不明」だった。
死体の確認はできていないが、滝壺に落ちたことからその生存は絶望的だろうと推測される。
それでは困る。
リアナに死なれるのは、カタリナにとっても望むことではない。
妹には生きていてもらわなければ、本当に困ることになる。
彼女がいなければ、誰が瘴気を浄化するというのだろうか。
今、それができるのはカタリナしかいない。
痛いのは嫌だ。血を流せば、気分だって悪くなる。
聖具に血を捧げるなど、そんなバカげた作業はリアナがしていればいい。
しかし、民衆も騎士も王族も――どいつもこいつもカタリナに期待の視線を向ける。
血を流すのはカタリナなのに、その苦労を知らずに好き勝手に言う連中ばかりだ。
むろん、『封印の儀』はしている。
しなければ、瘴気は増えていく一方なのだから。
リアナが自分に反抗して姿を消したことや、ユリウスが自分ではなく妹を選んだことに対する屈辱。
そこに精神的にも身体的にも苦痛しかない『封印の儀』。
カタリナのイライラはうなぎのぼりだ。
深呼吸して、心を落ち着かせる。
割れた花瓶はあとでメイドに片付けさせることにして、自分の聖具を取り出した。
どれだけ嫌がっても、増えている瘴気を祓うために、自分がしなければならないことは一応理解している。
そう。瘴気は確実に増えているのだ。
昨日、今日の話ではない。
下町での黒斑病騒ぎ以降、少しずつ、だが確実に空気は汚染されていっている。
理由は分かっている。
リアナを王宮の一室に軟禁したからだ。彼女の聖具はカタリナが預かっていたため、もう何日にもわたってリアナが『封印の儀』を行えなかった。
それだけ彼女が献身的に儀式を行っていたということでもある。
彼女にできて、自分にできないことがあるわけがない。
姉は聖女で、妹は『聖女の影』なのだから。
カタリナは聖具を睨みつけてから、細い針で指先を軽く刺す。チクリとした痛みが走り、血が玉になる。
その血を聖具に塗った。
ほんのりと浄化の光が聖具から放たれるが、それだけだ。
王都に広がるほどの光ではなく、漂う瘴気が減る気配はない。
「なぜ、わたくしの聖具はこんなにも反応が悪いの?」
見る者が見れば、明らかに血の量が足りていないことが分かるだろう。
だが、カタリナはリアナのような傷だらけの手にはなりたくない。あれは美しくない。
心の奥底では彼女もそのことに気づいているかもしれないが、その原因を別のところに求めた。
「きっとリアナの聖具が特別なんだわ。妹のくせに生意気な」
それなら、妹の聖具を使えば自分だって強い浄化の力を発現することができるはずだ。
基本的に聖具を使えるのは所有者本人だけ。
浄化勝負のときにカタリナが体に仕込んでいた聖具は、持ち主が固定される前のものだったので、彼女にも使うことができた。
本来、他人の聖具は使えない。
「血が近いわたくしなら、リアナの聖具を使えるはず」
そんな安直な考えを抱く。
リアナの聖具は現在、カタリナが所持している。脱獄したと聞いてから、すぐに保管庫から回収した。
妹ならおそらく聖具を取りにくるだろうと予測しての行動だったが、来なかった。その程度のことですら思い通りにならず、苛立ちが募る。
自分の聖具の隣に、妹の聖具を並べる。
もう一度、針で指をツンと刺し、今度は妹の聖具に血を塗った。
「え……?」
その瞬間、不吉な光景を幻視する。
禍々しい赤紫に染まった空の下、多くの魔獣が王都を行き交っている。地を駆ける魔獣に、空を飛ぶ魔獣。
騎士が懸命に対処している。それでも手が足りず、人々が逃げ惑う。
カタリナ自身も追ってくる魔獣から必死に逃げる。
転んだ自分を前脚で抑えつける、狼のような姿の魔獣。
鋭い牙の隙間から垂れた涎がカタリナの頬に落ち、ジュッと嫌な音を立てた。
痛みなど感じない。
大きく開かれた魔獣の口を前にして、恐怖と絶望以外の何を感じろというのか。
「あ……ああ……」
直後、魔獣がカタリナの首を食いちぎり、視界が暗転した。
「いやあああぁぁぁぁぁッ!」
ハッと気づくと、首から上はちゃんと体と繋がっている。
「はぁ、はぁ……今のは、一体?」
やけに生々しい映像だった。脂汗をかき、全身に鳥肌が立っている。
聖具に付着していたリアナの血に、カタリナの血が反応したのかもしれない。
あまりの恐ろしさと悍ましさに、身体がガタガタと震え、止めることができない。
今見た「死」が頭から離れない。
そして、思い至る。
「まさか、このまま瘴気が溜まれば……現実に、なる?」
自分で呟いて、そうなる未来が心を支配する。
「嫌! 絶対に嫌よ! わたくしは死にたくない!」
蹲って叫んだところに、イリスがバンと勢いよく扉を開けた。
「カタリナ様! どうされたのですか?」
カタリナの悲鳴が聞こえて、飛んできたのだ。ノックもせずに入ってきたのは緊急事態と判断したのだろう。
イリスに気づいたカタリナは、縋るように彼女を見上げた。
「イリス様……このままではわたくしが――王都が大変なことに。早くリアナを探さないと……!」
自分自身の死を避けるためには、妹を「生贄」にするしかない。
リアナの命そのものを聖具に捧げれば、カタリナを食い殺す魔獣も、王都に蔓延する瘴気も消し去ることができる。
カタリナは死の恐怖を体験した。
ならば、妹が命をかけて姉を守ってこそ「半分こ」だ。
何がなんでもリアナを探し出さないといけない。
「……わたくしも妹君が滝に落ちた報告を聞いています。生きているかは……」
カタリナの気迫に押されたイリスが答えるが、語尾を濁した。
「生きていますわ。あのユリウス様がついているのです。きっと、妹は……」
そこだけ聞けば、妹の身を案じる姉の姿だ。内心では保身のことしか考えていなくとも。
「カタリナ様……犯罪者となったというのに、妹君のことをそれほどまで……捜索を続けさせましょう」
聖女を信じる王女はそう約束した。
悲痛に眉を寄せたカタリナは、心の内でほくそ笑む。
(本当にこの王女は扱いやすい)
イリスならリアナを探し出してくれることだろう。
そうすれば、自分の命は守られる。王国も守られ、万事解決である。
(だから、リアナ。早く戻ってきてね)




