20 追っ手の剣
空が明るみ始める。
夜明け前の森には霧が立ち込めていた。
リアナは疲れ切って眠ってしまっていた。
昨日はカタリナとの浄化勝負、地下牢への投獄、ユリウスとの脱獄、そして王都からの脱出といろいろありすぎた。
加えて、逃避行はここで終わりではない。先が見えない不安は彼女に大きくのしかかった。
心身ともに疲弊するのは当然だ。
彼女の表情が穏やかなのがせめてもの救いか。
ユリウスが守ってくれると信頼しているのだろう。
不意に、鳥の鳴き声が止んだ。
「リアナ。起きてくれ」
ユリウスの低い声が、リアナの意識を引き上げる。彼に起こされることになんとも言えない幸せを感じたが、その顔を見上げて気を引き締めた。
「ユリウス様、まさか……」
「ああ、嫌な気配だ。逃げる準備を――」
リアナの視界の隅で何かがキラリと光る。
目にも留まらぬ速さで抜剣したユリウスが叩き落とす。霧を割いて飛来したのは投げナイフだった。
「ちっ、もう追っ手が来たか」
「そんな……」
「俺としたことが油断した」
ユリウスは苦渋の表情を浮かべる。
彼とて疲弊している。リアナが眠りに落ちてからも、周囲を警戒し続けていた。当然、眠れておらず、集中力が切れるのも無理からぬことだ。
再び投げナイフが飛んできて、ユリウスが弾いた直後、一人の男が彼に急接近してきた。
黒装束の男の顔は覆面で隠れ、手には細剣が握られている。
何度も斬りつけてくる男の剣をユリウスは防ぎ続ける。
「さすが、若くして騎士団の分隊長になっただけはある」
男が攻撃の手を止め、後ろに下がった。
「貴様、騎士ではないな」
「答える必要はない」
「王家直属の部隊か。本当にいるとは」
リアナもその存在を噂では聞いたことがある。表に出ることがない集団だ。
騎士が表から王家や国を守るのに対し、彼らは裏から王家を守っている。
そんなものを動かせる人物など限られる。
さらにリアナは男が持っている細剣を見て、全身が総毛立った。
「ユリウス様、あれ……呪具です」
「どうりで禍々しい気配を感じるわけだ。魔獣を相手にするときと同じ感覚がある」
カタリナからの刺客。
そうとしか考えられない。
「女を渡せ。さもなくば殺す」
男は抑揚を感じさせない声で告げた。
「応じることはできないな」
「ならばここで死ね」
男が地を蹴り、ユリウスに肉薄した。
呪具から漏れる瘴気が赤紫の軌跡を作り出す。一撃でも貰えば、体内に直接瘴気を叩き込まれることになる。
今のユリウスは騎士の鎧を着ていない。剣で捌くしかない。
この場であの呪具を浄化できれば、ユリウスも戦いやすくなるかもしれない。
だが、それはないものねだりだ。
リアナは見守ることしかできず、もどかしい思いでいっぱいになる。
それにしてもあれだけの瘴気を振りまいておいて、男は大丈夫なのだろうか。
敵の心配などする余裕はないというのに、リアナの思考はそちらに向いてしまう。
剣戟の音が明るくなってきた森の中に響き渡る。
リアナは胸の前で両手をぎゅっと握って、ユリウスの無事を祈った。
呪具の細剣が振るわれるたびに、瘴気が空気を汚染していく。
ユリウスはなるべく瘴気に触れないように立ち回り、男に傷を負わせる。
一方の男はお構いなしに、瘴気の中を突っ込んでくる。
剣の腕はユリウスが勝っているが、やはりどうにもおかしい。
呪具を持ったまま使うだけでも危険度が高いのに、怪我をして血を流しても動きが変わらないことなどあるだろうか。
そして、気づいた。
「ユリウス様! その方は苦痛を和らげる薬を使っているのかもしれません!」
男の目が虚ろなのだ。苦痛どころか、感覚自体を麻痺させているのだろう。
だから、言葉も平坦で感情が乗らないのだ。
「それは、厄介だ!」
いくらユリウスが斬りつけたところで、もしかすると死ぬまで動き続ける可能性がある。
「俺がこいつを抑える。リアナはどこかに逃げ道がないか探してくれ!」
「わ、分かりました!」
きっとユリウスは大丈夫。
そう信じて、リアナは退路を探す。
彼女の移動に合わせ、ユリウスも男の相手をしながらついてくる。
背後で剣の交わる音が聞こえるたび、背筋が凍る思いがした。
それでも彼女は逃げられる場所がないか、視線を巡らす。慣れない森の中で転びそうになるのをなんとか耐えた。
そうして見つけたのは、断崖絶壁だった。
ごうごうと鳴る滝があり、眼下には飛沫が舞っている。
「これでは……逃げられない」
落ちたら無事では済まない。下手をしたら、二度と滝壺から上がれないかもしれない。
「ユリウス様! もう、逃げ場が……」
彼は男の細剣をいなしながら、返答をする。
「何があった?」
「切り立った断崖と、滝です……!」
ユリウスがにやりと笑った気がした。彼は男の剣を弾くと、思い切り蹴り飛ばした。
「リアナ! 俺を信じてくれるか?」
唐突な問いだ。
だが、答えは決まり切っている。今さら問われるまでもない。
「もちろんです!」
ユリウスが踵を返し、リアナの元に走ってくる。その背後から、体勢を立て直した男が追ってきた。
何をするのかと身構えたリアナを、ユリウスは剣を鞘に戻して自由になった両手で優しく抱きかかえる。
彼は勢いを殺さないまま、断崖に向かって走り続けた。
男の方を見ると、細剣を振り下ろすのが見えた。
「ぐっ」
背中を斬られたユリウスが呻く。だが、そのまま滝壺に向かって身を投じた。
直後にリアナの体を襲う浮遊感。
男はさすがに追ってくるのを諦めていた。瘴気を浴び過ぎた男の安否も気になるが、それどころではない。
「舌を噛むから、口は閉じていてくれ」
耳元でユリウスの声が聞こえた。
どんどん近づいてくる水面を見て、叫びそうになるのを、リアナは必死に堪える。
着水の直前、ユリウスが力強く抱きしめた。
そして、衝撃。
上も下も分からなくなるが、それでもユリウスは決してリアナを離さなかった。
そうして、二人の姿は滝壺の中へと消えていった。




