19 かつての借り
夜の王都は人通りが少ない。
リアナとユリウスの足音がコツコツとよく響く。
二人は休み休み走っていた。訓練で鍛えているユリウスと違い、リアナは走ることに慣れていないのだ。
加えて、踵の高い靴は走りにくい。
そのせいで足はジンジンとするし、冷たい夜気を大量に吸った肺も少し痛む。
リアナの息が整ったのを見計らい、ユリウスが周囲を見てから小さく言う。
「こっちだ」
向かう先は貧民街だ。
そこなら通路が入り組んでいて、騎士にも見つかりにくいはずだ。もっとも、ずっと貧民街に身を潜めていたところで、発見されるのは時間の問題だ。
なので、できれば王都の外に逃げたい。
リアナは『封印の儀』ができなくなることを心配した。
「本来、瘴気を抑えるのは聖女の仕事だ。カタリナがやるべき仕事を君が肩代わりすることはない。今は逃げ延びることが先決だ」
というユリウスの言葉で、不安を飲みこんだ。
ここで再び捕まることがあれば、いずれにせよ『封印の儀』はできない。それなら、ほとぼりが冷めた頃に聖具を回収しに来るのがいいだろう。
どうやって回収するかは、まだ考えついていないが。
二人が貧民街に差し掛かった頃、王宮の方から鐘が鳴り響いた。
「もう気づかれたか。行けるか、リアナ?」
「は、はい。急ぎましょう」
リアナの脱獄と、ユリウスの離反が露見した。追っ手の騎士が王都中を探し回ることになる。
迷路のような貧民街を進んでいく。
以前、溜まっていた瘴気を祓ったときは、貧民街のほんの表層だったようだ。
曲がりくねったり、細くなったり、いくつにも分岐したりした通路が交差する。
どちらに向かうのが良いのか分からないまま、王宮から離れるように歩を進めた結果――
「くそ、行き止まりか」
「引き返しますか?」
焦燥を滲ませてリアナが問い、ユリウスは逡巡する。
「ここも探せ!」
騎士の声だ。姿は見えないが、近くにいる。
元来た道に戻れば、鉢合わせるかもしれない。
二人の間に緊張が走ったときだった。
「こっちだ、旦那」
男の声が聞こえた。
「お前は……」
「いいから、急げって」
「ユリウス様、彼を信じましょう」
リアナの後押しもあり、男が手招きした方に行き、身を潜める。
パッと見ただけでは分かりにくいが、隠された通路があった。
「ここにもいないか。あっちを見に行くぞ!」
やがて騎士は別の場所へ姿を消した。
鎧の音が聞こえなくなってから、リアナはふぅと息を吐いた。危機が去ったわけではないが、一山越えられた。
「確か……ニコさんでしたか。助けていただき、ありがとうございます」
彼女は男に頭を下げた。
以前、黒斑病を患った娘の父親だ。娘を治療したことにたいそう感謝していたことを覚えている。
「いいってことよ。あんたにゃ恩があるからな。それも特大のやつだ。これくらいで返せたとは思わねぇ」
ニコはついてこい、と手で合図をする。
リアナはユリウスと視線を一瞬だけ交わし、どちらともなく頷いた。
連れていかれた先はニコのあばら家だ。既に夜も更けており、ニコの娘は涎を垂らして寝ている。
ロウソクの明かりに照らされた彼女の顔色は良く、瘴気による影響が完全に抜けていることが分かった。
ニコはごそごそと何かを持ってくる。
「そんなドレスじゃ目立つだろ。動きにくいだろうしな。良ければこれに着替えてくれ」
渡されたのはお世辞にもきれいとは言えないボロの服だった。
「これは……?」
「死んだ妻の服だ。あんたの銀髪はどうしようもねぇが、服くらい地味なもんに替えた方がいいだろ。貧民の服なんざ着たくねぇだろうが」
「そんなことはありません。お心遣い、感謝します」
リアナは礼を言って、ありがたく服を借りることにした。
動きにくく、目立つのも確かなのだ。できれば、髪も染められるなら地味な色に染めた方がいいが、今は染料がない。
早速着替えるために男性陣はあばら家から出たのだが、リアナはユリウスを呼び戻した。
「ユリウス様、申し訳ないのですけれど……あの、ドレスを脱ぐのを手伝っていただけませんか?」
着た時は地下牢ではなく、王宮の一室だったので、一応侍女が着せてくれたのだ。
体にフィットしたドレスは背中に手を伸ばすことができず、自分だけでは脱げない。
ユリウスに肌を見られるのは恥ずかしいことこの上ないが、背に腹は代えられない。
「わ、分かった」
「背中の紐を解いてもらえますか?」
「あ、ああ」
リアナが長い髪をまとめて持ち上げると、背後のユリウスが固く結ばれた紐と格闘する。
室内は薄暗く、見えづらいのか、彼の顔が近寄っていることが分かる。
というのも、少しだが彼の息がうなじのあたりにかかるのだ。
心臓の鼓動が速くなる。
走った時とは異なる感覚で、悪い気はしない。
「よし、外れたぞ」
ドレスをきつく縛っていた紐が緩み、上半身が少しだけ楽になる。
「……ほう」
露わになった背中にユリウスの視線を感じていたのだが、その彼が感嘆の溜め息を漏らした。
「あ、あの、あとは一人でできますので、その……」
「すまない。つい見惚れてしまっていた」
「見惚れ……!?」
顔から火が出そうだ。
そんなリアナの気持ちを知ってか知らずか、ユリウスは家から出ていく。
早鐘を打つ胸を押さえ、落ち着いてきたところで、ドレスを脱ぐ。
ニコの亡くなった妻の服を身に纏い、ドレスを丁寧に畳んだ。
サイズはぴったりだ。
「着替え終わりました」
その言葉を合図に、男性二人が戻ってくる。
「なんというか……今の姿の方が君らしいな」
「ええと、ありがとうございます?」
貴族の堅苦しさから解放されるという意味では、リアナもこの格好の方が好きかもしれない。
それに普段のユリウスは平民と同じような服を着ているので、似た感じなのが少し嬉しい。
二人が見つめ合っていると、ニコが咳払いをした。
「あー、コホン。仲がいいのはいいが、早いところ逃げた方がいいだろ」
「……そうだな」
恥ずかしくなって俯いたリアナの代わりに、ユリウスが答えた。
「じゃあ聖女様は靴もこっちに替えとけ」
ニコに底が平らな、布製の靴を渡される。踵が高い靴よりも走りやすそうだ。
「聖女ではありませんけれど……何から何まで、本当にありがとうございます。私のドレスと靴は売ってしまって構いません」
「……考えとく。それじゃ、お二人さん、準備はいいか?」
二人が頷くと、ニコは家を出て先導し始めた。
騎士には知られていない裏道を通って王都を抜け出すらしい。
時に急いだり、時に物陰に隠れたりしながら進んでいく。
彼が手を貸してくれるのは、リアナが彼の娘を助けたからだ。自身の「破滅」を避けたい一心だったが、そこにはちゃんと善意もあった。
その善意が無駄ではなかったことに、胸が熱くなった。
一周目の世界との違いは、ユリウスが完全に味方してくれることと、カタリナの悪意に気づいたことだけではなかったのだ。
「ここまで来りゃひとまずは安心だろ」
王都の城壁を抜け、森の入り口まで来たとき、ニコが言った。
周囲には騎士の気配はまったくない。城壁の内側を捜索しているのだろう。
「世話になった。礼をしたいが、あいにくと持ち合わせがないんだ」
ユリウスの言葉に、ニコは首を横に振った。
「受けた恩の方がでけぇ。俺はいつだってあんたらの味方だ。また困ったことがあったら頼ってくれ」
じゃあ、と手を振って彼は城壁内に戻っていく。
リアナは彼の背中に向かって頭を下げた。
「……行こう、リアナ」
「はい」
顔を上げた彼女は王都をじっと見つめる。
これで「破滅」を回避できたのかは、まだ分からない。
もしも、王都に瘴気が溢れることになれば、そのとき自分はどうするだろうか。
きっと――
リアナは頭を振った。
今は生きて逃げ延びることが第一目標だ。
ユリウスと手を取り合い、森の奥に向かった。




