18 ユリウス 3 脱獄
夜の闇に紛れて、ユリウスは地下牢に急ぐ。
道すがら、ふと引っかかっていたことを思い出した。
リアナが時折、口にしている「破滅」という言葉だ。
これまで深く追求してはこなかったが、その言葉を口にしたときの彼女は、いつもひどく怯えているようだった。
過剰にも思える血の奉納は、その怯えの裏返しなのではないだろうか。
「破滅」を回避するために、頻繁に『封印の儀』をしてきたのではないだろうか。
逆に言えば、彼女が何もしなければ、「破滅」に繋がるのか?
リアナから彼女の知っていることを聞き出すべきかもしれない。
地下牢の見張りをしていたのは、ユリウスの部下の騎士だった。リアナとの仲をからかっていた者だ。
「ユリウス分隊長? 何をしているんですか?」
ユリウスに気づいた騎士が顔を上げて尋ねる。
「……婚約者が牢に入れられたんだ。気になるに決まっているだろう?」
「ヴァルド団長からは分隊長が来ても通すなと厳命されていて……」
部下は困ったように語尾を濁した。
「お前も恋人がいるなら分かるだろう? 少しだけでいいんだ」
「……少しだけですよ」
「助かる。何かあれば、俺に無理やり命令されたと答えてくれ」
ユリウスは軽く頭を下げると、開けてくれた道を通り、地下への階段を進む。
空気が湿り気を帯び、石とカビの臭いが鼻をついた。
灯りのない通路は薄暗く、それぞれの独房の小窓から差し込む僅かな月明かりだけが頼りだ。
これからリアナを脱獄させることを考慮し、ランタンに火は入れていない。
ユリウスの足音だけが狭い通路に響き渡り、それが聞こえたのか、誰かが息を呑む気配がした。
現在、地下牢に捕らえられているのはリアナだけなので、もちろん彼女の息遣いだ。
「ど、どなたですか?」
震える声が聞こえ、ユリウスはそちらに向かう。
「俺だ。助けに来た」
「ユリウス様……! 本当に来てくださったのですね」
リアナの声に喜びの色が混じる。
ユリウスが鉄格子のすぐそばに立つと、彼女もその反対側にやってきた。
それだけ近ければ、薄暗くとも愛する女性の顔を確かめることができる。
「必ず来ると約束しただろう?」
「はい……信じておりました」
彼女はにっこりと笑ったが、すぐに表情を暗くした。
「ですが、駄目です。わたしを助け出したら、ユリウス様は罪に問われます。わたしを見捨てれば、貴方の未来は守られるのです。だから……どうか、帰ってください」
鉄格子から離れようとするリアナの腕を、ユリウスは掴んだ。
「見捨てるなどできるものか。本心を聞かせてほしい」
「それは……私の我儘です。そんなことにユリウス様を巻き込むわけには……」
「それだと、君が口にしている『破滅』が訪れるんじゃないのか?」
リアナの顔が青ざめ、全身が強張る。
「なん、で……それを?」
「俺には『破滅』が何を意味するのか分からない。だが、君はそれを避けたいんだろう?」
がたがたと震える彼女に、ユリウスは言葉を続ける。
「我儘でもなんでもいい。繰り返す。君の本心を聞かせてくれ」
「……『破滅』は嫌です。ここを出て……貴方とともに生きたい……!」
涙に濡れたリアナの瞳は儚くも美しい。彼女が自分を慕う心が伝わってくる。
ユリウスは無意識にグイと彼女を引き寄せた。
そして、鉄格子の隙間からリアナの可愛らしい唇に、口づけた。
その瞬間――
彼の知らない記憶が流れ込んでくる。
毒々しい赤紫に染まった空。響き渡る魔獣の咆哮。
祭壇の間の台座に横たわるリアナ。
自身の持つ剣で、彼女の胸を貫く生々しい感触が手に残る。
リアナは刻一刻と命を失いながらも、優しく微笑み、「愛しています」と呟いた。
視界が真っ白に染まり――
意識が引き戻される。
「はぁ、はぁ……! 何だ、今のは?」
ユリウスは一歩下がり、自分の両手を見る。生温い血はどこにもついていない。
目の前にいるリアナは確かに息をしている。
「ユリウス様……? 大丈夫ですか?」
心配そうに見つめてくる彼女と、視線が合った。
「今のが……『破滅』、なのか?」
額に滲む嫌な汗を拭い、呟く。
今の記憶が何なのか不明だ。だが、リアナが「破滅」に怯えていたことに、妙な納得感があった。
「……起こり得る未来ということか。なるほど、確かに避けねばならんな」
さっき見た記憶は断片的だった。
それでも状況を察することはできる。
瘴気に覆われた王都を救うために、リアナが命を差し出したのだ。
ユリウスに胸を貫かれながらも、愛を口にして、彼を――エルグランド王国を守った。
確かにユリウスは守られたかもしれない。
だが、そこにリアナがいないのであれば何の意味もない。
そして彼女の命を奪ったのは他でもない自分自身。
なぜそんな事態になるのか分からないが、自責の念が湧いてくる。
「ユリウス様……?」
リアナの問いかけに、我に返ったユリウスはもう一度リアナに手を伸ばし、引き寄せようとする。
だが思いとどまったように、手を離すと、小さく呟いた。
「邪魔だな」
彼はじっと鉄格子を睨んだ。
「え?」
「リアナ嬢……いや、リアナ、少し下がってくれ」
彼女は二歩ほど後ろに下がった。
それを確認したユリウスは腰の剣を抜いて、振り上げる。
一度、深く息を吐いてから、吸い直す。
そして、勢いよく袈裟掛けに振り下ろし、独房の錠前を一刀のもとに切断した。
甲高く鋭い金属音が響き、直後に錠前だったものが床に落ちる。
剣を鞘に戻したユリウスは、ゆるく開いた扉から内側に入り、驚いているリアナの手を取った。
彼女を引き寄せ、力強く抱きしめる。
その体には血が通っており、温かい。彼女の少し早くなった鼓動も感じられた。
知らぬ記憶に見たリアナとは違い、確かに生きている。
「ユリ、ウス様……」
「すまなかった。だが、あのような未来は俺もご免だ」
「未来……まさかユリウス様も……?」
今は詳しい話をしている場合ではない。
先ほどの金属音を聞いた見張りの騎士がすぐにやってくるだろう。
「まずはここを出るぞ」
ユリウスが開き切った独房の扉に目をやる。
「は、はい!」
先導する彼に、リアナはしっかりとついていく。
前方から足音と金属鎧の擦れる音が聞こえてきた。
「分隊長! さっきの音は一体――がっ!」
「悪いが、少し寝ていろ」
ユリウスは容赦なく部下の騎士の顎を殴り、気絶させた。
「あの、大丈夫なのでしょうか?」
こんなときでもリアナは床に倒れ伏した騎士を心配する。
「心配要らん。訓練でもよくあることだ。それより先を急ごう」
ユリウスが地下牢に来た時、見張りはこの騎士一人だった。
その彼が気を失った今、逃げ出すには絶好の機会だ。
地上に出たユリウスは周囲に視線を巡らせて警戒する。
他の騎士の姿がないことを確認して、リアナの手を取って夜の闇へと姿を消していった。




